新型コロナの影響がなければ、今頃はメジャーリーグが開幕していたはずで、敵地ミルウォーキーでの開幕戦に登板したはず(?)のダルビッシュ有投手の快投や、敵地ヒューストンに乗り込んで打者として活躍するはずの大谷翔平選手や、「サイン盗み」に抗議するエンゼルス・ファンのブーイングについて書いていたのかな? などと思いながら過ごしてる。

 キャンプ地から撤収して以来、朝起きるとすぐにシカゴ・ローカルのテレビをつけて地元の現況を知り、全米ネットワークのニュースでアメリカの今を知り、そしてニュース専門チャンネルで世界の流れを知る。

 そして、最後にMLBネットワークをつけっ放しにするのが日課となっている。

 番組編成に苦戦するほかの多くのテレビ局同様、メジャーリーグが保有する同局は、「苦肉の策」として過去に制作されたドキュメンタリー番組を再放送し続けている。

野球選手の個性について考えた。

 これらが意外と退屈しないのは、自分がリアルタイムで体験していないメジャーリーグの歴史を、きちんと整理された「過去の出来事」として知ることができるからだろう。

 そして、それらの番組を見ながら最初の段階で感じたのは、「野球選手の個性って何だろう?」ということだった。

 その番組=『The Bird』は、元タイガースで新人だった1976年のオールスターゲームで先発投手に抜擢されるなど、センセーショナルな活躍をしたマーク・フィドリッチ投手の伝記を基にしたプログラムだった。日本で生まれ育ち、彼が現役で活躍した頃は「野球と言えば、巨人の王さんか阪神の田淵さん」だった自分にとっては「お伽話」に近い。

 マサチューセッツ州ウースター生まれのフィドリッチは1974年、20歳の時にドラフト10巡目(全体231位)指名を受けてタイガースに入団した。当時はプロに行ける実力があるとは思ってなかったらしく、ドラフト=Draftが徴兵を意味する言葉でもあることから、その報せを受けると『兵役に就くのか?』と焦ったそうだ。

3年めにメジャー初昇格、大活躍。

 しかしフィドリッチは、プロ初年=1974年にマイナーリーグのルーキーリーグで23試合34回を投げて40三振を奪うなどすぐさま頭角を現し、2年目はA級からAAA級まで昇格した。三振は多いが、実際は緻密なコントロールで打たせて取る投球だったらしい。

 190センチの長身ともじゃもじゃの長髪といった風貌が子供番組『セサミ・ストリート』の人気キャラ、「ビッグ・バード」に似ていることで、マイナーのコーチから「バード」と呼ばれる人気者になったという。

 フィドリッチはプロ3年目の4月下旬にメジャー初昇格を果たすと、前半13試合(11先発)に登板して9勝2敗、防御率1.78と圧倒的な数字を残し、新人にしてオールスターゲームの先発投手に抜擢されるなどして人気者になった。

 何よりも注目されたのはボールに話しかける仕草だった。その人気はすさまじく、ブルース・スプリングスティーンやマイケル・ジャクソンが起用されるポップ・カルチャー誌『ローリングストーン』の表紙を野球選手で唯一飾るなど、「フィドリッチ」の名は野球ファン以外の人々にも広く認知されたという。

「奇行」か「個性」か。

 他の多くの人と同じように振る舞うことが普通だと思い込んでいる人々にとっての「奇行」。だが、その「個性」は、あまりにも鮮烈でエンタメ性抜群だった。

 MLBネットワークで『The Bird』が再放送された3月下旬には、彼が「もっとも有名な野球選手」になった1976年6月28日の対ヤンキース戦も併せて放映された。

 それは当時、3大ネットワークの1つABCの人気番組だった「Monday Night Baseball」で、7安打1失点に抑えて完投勝利を収めた21歳のルーキーは全米の視聴者が注視する中、この試合でも独り言を呟いたり、試合中にもかかわらず味方選手や審判に感謝して握手を求めたり、素手でマウンドをならしたりと、それから40年近く経ったいま見ても楽しめる(https://www.youtube.com/watch?v=QwGj4VfCreg)。

 フィドリッチはデビュー年に19勝9敗、防御率2.34でア・リーグの最優秀防御率のタイトルを獲得し、最優秀新人にも選出された。

 しかしその年、31登板29試合に先発して延長戦3試合を含む24完投(4完封)、250.1イニングという酷使もあって、その後の4年間は怪我のため、わずか10勝止まり。最後のメジャー登板は25歳の時で、その後も地元のレッドソックスなどでカムバックを試みるがかなわず、29歳で現役を引退した。

2009年、不慮の事故で他界。

 フィドリッチが2009年の4月13日に不慮の事故で亡くなった時、私はすでにMLBの現場にいて久しく、彼が活躍したデトロイトにもすでに何度も足を運んでいたが、実はその悲報の意味の大きさを正確には理解できていなかった。

 それは私が1995年の野茂英雄の「メジャー挑戦」以降に、本当の意味でアメリカのプロ野球に興味を持った日本人だからだと思う。

ランディー・ジョンソンたちの個性。

 1995年までの日本人とメジャーリーグの接点と言えば、大昔にフジテレビで放映していた録画中継「大リーグアワー」や、テレビの「珍プレー好プレー集」、あるいはシーズンオフの日米野球ぐらいしかなかった。

 現役の日本人選手もいなければ、YouTubeもなかった時代だ。「当時からMLBを身近に感じていた」なんてことは言えないし、当時のMLBは物珍しい「見慣れないもの」に過ぎなかった。

 それが1995年を境に日本での中継が劇的に増え、2メートルを超える長身左腕のランディー・ジョンソンや、「ループ・スイング」のケン・グリフィーJr.、バットを捕手方向に寝かせて構えるカル・リプケンJr.や、野球の技術書にある「基本通り」とは思えない打ち方で打率も残す長距離砲フランク・トーマス、ガニ股打法=クラウチング・スタイルのマーク・マグワイアやジェフ・バグウェルに遭遇できるようになった。

 彼らがそれまで見たことがない投げ方や打ち方で、とてつもない剛速球を投げたり、とんでもない飛距離のホームランを打つ。当時の私にとって、フィドリッチみたいな「個性」はあえて必要なかったし、彼らの「投げ方」や「打ち方」の方がマウンド上の「奇行」よりもずっと、個性的であるように思われた。

今は、日本選手のフォームに個性を感じる。

 考えてみれば、1997年に渡米してからは日本プロ野球がどんどん遠ざかり、WBCやプレミア12の米国での中継、あるいはYoutubeやストリーミングなどで日本のプロ野球を見ると、メジャーリーガーとは違う日本人選手の「投げ方」や「打ち方」に目を奪われるようになっている。

 見慣れてないことを『個性的だ』と感じること。

 その新鮮な気持ちを思い出したのは『The Bird』を通じてフィドリッチの「奇行」に触れたからで、いつ始まるか分からないメジャーリーグを憂うより、これを機会にメジャーリーグの歴史に触れておくのも、悪いアイディアではないと思ったりもするのである。

文=ナガオ勝司

photograph by AFLO