『Sports Graphic Number』創刊1000号を記念して、NumberWebでもライター、著名人による「私にとっての1番」企画を掲載! 今回は元バレーボール日本代表・大山加奈氏が選んだベストゲームを振り返ります。解説者として活躍する今でも鮮明によみがえる一戦は、夢にまで見た春高バレー決勝の舞台でした。

 私にとって「ナンバーワン」は、高校2年の春高バレー決勝戦です。このまま一生試合をしていたい。終わってほしくない。そんな風に思えた唯一の試合でした。

 バレーボールを始めた頃から、春高バレーに憧れていました。自分では覚えていなかったのですが、小学校4年生の時に将来の自分が春高決勝で、優勝が決まるサーブを打つシーンを絵に描いていたほど、幼い頃から夢見た舞台でした。

 幸せなことに成徳学園(現・下北沢成徳)では1年時から春高に出場することができました。ですが、初めての春高は2回戦敗退。2年時の東京大会(予選)では共栄学園に敗れて2位止まり。春高を前に「優勝候補」と言われながら勝てない試合が続き、どんな試合も「勝ちたい」ではなく「勝たなきゃいけない」、「負けちゃいけない」とプレッシャーばかり背負っていました。

 しかも、本番2日前のレシーブ練習中に同級生の選手と交錯して右肩を痛めてしまい、肩を上げられなくなってしまったんです。当時は3月開催だった春高の開幕前日、終業式で(荒木)絵里香に会うなり「どうしよう、肩が上がらない」と号泣したことを覚えています。

センターコートで湧き上がった高揚感。

 それでも試合はやってきます。鍼を打って痛みを和らげながら「やるしかない」と覚悟を決めたのですが、1回戦から準々決勝まではどれも本当に苦しい試合でした。サーブがまったく入らず「このまま負けるかもしれない」と不安がよぎった試合もありました。

 それでも、それまでの日々を苦しんだおかげか、鍼のおかげか、準決勝まで勝ち上がることができました。センターコートへ立った瞬間、湧き上がってきたのはプレッシャーや緊張ではなく、「この広い代々木体育館の全員が、私たちに注目してくれている」という高揚感。不安も痛みも一瞬で消えて、小川(良樹)先生からは「肩は仮病だったな」と笑われました。

初の春高決勝は、ただただ嬉しかった。

 迎えた決勝。コート上での視界はクリアで、心も穏やか。「やっとこの舞台にたどり着けた」という喜びで満ち溢れていたのですが、小川先生に言わせると、私たちは「ヘラヘラしていた」らしく(笑)、試合に入る緊張感に欠けているのではないかと心配したそうです。

 成徳は生徒主体の自由なチームという印象が強いと思いますが、試合となれば別。試合は「楽しむ」ものではなく、「恐怖」を抱えてコートに向かうので、みんなの表情は引き締まっています。でも初めての春高決勝の舞台は、きっと全員が、ただただ嬉しかった。不安に感じていた小川先生も「これが彼女たちにとって一番いい状態だ」とそのまま送り出してくれたおかげで、気負うことなく、リラックスして決勝戦のコートに入ることができました。

相手は王者・三田尻、エースはメグ。

 決勝戦の相手は三田尻女子高校(現・誠英高)。前年の優勝校で、チームのエースはメグ(栗原恵)。ほとんどのスパイクをメグが打ち、成徳は私が打つ。どちらかと相手は言えばメグ1人で打っていた印象が強かったのに対し、私たちは他にも「絵里香や(妹の)未希がいる」と安心感があったことが大きかった。さらにサーブから徹底してメグを狙い、レシーブやブロックもメグが得意なコースに入る“メグシフト”とも言うべき戦い方がハマり、1・2セットは私たちが先取しました。

 ただ、メグがすごいのは、それだけ徹底的にマークされても決定力が一切落ちなかったこと。むしろそれどころか、試合中盤から終盤にかけてバックアタックの威力は増すばかりで、対応できませんでした。

 周囲から「エース対決」と煽られる試合は他にもあります。でもあの試合は純粋に、メグが決めたら「私も絶対決める」とスイッチが入り、レシーブで拾われたら「次はもっと強いスパイクを打つ!」と気合が増した。そんな経験は、後にも先にも初めて。どれだけ決められても「悔しい」ではなく「私に持ってきて」と思っていたし、メグが決めればそれだけ長く試合が続く。

 一生ここにいたい。ずっとこのまま戦いたい。とにかく、楽しくて仕方がなかった。

忘れられない小川先生からの喝。

 ただ、そんな夢のように楽しい試合で唯一、小川先生から怒られたプレーがありました。

 後衛時、メグのスパイクをレシーブするために私はバックレフトに入っていたのですが、メグが打ってきたクロスのスパイクを2本続けて「アウト!」とそのまま見逃しました。その何気ない2本のジャッジを、小川先生は見逃しませんでした。

「逃げるな! あれは『アウトになってほしい』という逃げだ!」

 これはタイムアウトで、小川先生から言われた言葉。まったく自覚していませんでしたが、言われてみたら確かにその通りだ、とハッと気づかされました。怒られても強気に、その悔しさもバネにして活躍できる絵里香や未希に対しては、試合中に小川先生が叱咤することは何度もありました。でもメンタルが弱い私に対しては「加奈はヘタに言うと潰れてしまう」と、叱るどころか声を荒げることがなかった。そんな小川先生からの一喝。今もその言葉、シーンは忘れることができません。

 第3セットを三田尻に取られた後も冷静に、第4セットのラストは私がレフトからクロスにスパイクを打つも拾われ、もう一度返って来たボールをストレートへ。優勝が決まった瞬間、「やっと勝てた」と安堵して、ボロボロ涙が出ました。

「終わってほしくない」と思える試合を。

 私たちの頃の春高は3月開催だったので、その後にインターハイ、国体と、春高以上に苦しい試合や経験が数えきれないほどにありました。でも、その苦しさもすべて「よかった」と振り返ることができるのは、間違いなく春高で味わった日本一の喜びがあったから。

 現役生活を終えた今になっても、あの決勝で味わった感覚はとても尊いものです。そして、だからこそ、思うことがあります。

 当時の私と同じように春高を目指す選手、実際に春高出場を果たした選手の方々にも、その喜びを味わってほしいということ。ミスを恐れるのではなく、とにかく思い切って「決まらなくても次はもっといいスパイクを打つ」と、負の感情を一切持つことなく、目の前の1点、プレーに集中して「終わってほしくない」と思える試合を経験してほしい。

 これは指導者の方も同じです。いつも怒られてばかりいたら、きっと選手は子供の頃から憧れた夢の舞台でも「自分がやってきた最高のプレーを発揮したい」よりも先に、「怒られないように」という気持ちが先走ってしまいます。勝ちたい、と思うのは誰もが一緒。結果がすべてではなく、頑張って来た時間は本物だからこそ、みんなが誇りに思えるように。春高や全国大会、1つ1つの試合は、そんな舞台であるべきです。

目に見えないプレーを言葉にしたい。

 最後にもう1つ。自分がコートに立つのではなく、解説者、リポーターとして「伝える」立場になった今、私にも「ナンバーワン」の決勝戦から得た経験が活かされていることがあります。

 メグのスパイクを止めるべく、ブロック、レシーブで敷いた“メグシフト”の1つが、ブロックのスイッチでした。本来、私はレフト側でブロックに跳ぶのですが、同じレフトからの攻撃機会が多いメグを止めるには、ライト側で跳んでマッチアップしたほうがいい。メグがライトから打つ時は私と絵里香、高さのある2人がブロックで並ぶこともできますが、レフトから打つ時は(細川)麻美と並ぶことになり、しかも、ライト側のブロックに跳ぶのがセッターの大福(倫子)だったので、低い場所を狙われやすい。少しでもメグにプレッシャーをかけるために私が大福と代わり、レフトでスパイクを打ったらライトへ走ってブロックに跳ぶ。ブロックで直接得点ができなくても、ボールがつながったら、またレフトに走りしっかり開いて助走を取ってスパイクを打つ。

 何気ないことのように見えますが、実はかなりの運動量が必要で、身体は本当にきつかった。それでも自分たちの中では効果があると思って必死でやっていたのですが、見ている方々に注目されるのは、エース対決でどちらが点を取ったか。その結果ばかりでした。

 そのせいか、自分が伝える立場に立った今は、直接得点につながらなくても大事なプレーや動き、目に見えない「1点」に貢献するプレーを逃がさず、伝えることができるようにと意識していますし、そのきっかけをくれたのは、紛れもなくあの決勝戦です。

 必死で走って、跳んで、打つ。それがメグにどれだけプレッシャーをかけていたのかはわかりません。でも、メグよりも点を取る。決められても次は絶対私が取り返す。ただそれだけを思って、必死に動いて、打ち続けた春高の決勝戦は、今も大切な、私の誇りです。

(構成/田中夕子)

文=大山加奈

photograph by Kyodo News