今年4月1日、囲碁ファンが驚く報道があった。

「一力遼八段が河北新報社に入社」したというのだ。

「河北新報社」創業家の一力雅彦社長のひとりっ子である一力八段。家業を継ぎ、将来は「社長棋士」になるのだろうか。

 一力八段は、プロ入り10年目の22歳。芝野虎丸名人・王座、許家元八段(前碁聖)とともに「令和三羽烏」と呼ばれ、NHK杯や阿含・桐山杯、アンダー20歳の国際棋戦で優勝するなど次代を担う若手トップ棋士だ。

 現在、早碁棋戦の「竜星」のタイトルも持っている。

「東京支社編集局に配属となりました」

 弁護士と兼業している棋士もいるが、一流棋士となると二足のわらじは前例がない。

「東京支社編集局に配属となりました。最初は囲碁に関する記事を書く機会が多くなるでしょう。棋士としての経験を生かし、紙面を通して囲碁の魅力をより多くの方々に発信していきたいと考えております」と本人は言う。

 大棋士への道を着実に歩んでいる状況でサラリーマンにもなる。いったいどうなるのかと、ファンは心配しているのだ。

 5歳で囲碁を覚えた一力少年はたちまちはまり、小学校2年生でプロ養成機関の「院生」となった。地元・仙台市から土日に東京に通う生活を送る。

 プロへの意識が強くなったのは小学校5年生のときだ。東京に出て、もっと碁に集中したいと親に訴えたのだ。

「最初は父も戸惑っていたかも知れませんが、東京行きには理解を示してくれました」と一力八段。

 ひとりっ子でもあるため、「将来は会社のほうも」と親が考えていることは、一力八段もわかっていたようだ。

母親とともに上京して腕を磨く。

 母親とともに上京。芝野虎丸名人や藤沢里菜女流立葵杯らも通った「洪道場」で、腕を磨く日々が始まった。

 洪道場を主宰する洪清泉四段は、一力八段の印象をこう語る。

「初めて遼が道場に来たのは小学3年生のときです。最初からしっかり挨拶もでき、敬語も使っていました。はきはき話し、賢い子だなと思いました」

 一力少年はまず道場に来たら、3つあるすべての部屋をまわって挨拶をする。遠方から勉強に来るなどたまにしか会えない先輩や仲間を見つけると、声をかけて対局や検討をお願いするなど、気づかいのある子だったという。

 土日、院生の手合が終わると真っ先に道場に戻り、指導してくれる先生より早く碁盤の前に座って、その日に打った碁を全部検討してもらっていた。

「情熱大陸」に出演して、涙する。

「他の子はご飯を食べたりして、ゆっくり来るのですが、遼と里菜は4時半に日本棋院を出ると4時45分には来ていましたから。気持ちも努力も違いました」と洪四段。

 詰碁などを出題すると、パパッと解いて、「次の課題ください」と求めるなど、碁の修業に関しては、言うことがなかった。

 真面目で一生懸命。なにより碁が大好きな一力八段の姿は、子どものころからできていて、今も変わっていないようだ。

 2018年4月に放送されたテレビ番組「情熱大陸」で、「ハタチの情熱」と題した回に出演した一力八段。

 前年秋から王座戦、天元戦、年明けからの棋聖戦と3つのタイトル戦で井山裕太七冠(当時)に挑戦するが、すべてストレートで敗戦。1勝もできなかったことを振り返り、テレビカメラの前で涙する一力八段の姿があった。

「先生、日本はどうすればいいのですか」

 井山棋聖に勝てない。めったに弱音を吐かない一力八段から「つらい」と洪四段にメールがあった。「真面目で囲碁のことばかり考えるのでしょうから、リフレッシュするのがいいと思い、遼が神戸にいたので、『美味しい神戸牛でも食べて』と返信しました」

 一力八段の涙といえば、洪四段が忘れられないことがあるという。

 何人かの道場生を連れて韓国へ行き、交流戦を行った。一力少年が小学5年生のときだ。対抗戦で日本チームが負けたあと、親睦でサッカーをやったが負けてしまう。そのあとのリレー競争も負け。

 一力少年は急に泣き出し、「先生、日本はどうすればいいのですか」と言ったという。何にでも一生懸命で、負けず嫌いな性格が、涙に表れた。

近年、日本は中国、韓国に後塵を拝している。

 日本の囲碁界は、20世紀まで世界ナンバーワンだったが、近年は中国、韓国に後塵を拝している。日本を背負っていく気持も、この頃から一力八段の心の中で育っていたのだろう。

「遼は子どものころ泣き虫でした。碁を打っていて形勢が悪くなると顔が赤くなって泣いていました。しばらくすると、弱みを見せるのは良くないと本人が気づいたみたいで、だんだん泣かなくなりました」と洪四段は振り返った。

 13歳でプロ入りしてからも、若手棋戦で優勝するなど順調に実績を積んできた。他の棋士と違うのは、高校に行き、大学にも行ったことだ。

 棋士の多くは義務教育までしか学校には行かない。トップ棋士はとくにその傾向が強い。

 井山裕太棋聖は小学6年生でプロ入りを決め、中学1年でプロデビューしている。そのときから進学はしないと決めていたという。

中学卒がふつう、という世界で早大に進学。

 京都大学医学部を卒業し医師免許を取得してからプロ棋士に転身し、碁聖のタイトルを獲得した坂井秀至八段は例外として、七大タイトル経験者で高校卒業したのは、小林覚九段と羽根直樹碁聖くらい。

 むしろ中学卒がふつう、という世界で、一力八段は早稲田大学に進学する。

 師匠の宋光復九段や洪四段は、碁に専念できない状況をもったいないと見ていた。その時間を碁に投入していれば、もっともっとすごい活躍をしていたはずだというのだ。

「タイトル戦と試験の日程が被ったときは、試験日の調整や過密日程が大変でした」と一力八段は振り返っている。

 棋士の間でも、一力八段の調子が落ちると、「今、試験中だから大変なのでは?」という噂が立っていた。

 洪四段も「遼の何にでも手を抜かず、一生懸命なところが心配」という。

8時半になると「帰ります」。

 地方での対局のあとも、早朝、新幹線で戻ってきて授業にちゃんと出る。

 祝賀会のあとなど、ほかの子はカラオケやボウリングに行くが、一力八段は8時半になると「帰ります」。本当は遊びも好きなのだが、その心を殺してずっと自分を律してきた。

「当面は囲碁に注力して頑張ってまいります」と一力八段は言うが、将来的には軸足が会社のほうになる可能性もあるという。

 囲碁は、年齢を重ねても息長く活躍できる。羽根碁聖は43歳のタイトルホルダー。過去には67歳でタイトルを獲得した藤沢秀行名誉棋聖もいる。

 しかし、一力八段が全力で囲碁に向き合える時間は、他の棋士と比べて短いのかも知れない。

 悔いの無い囲碁人生のためにも、1日も早いビッグタイトル獲得を期待したい。

文=内藤由起子

photograph by KYODO