「今、自分に凄くナチュラルな感覚が戻ってきている印象を受けています。“サッカー小憎”というか、チーム戦術に順応しながら自分の特徴を出す。自分勝手ではなくて、チームの勝利のために、素直な自分を出せる手応えを感じています」

 プロ3年目を迎える湘南ベルマーレのMF松田天馬は、5月25日に行ったリモートインタビューでこう話し、笑顔を見せた。ちょうどこの日に首都圏の緊急事態宣言が解除され、長い自粛期間を経て、チームのグループ練習が始まろうとする時だった。

 2月21日のJ1開幕戦、彼の姿はスタンドにあった。トルコ・スペインキャンプ中に足首を負傷し、復帰したのが開幕戦の約1週間前だったため、この試合は間に合わなかった。

「相手(浦和レッズ)もまだ(チームとして)出来上がっていませんでしたが、新しいフォーメーションでここまでやれたことに対し、チームとしての伸びしろを感じました。僕が入っても新しいことができるなと思いましたね」

焦りがないのは「昨年の経験が大きい」

 昨年10月に就任した浮嶋敏監督は今季、【3-4-2-1】から、3ボランチを置く【3-5-2】にシフトチェンジ。昨季はボランチと2シャドーの一角としてチーム最多の32試合に出場した松田は、今季もいずれかに入ることは予想される。だが、まだ明確なポジションは定まっていない。

「(新システムは)攻撃面で特徴を出せる回数が増えると思います。中盤の人数がかなり多いので、どこに入っても違和感なくプレーできる自信はあります。それはやっぱり昨年の経験が大きいですね」

 この手応えをプレーで表現する前に、リーグは新型コロナウィルス感染拡大の影響でストップをしてしまったが、松田に焦りは感じられない。それは彼の口から出たように「昨年の経験」が大きいようだ。

「自分勝手」に見えたプロ1年目。

 昨季の松田は、豊富な運動量とスプリント力、攻守での強度の高いプレーで、ボランチとして17試合、トップ下として11試合に先発出場した。リーグ終盤には攻守をリンクさせ、決定的な仕事をも果たし、チームにとって必要不可欠な存在となっていった。

 筆者はこのブレイクの予兆を、実はこのシーズンスタート時から感じていた。

 彼のことは東福岡高校1年時から見てきた。当時から高い技術に舌を巻いたが、あどけなさが残る幼い顔つきながら、飄々とプレーするタイプの選手だった。鹿屋体育大を経て、2018年に加入した湘南では、曹貴裁監督のインテンシティーの高いサッカーの中で走力こそ増したが、それでも周りと比べて激しさの部分では物足りず、厳しい言い方をすれば、持ち前の技術で「ごまかしている」ように感じた。

 それが昨季からは気迫を前面に出し、鬼気迫る表情でボールに喰らいついていく、実に湘南らしい選手に様変わりしたのだ。そんな印象を本人にぶつけると、素直にこう打ち明けた。

「1年目は個人として持っているプレースタイルがあって、『自分はこうだから』と固執してしまっている部分が正直ありました。ここで自分を出そうとしすぎて、周りから強く指摘されても、それを崩せない自分がいた」

 攻守の切り替えが早く、連続したスプリントが求められる湘南のタフなサッカーにおいて、「自分はタメを作ったり、プレーのリズムの強弱をつける存在になるべきだ」という考えがあった。それがチームとマッチせずに空回りをし、自分だけが取り残されてしまった。それが周りから見れば「自分勝手にプレーをしている」ように映ってしまっていたのだった。彼はさらに続ける。

実は、ちょっとびびっていた。

「それでも湘南が僕にオファーを出してくれたのは、このサッカーの中で僕が役に立つと評価をしてくれたということだし、実際に曹さんは試合に使ってくれていたので、やっぱり期待してくれているんだと。それにこのサッカーの中で自分の持ち味を出していかないとこの先、プロとして生き残っていけないと思ったので……。

 ただ、自分を出そうというのは実は建前で、裏では『チームに迷惑をかけないためにはどうしたらいいか?』を常に考えていました。大袈裟に言えば、ちょっとびびっていたところもあったと思います」

 この言葉を聞いて、正直驚いた。どちらかというとエゴが強く、自分を前面に出そうとしたことで苦労したのだと思ったが、その逆。決して「自分さえ良ければいい」という傲慢な考えでプレーしていたわけではなかったのだ。その裏には大きな葛藤があった。

「プロになりきれていませんでした」

「どちらかというと『自分を出そう』ではなく、『自分を出さないといけない』という感覚でした。でも、プロの試合を重ねていく度に責任感が大きくなって、『これ以上迷惑をかけないように』とより確実なプレーを選んでしまったり、縮こまっていった印象です。試合中にめちゃくちゃ周りから言われるのですが、その声を必要以上に聞いてしまったり、周りの人の声に敏感に反応してしまったり……それにだんだん縛られていってしまったんです。ボールを受けて『ドリブルで行ける!』と思ったのに、『行くな!』と言われたらその声に反応して止まってしまう。『俺はなんでこんなに周りに合わせてしまっているんだろ』という葛藤は常にありました」

 試合に出れば出るほど、強迫観念が彼を支配していった。同時に自分で下すべき判断の質、スピードが低下し、プレーの精度や躍動感も落ちていく。

「僕はまだまだプロになりきれていませんでした」

 そんな彼に大きな出来事が起こる。

 一昨年のルヴァンカップ決勝、横浜F・マリノス戦、松田は1−0のリードで迎えた71分にMF秋野央樹と代わって投入された。しかし、わずか16分後の87分にFW菊地俊介との交代を告げられた。交代選手がその試合中に交代させられる「インアウト」は、彼にとってこのシーズン3回目の出来事だった。

交代の意味をずっと考えていた。

「正直、2回目までは自分の中でそれほど重たく捉えていませんでした。最初のインアウト(J1第11節・浦和戦、51分にインし、87分にアウト)は1−0のリードで試合終了間際だったので、『逃げ切るためにも仕方がないか』と思えましたし、2回目(ルヴァンカップ準決勝第2戦・柏レイソル戦、21分にインし、84分にアウト)も『延長まで行ったし、仕方がないか』と思えた。でも、この決勝は1回目と同じような展開でしたが、かなりショックでした」

 あの決勝の大観衆の中で屈辱的とも言える経験を味わった。しかし、彼の心は折れていなかった。

「あれからずっと1週間くらい『何で代えられたんだろ?』、『何がダメだったんだろう』とかいろいろ考えました。怒りというより、『絶対に何かしらの理由が曹さんの中にあるはずだ』と思って、それが何なのかをずっと考えていた。1週間くらいは放って置かれたのですが、それ以降は、ベルマーレの一員としてピッチに立つ責任感や『11人の中の1人』という自覚を持つこと、ベルマーレというチームが脈々と大切にしてきたものがあることを、徐々に曹さんがヒントを与えてくれたんです。曹さんは僕がまだずっと感覚に頼ってプレーしていることを見透かして、かつ僕がそれになかなか気づかないから、劇薬とまではいかないけど、相当な活を入れてくれた気がします。

 そのおかげで、自分がチームの大切なものを損なっていたというか、厳しい見方をすれば、乱していたことに気づいたんです。もちろん自分の良さを出すという考えは100%間違っているとは思いませんが、ベルマーレの空気感に僕が追いついていなかった。バランスが取れていなかった。それだと当然、監督やスタッフ、選手、サポーターの信頼なんて得られませんよね。自分で自分をやりづらくしてしまっていたんです」

顔つきが変わった2019年。

 1年目のシーズン終盤にようやく目が覚めた。ルヴァンカップ決勝以降、松田に出番はやってこなかったが、彼の反骨心に燃え盛る炎が宿っていた。

「まずは周りの信頼を勝ち取らないといけない。そう思った時に、そもそも自分がなぜベルマーレを選んだのか考えたんです。僕は背も小さいし、別に突出したものを持っているわけではない。でも、チームの特徴に合わせられるのが、自分の長所だと思っていたし、ベルマーレのように一見、自分のスタイルには合わないようなチームで適応することができれば、絶対に成長できると思ったんです。ピッチ上での熱量や守備面でのハードワーク、球際の強さの部分は自分が持っていないものだったからこそ、ここならそれも鍛えられると思った。2年目はその気持ちを大切にしようと、スッキリした状態で臨めたんです」

 顔つきが変わった。プロサッカー選手としての階段を登った彼は、冒頭で触れた通り、ブレイクの時を迎え、そして湘南の柱となった。

 ボランチとして、2シャドーと連動して高い位置からハイプレスをかける。たとえそのプレスをかわされても、瞬時に帰陣体勢に入り、今度はCBと連動してボールを奪う。そして一気に前線までスプリントし、攻撃に関与する。時にはDFラインまで下がってスペースを埋めることだってある。

 ポジションをトップ下に上げても攻守におけるプレー強度はさらに高まった。ボランチへのカバーの質が上がり、ボールを刈り取ってから攻撃の起点にもなった。

湘南におけるボランチの役割。

「大学でもボランチをやっていたのですが、その時はボールにガツガツいくことは少なく、どちらかというと中盤の底からゲームを組み立てる役割の方が重要だった。ベルマーレでボランチをやりながら、『俺って意外と守備がいけるんだな』と新たな発見というか、苦手だと思っていたのに普通にやれました。曹さんはそれを見越して僕をボランチとして使ってくれたのかなと思うと、凄く自信に変わっていきました。

 同時にベルマーレにおいてボランチのポジションは相当重要だなと思いましたね。プレスが剥がされたら終わりだし、自陣のビルドアップで奪われたら終わり。そこの責任感はこれまでと違います。ボランチの選手の大変さが身をもって分かったので、トップ下を任された時も『少しでもボランチを助けよう』という気持ちでプレーすると、自然とスプリント回数やプレー強度が上がりますし、その上でゴールを目指すメンタリティーは推進力につながる。プレーの強弱の付け方も整理されてきました。自分で判断できることが増えたことで、メンタル的にも楽になるし、プレーの選択肢も増えました」

 2年という時を経て、湘南のサッカーを体現する男となった。もう、あの頃の不安そうな表情はピッチにない。精悍な顔つきは、これまで自分と向き合いながら積み重ねてきた葛藤とその先の光の上で成り立っていた。

「18番」が自分に馴染んできた。

 最後に余談を1つ。彼が湘南1年目から背負う18番は、実は東福岡高1年時と同じ番号だった。彼のサッカー人生を振り返ると10番を背負うことが多かったが、「10番に対するこだわりはそこまでないですし、プレッシャーもあるのでさすがに選択肢にはなかった」と、小学校時代から愛着があった21番を希望。だが、空きがなく、18番を選んだ。

「今は18番を気に入っています。考えてみると、初めて(故郷の)熊本を離れて東福岡に挑戦した時の最初の番号ですし、湘南でいろんな思いを味わってきた番号。完全に自分に馴染んできました」

 サッカーから遠ざかっている今、彼の心にはベルマーレの「18番」に再び袖を通す情景が映し出されている。

「凄く楽しみです。試合前にユニフォームを『やっと戻ってきたか』と思いながら見つめると思いますし、自分がどんな気分になるのか楽しみです。この感覚は大事だし、つくづくサッカーができている幸せを感じます。早くサッカーがしたいです」

 輝きを取り戻したサッカー小僧・松田天馬。Jリーグが再び動き出した時、ユニフォームに袖を通した感想をまた聞きたいと思う。

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando