発売中のNumber1004号『現役Jリーガー100人が選んだ 史上最強チームを語れ』では、2005年のジェフユナイテッド千葉についての思い出を佐藤勇人とイビチャ・オシムに聞いている。オシムチルドレンとして花開き、ジェフがJ2降格してからも昨年までチームを支え続けた佐藤の話は多岐にわたった。
誌面に収まりきらなかったロングインタビュー、第2回である。

 佐藤勇人の話はさらに続く。

 オシム時代のベストゲームとコンセプト。ジェフの現状と未来、継承者としての決意、そしてオシムへの溢れる思い。心の声に耳を傾けよう。

――勇人さんにとってのオシム時代のジェフのベストゲームといえば?

「ジュビロ戦ですかね……2003年、最初のシーズンもそうですし、翌年何人かジェフの選手がジュビロに引き抜かれて、その後直接戦った試合も印象に残っています。

 あとは、負けてはしまったのですが、国立でやった鹿島戦('05年)。退場で一人少なくなって2−4で負けたんですが、そのときのゴールがすごく印象的で。マリオ・ハースの2点目なんですけれども、GKからすべてダイレクトで6本のパスが繋がって、サッカーは人数が少なくとも、ボールが動いて人が動いてしっかりみんなが考えてやれていれば、こんなに簡単にシュートまで行けるんだと思いました。

 少し前まで、日本はサッカーを複雑に考えすぎているのかなという思いがあったんです。バルセロナが出てきて、日本サッカーも少年団からトップまですべてバルセロナを目指せとなったとき、少し複雑に考えすぎているなと感じていて。それはオシムさんのサッカーを経験したからなのかもしれません」

――彼は縦のプロフォンダーとか長いボールも結構使うし、そういうのが悪いことだとは決して考えていないですよね。

「そうです。たとえば4対4でボールを動かす練習があるんですけど、最初の選手はワンタッチで出さなくてはいけないというルールのときに、だいたいみんな足元で受けに行くんです。そこからスタートするんですけど、オシムさんはすぐ止めて『何で裏があることを考えないんだ』と言った。『裏に走ってそこにワンタッチで出してもいいだろう』と。

 サッカー観を大きく変えられました。日本人は固定観念にとらわれ過ぎている。こういう風にしなさいと言われたときに、安全第一の策をとってしまう。足元につけにいくのでなく、ゴールに迫ってリスクを冒すことを選択できなかったんだなあと。考え方が複雑になっているのは、サッカーもそうですし日本の教育も含めてなんでしょうけど、オシムさんは物事をよりシンプルに考えていると思いました」

「オシムだったら」が常に頭をよぎる。

――勇人さんは去年引退されて、ジェフのクラブユナイテッドオフィサーに就任しました。育成に関わっていきたい意向だと聞きましたが、オシムさんから教わり培ったことを、子供や若い世代を指導していく際のベースにしていく考えですか。

「子供たちもそうですし、トップチームにいる若い選手に対してもそうですけど、オシムさんの考え方は必ず伝えます。

 ただ、それがすべて正解ではないということも伝えます。何故なら自分はオシムさんではないので、自分が理解した以上の深い意図までは伝えられない。それはオシムさんにしかできない。

 それでも自分が学んだことや、みんなにも知っていてほしいことは伝えます。だから今、選手をやめて、オシムさんからまた違った立場で学びたいという意欲は凄く強い。今はまだ選手としてオシムさんに教わったことしか伝えられないので、そういう風に考えています」

――もっとも学びたいのはどういうことですか?

「あまり深く聞きすぎると、バサッと怒られたり、お前、何言ってんだと言われそうで難しいのですが(笑)、でもこれからサッカー選手を目指す子供たちとか、それこそJリーグよりもヨーロッパを目指す子供たちに対して、どういうアプローチをしていくのがいいのか。他の人からは聞けない言葉をオシムさんなら言ってくれそうで、それを聞いてみたいし、それを自分なりに考えて子供たちに伝えたい。

 ただ、自分は今もジェフというクラブの人間ですし、ジェフのことをオシムさんに聞きたいというのも本音です。クラブの未来であるとか。でも、今はJ2にいますし、そこを聞いてしまうと……、何て言うんですかね、『お前は俺から何を学んだんだ』と言われそうな気もしますね」

――聞いていいんじゃないですか。私が話を聞いていると、オシムさんはジェフのことも心配しているし、別に怒られたっていいじゃないですか(笑)。

「そうですね(笑)。ジェフもそうなんですが、オシムさんが指揮したクラブは、オシムさんがいなくなった後、みんな苦しい時期を過ごしていると聞きました。それは何でだろうって、今でもよく考えているんです。答えはオシムさんが偉大過ぎるから。

 オシムさんだったらどうクラブを立て直すのだろうとか、どういう言葉をくれるのだろうとか、どういう練習をするんだろうとか、どうサポーターや地域の人にメッセージを送るんだろうとか、常に“オシムさんだったら”というのが頭の中から離れなくて。

 だからオシムさんがいたクラブが、いなくなった後に苦しいシーズンを送るのは必然なんだなと。必然だからしょうがないと思ってしまっている部分もあります」

「何でもオシムさんと比べちゃ駄目だよ」

――そこの答えを自分たちで出すのがなかなか難しい。

「今はクラブの中にもオシムさんと一緒に過ごしたメンバーは少なくなっていますし、新しい時代、クラブの歴史を作っていかないといけない。ただそれでもオシムさんが残してくれたものは宝物だと思っていますし、変えることもできないし、手放す必要もない。新しい歴史を作っていく中に、それをどう入れていくのかが自分のミッションだと考えています」

――勇人さんがクラブに残っているのは、クラブの未来を託されているからだと思います。誰かが核になり柱になって一つの道筋を作らないと、クラブは強くならないし安定しない。

「そこは自分が責任を持ってやっていきたい。自分しか伝えられないこと、オシムさんから学んだことはたくさんあるので、自分が核になってクラブの新しい歴史を築いていきたいなと思っています。

 勝った、負けたがあるのがスポーツですし、クラブとしても、そのときどきでどんなサッカーをしたいのか、どういうチームにしたいのか、ひとつの軸を作るというのは難しいことです。それでもひとつの軸を作っていかないと先はないし、それは自分がやるべきだと思っています」

――オシムさんが去った後クラブが苦しくなるのは彼が偉大過ぎるからと言われましたが、彼が去った翌年にはジェフはナビスコカップを連覇しました。その後うまくいかなくなっていくときに、うまくいっていたやり方を知っている人が勇人さんはじめたくさんいたわけですから、それを再現しようとしたり、新しいやり方と組み合わせようとしたり、いろいろ試行錯誤したと思います。今から考えると他にやりようがあったと思いますか。

「難しいですねえ……。当時GMだった祖母井(秀隆)さんは、『何でもオシムさんと比べちゃ駄目だよ』と言っていました。『あの人は違うから』と。それも分かっているんですけど、分かってるけど考えちゃうというか。

 今でもそうなんですが、当時のメンバーで話をすると話題の中心はオシムさんになる。『あのときああだったね』とか。過去を美しいものとして取り上げるのはすべてがいいことではないとは思いますが、それでもオシムさんは会話の中心になってしまう。未来の話をしていても、オシムさんだったらこうなりそうとか、こんなことを言うとあの人は怒るかも知れないなとか。

 それも含めて自分のサッカー人生と、人としての人生に与えてくれたものはもの凄く大きくて、オシムさんという宝物と一緒に自分の残りのサッカー人生、クラブと歩む人生、自分の人生も歩んでいきたいなと思っています」

会いたいけど、絶対怒られる?

――この後、オシムさんにも電話で話を聞く予定ですが、聞きたいことがおありでしたら。

「聞きたいことというか……、会いたいですね。会ったときに絶対怒られるだろうなとは思っているのですが(笑)」

――会っただけで怒られるんですか(笑)。

「J2にずっといるし怒られるとは思っているのですが、でもそれさえも嬉しいなという。当時、選手はみんな、オシムさんの『ブラボー』を貰いたいがためにプレーしていた。オシムさんの声だけが試合中もやたら通るし、耳に入ってくるんです。オシムさんの生の声を聴けたらいいなあと思いますね。

 最初のうちは厳しさのほうが勝っていたんですが、オシムさんと毎日グラウンドで過ごすうちに、優しさを徐々に感じるようになっていったというか」

――優しい人だと思ったエピソードはありますか。

「本当にたくさんあるのですが……どれだけ厳しいことを選手に言っても、選手のことを考えていて、直接は褒めないけど間接的に選手の耳に入ってくるアプローチをする。試合に出ていない選手のことも常に見ている。

 ホテルでみんなでご飯を食べているときに、オシムさんは他のコーチたちと一切会話をしないんです。食べながら選手の顔をずっと見ている。凄く視線を感じて怖いんですけど(笑)、どの選手がちょっと元気がないなとか、誰と誰が仲がいいなとか、たとえ試合に出ていなくとも凄く気にしているんです。真の優しさを持った人だと改めて思います」

――それではオシムさんに伝えたいことはありますか。

「ひとつ言いたいんです。あるとき、選手たちの疲労がたまってきているのに休みが全然なくて、オシムさんがメディアの人たちに、そろそろ休ませた方がいいみたいなことを言った。でも『では、オフを与えますか?』と質問されたら、『休むのは引退してから休めばいい』とバサッと答えた。

 そのセリフが凄く心に残っていて、自分は引退したのに、オシムさんの言葉とか練習が身体に沁みついていて休めない(笑)。勘弁してほしいです。休んでいいハズなのに、ついトレーニングをしている自分に『俺、何やってんだ?』と。身体が休むことを拒否している(笑)。常に走っていたり動いていたいというように身体がなってしまっているので、これはちょっとオシムさんに言いたいと思います(笑)」

――(笑)。

嫌がるかもしれないけど、会いに行こう。

「真面目に言いますと、79歳になられたということで、誕生日おめでとうございます。自分も含めて日本中の方たちがオシムさんの元気な姿を見て勇気をもらっていますので、いつまでもお元気な姿を届けて欲しいと思います。

 そして、自分や、お世話になった選手一同、オシムさんは嫌がるかも知れませんが会いに行こうと思っていますので、そのときは叱ってください(笑)」

――この前電話で話したときには、『ジェフは私の人生のクラブだ。ジェフのようなクラブでまたやりたい』と言っていました。

「その原稿、読ませていただいたんですよ。滅茶苦茶嬉しくて、まだそういう風に思ってくれているのかと、本当にありがたいなと思いました。あのメッセージを見て以前からいるクラブスタッフもみんなもの凄くテンションが上がって、オシムさんがこんなことを言ってくれている、とみんなで喜んでいました。

 これだけ時間がたっても、皆がすぐにまた『オシムさん!』となれるのが凄い。オシムさんには感謝しかないので、いつまでも元気でいて欲しいというのが心からの思いです」

文=田村修一

photograph by Tamon Matsuzono