「一生に一度でいいからやってみたいのは、連合艦隊司令長官、オーケストラの指揮者、そして、プロ野球の監督だ」

 かつて、初代フジテレビ社長となるなどサンケイグループの総帥として知られ、1965年から3年間サンケイアトムズのオーナーも務めた水野成夫の言葉だ。なぜ、経済界の大物が「プロ野球の監督」に憧れるのか?

 知将と謳われた三原脩によると、「プロ野球監督とは指揮官の典型像であり、完全な指揮官であるからだ」と分析し、次のように結論づけている。

『完全な「指揮官」――それは、男の夢を駆り立てるものなのだ』

 だからこそ、長いペナントレースを勝ち抜き、日本シリーズを制した名将は人々の憧れの存在となり、監督たちのリーダーシップ、人心掌握術、管理テクニックがもてはやされ、その思考や言葉が1冊の本にまとめられるのである。

名将本の代表格、野村克也。

 現在発売中のNumber PLUSでの原稿執筆のためにそうした「名将本」を読み漁り、名将たちの言葉こそ、今を生きる人々の福音であり、それゆえに多くの「名将本」が発売されることをあらためて感じた。その代表例はやはり野村克也だ。

 2020(令和2)年2月の急逝後も、今もなお野村の新刊は刊行され続けている。彼の死後に発売された『野村克也の「人を動かす言葉」』(新潮社)は、まさに「野村の言葉」をテーマに編まれた一冊だ。「まえがき」で野村は宣言する。

『「監督とは言葉である」

 私の持論である。少し詳しく書くと「監督の言葉は力である」となろうか』

 そして野村は「言葉は、戦力である」と断言した上で、(1)挑発、(2)煽り、(3)嘘、(4)賛辞、(5)優しさに分類して、効果的な言葉の使い方についての持論を展開している。

西武の広岡達朗は「管理」を嫌った。

 自身の考えを言葉にして、書籍を通して多くの人々に説いたのは、野村だけではない。

「管理野球」で名を馳せ、ヤクルト、そして西武を日本一に導いたのが広岡達朗もそのひとりだ。彼の代表作である『意識革命のすすめ』(講談社)で、広岡は自身を象徴する「管理野球」という言葉に疑義を呈している。

『「管理野球」とマスコミは騒ぐ。しかし、私は『管理』という用語は好きではない。強権とか強制とか締めつけなどのイメージが浮かぶからだ。だから、私は、『教育』という言葉は新聞記者を前にしてもよく使うが、『管理』という言葉を、自分から好んで使ったことはない。

(中略)しかし、もし実際にこのような監督の強権行使が優勝に結びついた管理野球の勝利があるとしても、私は魅力を感じない。選手の存在が欠落した勝利だからである。監督だけが自己満足している優勝だからである』

……なるほど。おそらく本人以外のすべての日本人が「広岡野球」を誤解していることだろう。そして、選手たちは確実に「強権とか強制とか締めつけなどのイメージ」を持っていることだろう。しかし実際のところは、広岡野球とは「教育野球」だったのだ。

森祇晶が失敗を愛した理由。

 広岡達朗の後を受け継ぎ、西武黄金時代を築いたのが森祇晶だ。森もまた、『覇道』(ベースボール・マガジン社)、『責任者の條件 勝利への九つの設計図』(青春出版社)など、たくさんの「名将本」を出版しているが、ここでは『二勝一敗の人生哲学』(講談社)を紹介したい。

 ちなみに、'80年代後半にヤクルトを率いた関根潤三には『一勝二敗の勝者論』(佼成出版社)という著書がある。当時の西武とヤクルトのチーム力の差は書名にも表れるのだ。本書で森は「プロ論」を説く。

『人生の勝ち負けは、当人しかわからない。前述したように、プロとは挑戦し続ける者、勝つ技術を磨き続ける者のことだとしたら、それを実践している者は、自分の人生に勝ち続けているのだと思う。それが本物のプロである。

(中略)自分を必要とする場所で、自分を必要とする人々のために情熱を傾け続ける。そういう生き方ができる人間こそ、一流の男だと思う』

 その一例として、西武でエースだったにもかかわらず、現役を続けるために環境の悪い台湾球界で奮闘した渡辺久信の例を挙げるのである。愚直を貫いて一流になる人間は、失敗の中で育っていくしかない。渡辺の生き方はすばらしいと大絶賛なのだ。また、本書には盟友・野村克也についての言及もある。

『私も野村監督もキャッチャー出身で、似たような思考方法をとる。最近は顔つきまで似てきたと言われる。とくに目つきが似てきたそうだが、別にうれしくはない。野村監督もきっとそう言うだろう』

 あらためて、'92(平成4)年、翌'93年、西武とヤクルトが激突した日本シリーズを称して「キツネとタヌキの化かし合い」と呼ばれていたことがよみがえる。

三原脩も「魔術」と呼ばれることを嫌っていた。

 自らの指導スタイルについて、広岡が「管理野球」と呼ばれることを好んでいなかったように、「魔術師」「三原マジック」と称された三原脩も、こう呼ばれることに反発があったという。『勝つ 戦いにおける“ツキ”と“ヨミ”の研究』(サンケイドラマブックス)では、ハッキリと次のように述べている。

『わたしの采配を三原魔術と人は言う。

 むろん、わたしは魔術師でもなければ、手品で勝負に勝ってきたわけではない。だからこの言い方は、正直言ってあまり好きではない』

 また、三原脩には『人づかいの魔術 私の野球人生から』(講談社)という著作もある。本人がいくら「あまり好きではない」と言っても、出版社にとってはやはり「魔術」というワードは外せないのは仕方がない。タイトル通り、この本は徹頭徹尾「人づかい」について、三原流ノウハウが披歴されている。

『上に立つ人であればあるほど(地位が高くなるにつれて)にこやかにするべきだ、と考える。なぜなら、上に立つ人の方が目下のものより、精神的優位に立っているからである』

 とにかく、「上に立つ人はにこやかにしろ」と力説した後に三原は言う。

『不機嫌のときのデメリットは、意思伝達の道まで閉ざすだろう。相手が恐れて近づかない。自然情報量不足にもなりかねない。

 それに引き換え、上機嫌であれば、人は集まり、和やかな輪もできる。どちらが収穫が多いか、すぐわかることだ。自分の意思をコントロールすることで、これだけの違いが生まれるとしたら……恐ろしいと思うくらいである』

 さらに、三原は「窓際族をスカウトせよ」と説き、以下のように解説する。

『うだつのあがらない社員は、窓際族とは呼ぶまい。それだけ、自嘲気味、軽蔑的にいわれるが、“もと実力者”という見方もできるわけだ。もし、他へ移ってラインに入れるなら、きっとやるタイプなのである。それが他社でも他のセクションでも、移りさえすれば、もう一度、男の花道が歩める……そうした実力派こそ、真の窓際の男なのである』

 こうして、大洋監督時代の三原は、なかなか出番に恵まれずにふて腐れていた近鉄の鈴木武に電話をして「どうしても君が必要なのだ」と説得してトレードで獲得。鈴木の入団により、他の選手がよみがえり、'60年大洋優勝の原動力となった実例を挙げている。

落合博満は「オレ流」ではなく、「マネ流」。

 現役時代に「オレ流」で鳴らした落合博満も、'04年から'11年までの8年間中日の監督を務め、在任中はすべてAクラスに。1位は4回で、'07年は2位だったもののクライマックスシリーズを勝ち上がって日本シリーズに進出。見事に日本一に輝いている。

 彼が退任後すぐに発売した『采配』(ダイヤモンド社)も、珠玉の「名将本」である。

 注目すべきは「オレ流ではない。すべては堂々たる模倣である」と題された項目だ。現役時代には、『なんと言われようとオレ流さ』(講談社)を出版した落合のまさかの変節なのか? 落合は野村克也の「ID野球」に対して、あまりいいイメージを持っていない。

『野村監督のその手腕は見事である。また、データ分析を重んじる頭脳的な野球は私も嫌いではない。だが、データ野球が徹底した反復練習を疎かにさせ、太く長く活躍できる選手の台頭を阻む一因にもなっていると考えていた私は、ドラゴンズの監督に就任すると、どの球団よりも長く厳しい練習で選手を鍛えようとした』

6日練習して1日休む「6勤1休」という、ある意味で時代に逆行する練習スタイルをマスコミは「落合流」と称した。これに対して落合は「私のやり方は過去に誰かが実践していたものを模倣したに過ぎない」と反論する。

『そうやって自分がいいと思うものを模倣し、反復練習で自分の形にしていくのが技術というものではないか。ピアニストや画家と同じ。私の記憶を辿っても、プロ入り後にチームメイトや対戦相手の選手を手本にしたのは一度や二度ではない。模倣とはまさに、一流選手になるための第一歩なのだ』

 つまり、現役時代の落合は決して「オレ流」ではなく、他の選手の模倣だと力説するのである。まさかの「マネ流」!

 広岡達朗は「管理野球」を、三原脩は「三原魔術」を、そして落合博満は「オレ流」をことごとく否定する。いつの時代も、とかく名将たちはマスコミが作り上げたキャッチフレーズが気に食わないようである。一筋縄ではいかぬ者たちだからこそ、「名将本」はやっぱり面白いのだ。

文=長谷川晶一

photograph by Tamon Matsuzono