「第1回選択希望選手、西武……森山良二、投手、ONOフーズ」

 1986年のドラフト会議での出来事だ。

 会場にパ・リーグ事務局広報部長の伊東一雄さんの甲高い声が響いた瞬間に、本当に西武関係者を除く全員が「アッ」と息を呑んだ。報道陣の間では「森山って誰? ONOフーズって何?」とそんなヒソヒソ声がさざ波のように静かに広がっていく。

 その中で、西武の根本陸夫管理部長の目だけが自信満々に光っていた。

「本人がどうしてもプロに行きたいって言うけん。ほんじゃあちょっと観にきてくれんかのうと、根本さんに頼んだんですわ」

 後にこの顛末を聞いたのは、北九州市にある食品会社「ONOフーズ」の当時の社長だった小野昭二さんである。

大学を中退させて半年間、トレーニングを積ませた。

 森山は福岡大附属大濠高校の出身で、3年生の1981年夏には甲子園大会にも出場。初戦の函館有斗戦では5安打2失点で完投勝利を収めている右投げの投手だ。

 高校卒業後は早稲田大学進学を目指して2浪したが、あえなく受験に失敗。その後、北九州大学に入学して野球をやっていた。その時にプロ志望ということで、知り合いに紹介されたのが、早稲田大学野球部出身で球界に顔の広かった小野さんだったのである。

「お願いすると根本さんが小倉まできて直接、観てくれた。すると『小野ちゃん、これは本物ぞ。ウチは1位でいく』となったんです」

 そうと決まればと、根本さんの指示でプロ入りの準備のために大学を中退させて「ONOフーズ」の社員として少年野球の指導をしながら半年間、トレーニングを積ませた。

 そうして他球団がノーマークの中で、いきなり1位指名して世間をアッと言わせ、プロ2年目の88年には10勝を挙げて新人王に輝いた。

埋もれている選手をどうやって見つけたのか?

 当時はいまの様にアマチュア野球を詳報するサイトもないし、高校生も卒業に際してプロ志望届を提出する必要もない。

 甲子園にも出場できないで、名前も知られずに埋もれている選手は地方のあちこちにいた。そういう選手を根本さんは独自に発掘して世間をあっと驚かせるのが得意だった。

 森山もそういう選手の1人だったというわけだ。

 それでは根本さんはそういう選手の情報をどうやって集めるか? 

 それが人だったのである。

 小野さんは旧知の間柄だった稲尾和久さんや楠城徹さん(現九州国際大学附属高校監督)らとの縁で根本さんと知り合った。根本さんは小倉に来れば、必ず連絡があり一緒に食事をして酒を飲んだ。

 別に何を求めるわけではなかった。損得抜きの間柄だったから、小野さんが森山のことを考えた時に、逆に最初に頭に浮かんだのが根本さんの顔だった。

情報をもたらしてくれるのは、やはり人。

 スカウティングは情報である。

 その情報をもたらしてくるのは、やはり人なのである。

 だから伝説のスカウトマンである根本さんは人を大事にした。

 インターネットが普及し、全国の高校野球の地区大会や地方の大学リーグに至るまで、パソコンのキーボードを叩けば即座に情報が集まる時代だ。

 しかしそんな時代に根本さんがやっていた、スカウティングの基本に立ち返る様な制度を立ち上げたのが巨人だった。

 全国各地にいる球団出身の21人と「OBスカウト」として契約を締結。情報提供などの協力を得て、今後のスカウティングに役立てていこうというシステムだ。

育成ドラフトで生きる情報。

「こういうご時世になって、色んな意味で逆にネットワークを広げる必要がある。ジャイアンツには全国に非常に野球を愛し、野球に情熱を持っているOBの人がたくさんいる。その中の何人かに全国OBスカウトという形で一員になって頂いたということです」

 こう語るのは制度の発案者でもある巨人・原辰徳監督だ。

 昭和のドラフトでは、それこそ1位から森山のような“隠し球”が飛び出すことがあったが、情報化が発達したいまは正規ドラフトではまずそういう1位指名が出てくることはない。

 もちろんドラフトの下位指名で他球団がノーマークの選手を指名することもあるが、さらにそういうスカウティングの情報が生きる場所があるのだ。

 それが育成ドラフトである。

千賀のシンデレラストーリーの始まり。

 育成ドラフトの成功例として、誰もが真っ先に頭に浮かべるのがソフトバンクの千賀滉大投手だろう。この千賀が全国に散らばっている無名の人の情報によって、掘り起こされた人材だったことはあまりに有名な話だ。

 この愛知県立蒲郡高校出身の無名右腕を見出したのは、名古屋市でスポーツ店を営んでいた西川正二さん(故人)という人物だった。

 地元で中学生のシニアチームの監督を務めていた西川さんは、千賀の噂を聞きつけて、わざわざ自分で足を運んで蒲郡高校の試合を観にいった。

 そこでその潜在能力に惚れ込んで、スカウトに売り込みそれに応えたソフトバンクの育成指名に漕ぎ着けたという話だ。

 これが千賀のシンデレラストーリーの始まりだった。

三軍制度や育成システムの充実もあるが……。

 千賀だけではなくソフトバンクでは育成ドラフトで指名された甲斐拓也捕手や石川柊太投手に二保旭投手、牧原大成内野手らが続々と花を開かせている。

 もちろんそこには独特の三軍制度や育成システムの充実もある。

 ただ、やはりまず才能を獲ってくるということが始まりだ。そのために日本全国の一芸に秀でている才能、埋もれている逸材たちの情報をどこまで集められるか。

 ソフトバンクの前身のダイエーホークス時代に根本さんが築き上げたスカウティングシステムが、このチームには脈々と受け継がれている。結果として千賀をはじめとした育成選手の成功があるのは、無関係ではないだろう。

「生まれた時から知っているよ」

 大事なのは目の前だけではない、と原監督は言う。

「5年計画で見るのか、今年だけ見るのか。例えば担当スカウトも小学生の時からは見られない。でも地元に密着していれば、生まれた時から知っているよ、と言う人もいるでしょう。

 そういう目の届かないような部分も見て頂く。そういうことを地元のOBの人たち、特に少年野球に携わっている人たちに是非ともお願いがしたい」

 実は今回契約した21人のOBスカウトの多くが、地元で少年野球の指導をしている人々だ。地元に密着して、長い時間をかけて選手の成長を見て、その上で評価できる。高校では伸び悩んでも、持っている素材としての大きさをきちっと見続けられる。

 そこに地元密着の意味がある。

 しかもそういう地元密着で巨人のスカウティングだけではなく、野球界への寄与にもつなげたいというのがこの制度のもう1つの目的でもある。

球団だけでなく球界にも貢献できる制度。

「もちろん色んな意味でいい選手を発掘するのが目的です。しかし例えば(進路の)相談とかもあるでしょう。高校を卒業してプロに直接行くより、大学に進学した方がいいかもしれないとか。

 もちろん監督さんや先生もいるんですが、プロ野球を経験している人がそういう指南とかもできるというのもあると思います」

 地元に根付いて、地元の野球をやる子供たちの相談役にもなれる存在になって欲しい。そうして巨人出身の元選手たちが球団だけでなく球界にも貢献できる制度として、このOBスカウト制度は発足した。

 スカウティングの情報収集ではときには、身分が曖昧な方が動きやすいときもある。

 しかし、原監督のたっての願いで、OBスカウトたちは巨人軍の名刺を持って行動してもらうことになったという――そこに込められているのが巨人を代表しているというプライドと、そして責任感ということである。

文=鷲田康

photograph by KYODO(L),Hideki Sugiyama(R)