那須川天心の2020年初ファイトは、90秒で終わった。

 7月12日の『RISEonABEMA』無観客大会。メインイベントに登場した那須川は昨年大晦日以来の試合に臨み、公募から選ばれたシュートボクシングの日本フェザー級1位、笠原友希を1ラウンド1分30秒で下している。

 公式記録は3ノックダウン。ラウンドの半分の時間で3度倒したわけだ。

「気がついたら倒れてました」と笠原は言う。「同じリングに立てたことが嬉しかったです。これが那須川天心なのか、と思いました」とも。圧倒されるしかなかった、というところなのだろう。彼は21歳の那須川よりも年下、まだ19歳である。応募者の中では最も実力があったはずだが、それでも那須川天心は次元が違った。

「差をしっかり見せようと思ってました。違う世界を見せてやろうと」

 勝利者インタビューでの那須川の言葉だ。こともなげにそう言って、誰もが納得できてしまう勝ちっぷりだった。

 この無観客試合は、那須川が試合後に言ったように「格闘技が帰ってきました」と世間に伝えるためのものだった。格闘技業界に向けての“そろそろ動き出そう、また面白いことをやってやろう”というアピールでもあった。自分が動くこと自体にメッセージ性があることを、那須川はよく理解していた。

“自粛明け”でも成長していた天心。

 緊急事態宣言下では、ジムでの十分なトレーニングはできなかった。しかし那須川は、それをまったく言い訳にしなかった。曰く「毎日、何ができるか考えました」。

 ベースは少年時代からの父との練習だ。創意工夫で強くなった実感があるから、練習が制限されても、その状況での最善を尽くすだけ。その思考そのものにも那須川の非凡さがある。

 実際、彼は“自粛明け”である今回の試合で、調子を崩さなかったというだけでなく明らかに成長していた。本人も「課題が克服できたと思います。幅広い勝ち方だったり」とコメントしている。

「また必殺技が増えちゃった」

 ストレート系のパンチを得意としてきた那須川だが、この試合でダウンを奪ったのはすべてフックだった。

 最初は左で倒し、続く2ダウンは右。ファーストダウンの直前に放った、前蹴りをさばいた手をそのまま当てる右フックも的確だった。

 試合のない期間、ずっと磨いてきたフックの手応えは「また必殺技が増えちゃった」と言うほどだった。

「練習したことが出たというか、出るまで練習した」

 インタビュースペースで「右フックにはこだわっていた?」と聞かれ、彼は「こだわってましたね。練習でこだわってました」と答えている。このあたりが那須川の、いわば“格闘哲学”だ。

「練習したことが出たというか、出るまで練習したんですよ。“そりゃ出るよな”って」

 筆者の知る限り、試合に敗れた(勝っても不完全燃焼だった)格闘家のコメントとして最も多いのが「練習してきたことが出せなかった」だ。しかし那須川は練習してきたことが出せる。それは「出るまで練習した」からなのだ。

 だが那須川自身は、特別なことをしているつもりはない。

「結局はやりこむこと、コツコツやることです」

 何か“天才”ならではの特殊な方程式があるわけではないのだ。

「1つのことを覚えたら、前に覚えたことを忘れてしまうことがある。僕は前にやったことも忘れないようにしながら新しいことを覚えるようにしてきました。ずっと、少しずつ足していく作業を繰り返してきたんです」

 その強さを体感した笠原は、こう語っている。

「攻撃の形だったり体つき、気持ちの部分で努力の違いを感じました。那須川選手は天才なのに努力もしている。努力しているからあそこまでいけるんだなって。自分はまだまだ及ばないと思いました」

無観客試合で出た、強さの本質。

 無観客試合であることも、那須川の闘いに影響を与えたようだ。

 入場時の顔つきは、いつも以上に研ぎ澄まされているように見えた。万単位の観客を煽り、その声援を浴びて輝くのではなく相手を倒すことだけに集中しきったような表情だ。

 本人も「いつもより“入(はい)れた”し、相手の動きがよく見えました」と言う。そこから、隙のない圧勝も生まれた。

「お客さんがいたとしたら、多少は試合ぶりも違うものになってたかもしれないですね。1回2回、ダウン取ったところで大技を狙おうというのが、今日はなかったので」

 観客を魅了する、インパクトを残す。そのことで格闘技というジャンルを引っ張る。

 那須川天心というファイターは強烈なプロ意識の持ち主だ。しかし半年ぶりかつ無観客の試合では、彼がもつ“強さの本質”だけがむき出しになったということだろう。いわば“純度100%”の那須川天心だ。

 事実だけを見れば、今回の試合は「年齢もキャリアも下の相手に順当に勝っただけ」ではある。しかしそういう試合で「さすが那須川」と思える内容と言葉を残してみせた。

 那須川天心は強くなり続けている。そして強さの質が豊かになっている。だから“順当勝ち”をこんなにも楽しめるのだ。

文=橋本宗洋

photograph by (C)RISE