昨年度の全国高校サッカー選手権大会、名門・静岡学園高校が24年ぶりとなる2度目の優勝を手にした。すでに鹿島アントラーズ入りを決めていたエースMF松村優太のドリブルなど技術の高さを生かした攻撃サッカーは、“王国復活”を印象付ける同校初の単独優勝だった。

 10番を背負った松村には否応なく大きな注目が集まったが、同時にその後方で異彩を放つ2年生サイドバックにも視線が集まった。

 田邉秀斗。180cmの高さ、スピード、豊富な運動量、そして強度の高いスプリントの中で冷静に状況を把握して判断を変えられる思考の速さ。サイドバックとして必要な能力を持ち、将来さらに化けるポテンシャルを秘めた新星だ。

 8月13日、最高学年となった田邉は先輩・松村の後を追うようにJリーガーになった。来季、川崎フロンターレへ加入内定を勝ち取ったのだ。

「まさか自分にフロンターレさんから声がかかるとは思っていませんでした」

 それは彼にとって予期せぬ出来事だった。

田邉も驚いた川崎からのオファー。

 2月上旬、授業を受ける田邉のもとにサッカー部の川口修監督がやって来た。この日は部活がオフのはずだったが、「今日、フロンターレのスカウトの向島(建)さんが来るから放課後に面談室に来てくれ」と告げられた。

「最初は意味が分かりませんでした。向島さんとは選手権の時にご挨拶をしていたくらいだったので。なぜいきなり学校に来て僕と会うことになったのか。『もしかしてフロンターレに練習参加させてもらえるかも?』と期待する自分がいれば、『いやいや、さすがにそれはないだろう』と思う自分もいて。頭の中で行ったり来たりしていました」

 面談室に向かうと、すでに川口監督と向島スカウトが席に着いていた。

「松村さんも何回か(鹿島の)練習に参加した上で内定を決めていましたし、そうやって話が進むものだと思っていたので、いきなり向島さんから『ぜひ来てほしい』と具体的なお話をいただいたことには驚きました。(この時点で)正式オファーになっていることにもうついていけなくて……。

 もちろんずっとプロになりたいと思っていましたが、まだ自分の実力は到底及ばないと感じていたし、そもそもプロなんて簡単に口に出していいものではないと思っていたので、信じられませんでした」

 面談室を出た時、ぎゅっと握りしめていた手は汗でびっしょり。すぐに親に電話をして報告すると、「行く気があるなら決めなさい」と言葉をもらった。田邉はすぐに回答を川口監督に伝えた。国内トップレベルの環境へ飛び込むことに躊躇はなかったと振り返る。

中学時代は無名、県トレセンも選ばれず。

「技術を重視するクラブであるフロンターレでは、現実(技術の違い)を突きつけられると思うし、少しでも気を抜いたら置いていかれる環境だと思っています。そこに覚悟を持って飛び込むからこそ、成長できるという確信もある。それ以上にフロンターレというチームが僕を欲してくれたのに、他のクラブの話を待とうとか、話を聞いてから決めようなんて思いは一切ありませんでした」

 田邉は京都府の南に位置する相楽郡出身。中学時代は実家から車で15分程度の場所に拠点を構える奈良YMCAジュニアユースでプレーした。実力者たちが揃う強豪クラブでは中2まではベンチ入りすらできず、県トレセンにも引っかからない存在だった。

「(高校では)上でやりたい気持ちはあったけど、自分の実力では強豪校から声がかかるなんて絶対にないと思ったし、本気でサッカーをするのは中学までかなと思っていました。普通に受験をして、京都の公立校でサッカーをやろうと」

「何で俺が?」静学入学も即決だった。

 中学2年の12月、とあるフェスティバルで田邉にチャンスが巡って来た。奈良YMCAの主力9人が県トレセンの活動のため不在にしており、この試合に抜擢されたのだった。CBとしてプレーした田邉の姿は、そこに視察に訪れていた静学関係者の目に留まる。

 もともと奈良YMCAにはテクニシャンが揃い、技術の高さが求められる静学へ進む先輩も多かった。しかし、この年に進学したのは県トレセンの9人ではなく、「技術に自信がない」と語っていた控えメンバーの田邉だった。

「何で俺が? 何かの間違いでは?」

 当時の記憶も、川崎からオファーをもらった時と同じだ。それでも「断る理由はありませんし、他の選択肢なんて考える余裕はありませんでした」と即決。上でチャレンジできるチャンスがあるなら迷わない。田邉のメンタリティーはこの頃からずっと変わっていない。

「想像を超える成長をするかもしれない」

 ただ、なぜ静学、そして川崎も彼をここまで評価したのだろうか。川口監督は回想する。

「奈良YMCAジュニアユースをウチに招いて練習試合をしたんです。そこで僕もコーチも田邉に大きな魅力を感じた。走り方が綺麗でスピードもあり、両足でもしっかりと蹴ることができていた。それに未完成の選手ゆえに『技術を植え付ければ、想像を超える成長をするかもしれない』と将来性を感じました。声をかけたら、『ぼ、僕が静学行けるんですか?』と目を丸くして、ピュアな反応をしていたのも好感が持てました」

 高1の1年間はCBとして技術を磨いた田邉は川口監督はサイドバックにコンバートする。

「どんどん前に仕掛けていく選手だったし、将来性を考えて違う景色でプレーさせて学ばせたいと、ある練習試合でサイドバックに回してみたら彼のプレースタイルとがっちりハマった。両足が蹴れるので、左サイドバックに置くことにしました」

 ボールを受けてからのカットインや突破、空中戦の強さ、ビルドアップのうまさを発揮して頭角を現した。

「自分がサイドバックをやるとは思いませんでしたが、見える景色がこれまでと違うし、役割も違う。サイドでの攻守だけでなく、ボランチのカバー、CBのカバーとビルドアップの関わりを学べたことで、どんどんサイドバックの魅力にハマっていきました」

相乗効果を狙った松村とのコンビ。

 左サイドバックを天職と思い始めた矢先の昨年9月下旬、「YASUサッカーフェスティバル ミズノカップ2019」で田邉は右サイドバックにコンバートされる。

「サイドバックに人数が足りず、ボランチの左利きの選手をミズノカップ直前に左サイドバックに置いたら非常によかった。なので、田邉を右にコンバートして、松村と組ませたら面白いし、松村によってもっと能力が引き出されるんじゃないかと思った」(川口監督)

 川口監督に新たに与えられた高速ドリブラー松村との連動というタスクは、想像以上に困難なミッションであった。だが、田邉はそれをこなして、急成長を遂げていく。

「(松村さんと)同サイドになって驚いたのは、『こんなに速かったのか』ということ。あまりにも速すぎて、オーバーラップのタイミングも難しいし、最初は追いかけることで精一杯でした。運動量も意識するようになりましたし、松村さんに対して相手DFは2、3人付いてくるので、できるだけ僕の動きで(相手を)引き付けてドリブルをしやすい環境を作らないといけない。

 左サイドの時は自分がいかにいい形でボールをもらえるかを考えながら動いていましたが、右サイドになってからは松村さんがプレーしやすいように僕が走るというプレーに切り替わった。そうなると、もうただのサイドバックではダメなんです。『サイドハーフが2人いる』と思わせるぐらいに高い位置まで飛び出していかないといけない。だから、僕が思い描いていたサイドバック像は一瞬にして変わりました」

後輩が感じていた先輩の「成長」。

 高速ドリブルで何人も切り裂いていく松村をサポートする田邉の働きもあり、静学はミズノカップで優勝。それ以降、田邊の定位置は右サイドバックとなった。ちょうど右サイドバックへのコンバートのタイミングで、松村の鹿島入りの話が具体的に動き出していた(正式発表は10月10日)。松村自身もプロ入りが決まったことで意識が大きく変化をし、進化を遂げていた時期だった。

「松村さんは年代別代表に選ばれたり、プロ内定が決まったことで、僕が見ただけでも分かるほど明らかに『成長』していました。食事への意識もそうですし、取材の受け答えも考えながら話をするようになった。

 プレー面での変化も大きくて、より自分がチームのために点を取る、仕掛ける、アシストをするという意識を持ってプレーしているので、プレースピードが上がっていた。人間はきっかけ1つで変われるんだなと教えてもらいました」

 松村の成長に引っ張られるように彼もまた力を伸ばしていった。選手権の頃には運動量は増え、同時にトップスピードに乗った状態での判断力も身についた。

「松村さんは中央へ行く時と、縦に行くときのボールの持ち方に特徴があったので、それを見ながら自分の走るコースを決めていました。左の時より運動量もスプリントの強度も、上がるタイミングもより頭を使って変化させることを意識しましたね」

 松村のポジショニング、ボールの受け方、加速を見て、プレーの意図やドリブルコースを瞬時に読み取り、サポートの位置を変える。選手権予選までは松村について行くことばかり考えているように見えたが、本番ではあえて松村1人に託して、田邉自身は連動しながらカウンターのケアをしたり、他の選手が松村をサポートに行ったことで出来たスペースを埋めるなど、明らかにインテリジェンス溢れるプレーが目立つようになった。

綿密なスカウティングでの評価。

 こうした着実な成長が、川崎の評価にも繋がった。向島スカウトは昨年の5月のインターハイ予選で田邉を見て、一気に興味を持ったという。

「多くのJクラブが松村選手の獲得に動く中、僕は2年生の選手を探していたら彼に目が留まった。身体能力が高く、何より立ち姿が素晴らしかった。技術的にはウチに来てもまだまだだけど、将来性は抜群だなと思った」

 ここから向島スカウトは彼を追い続けると、その魅力にどんどん引き込まれていった。

「スピード、身体能力、左右のキックが魅力で、ボールをきちんと止めて、一気にゼロから加速できる。それに、ここぞという時にボールを奪う、裏に抜け出す、突破する力強さを持っている。今のサイドバックはたくさんボールが入ってくるポジションになったし、プレスがかかるポジションだけど、2年生ながら慌てないし、余裕すら感じるのが並の選手ではないなと。選手権の時はずっと『他のクラブに気付かれるから活躍しないでくれ』と思っていました。そうしたら予想通りに活躍して、一気に注目選手になったので選手権後にすぐに動きました」

 この経緯を経て、あの面談室の話に戻る。田邉にとっては青天の霹靂だったが、実は1年前から動き出していた綿密な評価に基づいた獲得オファーだった。

「あの面談の日はもう一生忘れないと思います。寮の部屋に戻ってから、まだ信じられなくて、その日の夜は眠れなかった。だんだん驚きから嬉しさに変わって、そうしたら今度は不安が出てきた。うまくて、強いチームなのに僕なんかが行っていいのかと……。でも、やるしかない。やってやる。1日でいろんなことを考えた日でした」

課題を発見する力と修正力。

 田邉は今、さらにサイドバックとして成長の歩みを進めている。

「右サイドバックの時は利き足(右足)でトラップをして、そのまま同サイドの味方にパスを出せる利点がありますが、デメリットは左足にボールが入ってしまった時に、体が後ろ向きになってしまい、プレーのスタートが遅れてしまう。

 逆に左サイドバックの時は、左足でトラップすることが多いので、その時は右足を使って縦にも中にも仕掛けられる。でも、デメリットは左で持った時に中(央への進路)を切られてしまうと、左足でフィードやクロスをしないといけないので、右と比べると質が下がる。

 自分の中で左右のメリットとデメリットを整理すると、ボールを持ったときに左足の精度と身体の使い方が課題だと明確になりました。なので、今は左足でのボールタッチ、ターン、クロス、パスの回数を意図的に増やして取り組んでいます」

 7月23日の尚志高(福島)との試合を取材した時、左サイドバックとしてプレーする彼の左足のキックのパワーと精度、トラップの技術は確実に上がっていた。こうした課題を発見する力とその修正力、そして向上心も彼の大きな魅力である。それを見抜いたのが静学と川崎だった。

「いまはまだプロとしては足らないところだらけですが、マイナスのところをゼロ以上にして、プラスは今まで以上の武器にして、苦手なところさえも自分の武器にするようにしたいです」。

頼りになる静学OBの存在。

 川崎のサイドバックと言えば、ハイレベルな技術と戦術眼が求められる。ビルドアップ、ポゼッションからラストパスにかけて何でもこなせる選手でないと成立しない。だからこそ、サイドバックとしての成長にはもってこいの環境だろう。さらに川崎は彼を左右のサイドバックとしてだけでなく、CBとしても計算しており、「サッカー選手としてDFラインをすべてできることは重宝される存在になれるチャンスだと思っています」と田邉自身も前向きに捉えている。

 そして、何より川崎には大島僚太、長谷川竜也、旗手怜央という、静学の偉大なる先輩が3人もいる。

「本当に心強いです。3人のように活躍をしないといけないプレッシャーもありますが、肩を並べる選手になりたいですし、プロに入ったら相談に乗ってもらいたいです。

 僕がBチームにいたとき、順天堂大時代の旗手選手が教育実習で来校されていて、一緒にプレーしたことがあります。初めてプロのレベルに近い選手とプレーして、『桁違いに速い』と感じました。すべての質が高く、こういう人がプロになるんだなと。2週間一緒にいましたが、当時は恐れ多くて喋れなかった。でも、その人とチームメイトになるのは不思議で、1年生の時の自分に『お前、後にチームメイトになるんだぞ』と教えてあげたいですね」

 新型コロナウイルス感染症拡大により、仮契約を結ぶまでに時間がかかったが、ようやく正式発表の日を迎えることができた。

「静学とフロンターレに声をかけていただいたことで、僕の人生が大きく変わった。静学は僕のサッカー人生の分岐点でもあるので、残りの時間で静学の名前を全国でもっと広められるようにしたい。

 また、これから『選手権優勝メンバー』というよりも、『フロンターレに入る選手』として周りから厳しい目で見られると思うので、内面から鍛えて、磨いて、卒業するまでに人としてしっかりと大人になった状態で(プロ生活に)臨みたいし、『やっぱり静学の選手はさすがだな』と思われる選手になりたい。それが僕にとっての静学への恩返しだと思っています」

 人生を変えたのは彼のまっすぐな向上心とチャレンジ精神があったからこそ。実直に歩みを進める者にチャンスの女神は必ず微笑みかける。それはこれからも変わらない。

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando