今週末のJRAの重賞は2つ。新潟競馬場で行われる新潟2歳S(GIII)と札幌競馬場のキーンランドC(GIII)だ。

 3年前のキーンランドCを勝ったのがエポワス。美浦・藤沢和雄調教師が管理する当時9歳のセン馬だった。

 この時のエポワスは13頭立てでブービー12番人気という低評価。3週間前に札幌競馬場の芝1200メートルという全く同じ舞台のUHB賞(オープン特別)を走っており、そこで11頭立ての7着。重賞になるここで更に人気を落とすのも頷けた。

 C・ルメール騎手を背にスタートを決めたエポワスだが、その後向こう正面では最後方まで下げて競馬を進めた。3コーナー過ぎで馬混みを割りながら徐々に進出。とはいえラスト200メートルでもまだ先頭とは差があり、苦しいかと思われた。しかしそこから末脚を炸裂。馬群の中をただ1頭伸びてゴールではきっちり差し切ってみせた。

「馬が救ってくれたという感じ」

 こうして自身初の重賞制覇を決めたエポワスだが、人気がなかった理由と思われることがもう1つあった。先述した通り3週間前にはレースに出ていた同馬だが、このキーンランドCでの馬体重は前走比プラス20キロの496キロ。僅か3週間での大幅な馬体増に「滞在競馬で絞り切れなかったのでは?」との声が上がったのだ。レース後、この点を問われた藤沢調教師は「増えていましたね」と笑いながら言った後、次のように答えている。

「体重に関しては厩舎でも『おや?』という感じです。前走時が減っていた(その前から8キロ減)ので戻しているとは思ったけど、何か特別なことをしたわけではないのでここまで増えているとは思いませんでした。負けていたら仕上げ切れなかったと言われちゃうところ。馬が救ってくれたという感じですね」

藤沢調教師が競馬にもたらした革命。

 さて、そんな藤沢調教師はこの6月の函館競馬場にシークレットアイズを送り込み見事に1着。これがJRA通算1500勝目のメモリアル勝利となった。

 この記録は過去に尾形藤吉元調教師のみが達成していた数字。つまりJRA史上2人目の大記録。尾形藤吉氏が数々の偉大な記録を残している素晴らしい調教師であることに疑いはないのだが、当時と現在ではあまりにも競馬の仕組みそのものが違い過ぎる。そういう意味で、藤沢調教師の記録は近代競馬史上初の大記録と言っても過言ではないだろう。

 この現代の伯楽が日本の競馬界に多くの革命をもたらしてきた事は、ホースマンは勿論、競馬ファンなら誰もが知るところだろう。本人は「イギリスのニューマーケットで学んできた馬にとって良いと思える事をそのまま持ち込んだだけ。革命でも何でもない」と一笑にふすが、例えば今では当たり前になっている馬なり調教や集団調教を日本で最初にやったのも彼だった。新しい事をやればそれなりに反発はあったようで、結果が出るまでは周囲の反発も強かった。身内である厩舎の内部から反対の声が上がることすらあったそうだ。

“選択と集中”の重要性を。

 しかし、信念に従い、妥協しない姿勢を貫き通す事で徐々に結果を出して行った。

 そんな姿勢の1つに距離別体系に合わせた馬の使い方というのがあった。ひと昔前は、デビュー当初は短い距離を使っていても、出世するに従って長い距離を使うようになるのが当たり前だった。レース番組自体も距離別の体系が整っていない事もあったが、元々1200メートルを走っていたような馬が2400メートル戦や場合によっては3200メートルの天皇賞に出走してくるなんて事も決して珍しくはなかった。

 そんな中、藤沢調教師は厩舎を開業した早い段階から、管理する各馬の個性に合わせて一貫した距離を走らせた。いわば“選択と集中”の重要性をホースマンに知らしめたのだ。

距離適性を考えて成し遂げたこと。

 例えばシンコウラブリイ。1993年にマイルチャンピオンシップ(GI)を勝利し、厩舎に初めてGIのタイトルをもたらした彼女にはデビュー以来一貫して1600メートル前後の距離を走らせ続けた。今でいう3歳の秋の時点で、同期のほとんどがエリザベス女王杯(GI、秋華賞創設前で、3歳牝馬の秋の大目標は当時、3歳限定の2400メートル戦のこのレースだった)へ向かう中、藤沢調教師はシンコウラブリイの距離適性を重視してマイルチャンピオンシップに挑戦させた。結果は2着に敗れたが、その後もマイル前後を走らせ続けた結果、翌93年にマイルチャンピオンシップを優勝したのである。

 また、バブルガムフェローの活躍も藤沢調教師ならではと思えた。95年に朝日杯3歳S(現在の朝日杯フューチュリティS、GI)を優勝したバブルガムフェローを、その直後から「来年の秋は菊花賞へは向かわず天皇賞に挑戦させる」と明言。実際、その通りの使い方をして3歳で天皇賞(秋)(GI)を制覇させた。3歳馬同士の3000メートルの菊花賞よりも、古馬混合でも2000メートルの天皇賞を選択したのは、当然、バブルガムフェローの距離適性を考えての事だった。

C・ルメール「さすが藤沢先生」

 冒頭で紹介したエポワスは、シンコウラブリイやバブルガムフェローのようにGIを勝った馬ではないが、伯楽が徹底してスプリント路線を走らせ続けた事が、キーンランドC制覇につながったのは言うまでもない。ちなみに前走比20キロ増で重賞を勝ったパートナーについて、手綱を取ったC・ルメール騎手はレース直後、笑いながら次のように語っている。

「さすが藤沢先生。9歳馬をまだ成長させてみせた」

 さて“選択と集中”という使い方が当たり前になった現在はスプリント戦にはスピード自慢のランナー達が揃うようになった。今年のキーンランドCではどんな快速馬達の戦いが見られるだろうか。刮目したい。

文=平松さとし

photograph by Satoshi Hiramatsu