私は日韓W杯、韓国代表の戦いのこともよく覚えています。

 私たちが泊まっていた仙台のホテルで、トルコ戦から帰ってきて簡単に食事を済ませた後、トルシエ監督の部屋でモロッコ人のアシスタント・コーチと一緒に3人で見ました。

 真っ赤に染められたスタジアムの観客席、噴火しそうだったソウルの街中、飲み込まれそうなイタリア人選手の試合前の表情、黒澤明監督の名作『乱』のようでしたね。そう、イタリアを立派なお城に喩えるなら、韓国軍による包囲は圧巻でした。

 その試合の内幕を知りたくて、当時の韓国代表でフース・ヒディンク監督のPA(パーソナル・アシスタント)を務めていた、オランダ人ジャーナリストのヤン・ロルフ氏に連絡をしました。

 ヤンさんとは2002年以来、2010年と2015年と2回ほど欧州で会ったことがありました。彼は現在ジャーナリストの本業に戻り、時々日韓大会の快進撃を中心にオランダで講演会をするそうです。W杯のベスト4を経験するなんて、彼にとっても人生最大の達成だったのかもしれません。

ポルトガル戦でのパク・チソン。

――ヤン、お久しぶりです。取材を受けてくれてありがとう。ヒディンク監督はあなたに絶対的な信頼を寄せていただけに、ぜひ当時の話を聞きたかったんです。

ヤン・ロルフ(以下YR):「ガス(ヒディンク)は捕まりにくいからね(笑)。でも全部覚えていますよ、日韓大会の思い出は一生消えないだろうね」

――決勝トーナメントの初戦、イタリア戦に集中して聞きたいのですが、昼に日本が負けたという情報が入って、夜に戦うあなたたちのモチベーションはより高まったのでしょうか。

YR:「それはないですね。一番のプレッシャーは日本との比較ではなく、単純にグループリーグで敗退することでした。第3戦のポルトガル戦はとても高いレベルの試合ができました。とりわけパク・チソンは大活躍しましたね。突破を決めた試合後にお祝いの記者会見が2時間も続いたことをよく覚えています。

 ルイス・フィーゴ、ペドロ・パウレタ、フェルナンド・コウトというスター軍団に1−0で勝つなんて! それがイタリア戦に向けて最高の準備となりました。監督と私は長い会見をこなしましたが、選手たちはミックスゾーンに長く止まらず、すぐ決勝トーナメント・モードに入っていました」

ヒディンク、ピム、ゴトビとの議論。

――日本代表にはグループリーグを突破しての一種の達成感と、一種の燃え尽きがあったようにも思うけれど、韓国代表はどうでしたか。

YR:「身体的な疲れはありませんでした。精神的な疲れはなかったと言い切れないけれど、モチベーションとアドレナリンが勝ったのかな。ソウルで試合が出来たのも大きかったです。凱旋上京的な試合でしたね。ナイターでしたし、条件が揃っていました。イタリア戦は待ち遠しくてしょうがなかったね」

――番狂わせを目指して、失うものがないと?

YR:「それはちょっと違いますね。自分たちのサッカーと戦術を強く信じていて、相手がイタリアだから変えることはないと決めたのです。ガスとアシスタントのピム(ファーベーク元豪代表監督/故人)とアフシン(ゴトビ元清水監督)、私の4人でよくディスカッションしたけれど、守りに入っても勝てないと意見が一致しました。

 ポルトガル戦同様に高いゾーンプレスをすることによって、韓国の蒸し暑い夏に慣れていないイタリア勢は90分間持たないと知っていました」

イタリアの選手はイライラしていた。

――主審に対する八百長疑惑、色々言われましたが……。

YR:「ポルトガル戦も言われました。でもあの試合のレッドカード2枚も、イタリア戦のレッドカードも文句なしですよ。こういうゴシップに興味はありません。私たちはポルトガルよりも、イタリアよりも、スペインよりもメンタルが強かったんです。イタリアの選手は終始イライラしていました。ハーフタイムだって、トラパットーニ監督がロッカールームで激怒しているのが聞こえたものです」

――ハーフタイムに0−1とリードしていたのはイタリアですが……。

YR:「そうです。でも2点目を決められず、私たちのゾーンプレスがボディブローのようにジワジワと効き始めていたのです。彼らにとっては嫌な予感がしたのではありませんか。逆にガスはロッカールームで非常に落ち着いていて、“自信を持って、冷静に、最後まで戦おう”と言っただけです」

120分間、迷わず走り続けたからこそ。

――結果はソル・ギヒョンの同点ゴール、そして延長戦での大逆転劇でしたね。

YR:「イタリアに勝てたのは120分間、迷わずに走り続けたからこそです」

――私たち日本代表は足が止まったわけではありませんが、トルコとの試合にリズムがあまり良くなく、いつものカウンターサッカーではなく、ボールを支配するサッカーを強いられて、得意な戦いが出来ませんでした。力関係でしょうね。

YR:「韓国代表は常にチャレンジャーでいられましたよ」

中田やパク・チソンを超えた選手は出たか?

――ところで、あれからおよそ20年経ったわけですが、日韓のサッカー選手たちは進化したと思いますか? 中田英寿とパク・チソンを超える存在は、未だに現れていないと思うのは気のせいでしょうか。

YR:「気のせいかもしれませんね(笑)。技術的に今の日韓の選手たちは20年前に比べてよっぽど優れていますよ。フィジカルも雲泥の差です。強いて言えば、サッカー文化の発展はまだスローかな、それぐらいです」

――どういう意味においてですか。

YR:「西洋の文化と東洋の文化はいまだに遠く離れています。アジアの選手は必ずしもヨーロッパに適応できていない。言葉や文化は、サッカー以外の大事な要素です。欧州のサッカー文化をアジアで伝えるには、2002年大会の選手たちが国内リーグで指導者となるなど、サッカー界で活躍を続けてくれれば、きっと大きく変わるはずです」

――なるほど。ヤン、今回はありがとう。お元気でね!

酒井宏樹&長友はW杯の遠い遺産。

 ヤンとのやりとりの3日後、長友佑都のマルセイユ移籍が決まりました。

 左サイドバックとして2番手スタートですが、いつものハングリー精神でスタメンを奪い、酒井宏樹とニッポン人ダブル・サイドバックになったら、ヤンも私も感動するでしょう。

 これも2002年W杯の遠い遺産だと私は信じたいです。

 アジアサッカーを変えたあの運命の2試合、当事者たちと日韓大会ラウンド16を振り返ることができたのは幸せな取材でした。

 サッカーの文化と歴史から学ぶというのは、一歩下がって振り返り、確信を持って二歩進むことです。2002年の夏の思い出は、今もアジアサッカーの燃える魂の源です。

(『トルシエ「私の采配ミスです」。ダバディに明かす日韓W杯トルコ戦の真実。』は関連記事よりお読みください)

文=フローラン・ダバディ

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