リオネル・メッシとバルセロナ。双方にとって一番幸せな選択は、「別れ」でしかなかったように思う。

 メッシの心は、すでにカタルーニャの地から離れていた。みずからの想いを口にすることなく、内容証明郵便を送りつけて退団の意向を伝えたそのやり方が、なによりの証拠だった。

 かたやバルサの首脳陣にも、もはや「クラブ以上の存在」と化してしまったメッシをつなぎ留めておく、強い動機はなかったはずだ。バイエルン・ミュンヘンに完全に息の根を止められ、12年ぶりの無冠で幕を閉じた昨シーズンの失態も、むしろ“王様抜きのチーム”を作って出直す、良いきっかけだと捉えていたかもしれない。

サポーターも別れを受け入れていた

 お互いの気持ちがすっかり離れてしまったのだから、ここからヨリを戻しても憎しみが深まるばかりだ。疑念と不満を抱えながら仮面夫婦を演じるメリットなど、どこにもない。

 だとすれば、メッシはフリーでの移籍にこだわらず、クラブも7億ユーロ(約880億円)と言われる天文学的な違約金など求めず、妥当な金額で折り合いをつけ、将来に禍根を残さない形で手打ちにすればよかったはずだ。

 ネイマールをパリ・サンジェルマンへ売却した時の移籍金がおよそ260億円だから、それをひとつの目安に、長年の功労者に退団の道筋をつけてやることもできただろう。

 わずか13歳の少年が、史上最高のフットボーラーへと上り詰めていく過程を見守り続けたバルサ・サポーターの大多数も、メッシの決断を悲しむ一方で、「やむを得ない」とその別れを受け入れてもいた。バルサ以外で、ラ・リーガ以外でプレーするメッシの姿を見てみたいと、そんな興味もあったかもしれない。

両者とも「読み違い」があったのでは

 エルネスト・バルベルデ監督の突然の解任、ネイマールの復帰ではなくアントワン・グリーズマンの獲得を優先させた補強(と数々の意図不明の補強)、コンサルティング会社を使ってのSNS批判工作疑惑、そして、親友ルイス・スアレスへの戦力外通告。

 サポーターの批判の矛先は、メッシの希望と信頼をことごとく踏みにじってきたジョゼップ・マリア・バルトメウ会長に向けられていた。

 にもかかわらず、彼らは元の鞘に収まった。

 現地時間、9月4日の残留表明。世界を激震させた一連の騒動は、2021年6月までの契約期間をメッシが全うする形で決着を見たのだ。

 あくまでも想像だが、そこには両者の「読み違い」もあっただろう。

 メッシ・サイドにしてみれば、まさかバルトメウ会長がここまで頑なに契約違約金の満額払いにこだわるとは思っていなかったはずだ。さらに、恩師ジョゼップ・グアルディオラ監督率いるマンチェスター・シティなど、当初は獲得に興味を示していた金満クラブが、コロナ禍による経済的ダメージもあって、次第に腰が引けたことも想定外だったに違いない。

 一方のバルトメウ会長にしても、メッシ・サイドがこうもあっさり白旗をあげるとは考えていなかったのだろう。バルサ首脳陣にしてみれば、サポーター向けのポーズとして、「放出を阻止すべく粘りに粘ったが、メッシの強い意志に屈した」というシナリオを作りたかっただけなのだ。理想は交渉をある程度、引き延ばしたうえでの売却。要するに、彼らはタイミングを見誤ったわけだ。

メッシとバルトメウ、どっちが得したのか

 では、今回の残留という決着で、メッシとバルトメウ、どちらが得をしたのか。

 ひとつ言えるのは、そもそもバルトメウ会長に失うものなど何もなかったということだ。「メッシを追い出した男」としてクラブ史に名を残さずに済んだことが唯一の救いで、もはやサポーターからの信用は完全に失墜してしまっている。

 メッシが出て行こうが行くまいが、来年3月に予定されている会長選挙で再選となる可能性はほぼ皆無だろう。むしろ1年後、この世界最強プレーヤーにタダで出て行かれる道筋をつけたに過ぎない。

泥沼離婚のような別れは絶対に……

 逆にメッシの立場からすると、来年6月の契約満了をもって、今度こそ自由に移籍先を選べる権利を得たことになる。

 また3月の会長選で、OBであるシャビやカルレス・プジョルのフロント入りを匂わすビクトル・フォントが選出されれば、その時は改めて身の振り方を考えればいい。あるいはそこで、「生涯バルサ」を宣言することだってできる。

 一度はアイドルとの別れを覚悟したサポーターも、今回のゴタゴタなどすぐに忘れるだろう。悪いのはすべてバルトメウなのだ。

 いつか、メッシが本当にバルサを去る時。それは泥沼離婚のような別れではあってはならない。たとえばアンドレス・イニエスタがそうであったように、その終幕が拍手と涙とノスタルジーに満ち溢れたものになることを、彼らは願ってやまないのだ。

暗黒時代へと足を踏み入れる危険が

 ただし──。その間のバルサが、数々の栄光に包まれる保証はどこにもない。むしろ、暗黒の時代へと足を踏み入れる危険さえあるだろう。

 メッシの残留によって、バルサは大刷新へと舵を切る大きなチャンスを逃した。スアレス、イバン・ラキティッチ、アルトゥーロ・ビダルといったベテランを放出し、高齢化に歯止めをかけたとしても、メッシという絶対君主がいるかぎり、バルサは停滞から抜け出せない。少なくとも、チャンピオンズリーグ(CL)のタイトル奪還は叶わないのではないか。

 最先端のフットボールは、昨シーズンのCLを制したバイエルンが示したように、「ハイスピード、ハイプレッシャー、フルパワー」が主流だ。90分間、誰一人サボらず、ブルドーザーが時速100kmで駆け抜けるようなフットボールを維持できなければ、ヨーロッパの頂点には立てない。

「走らないメッシ」がいては、それは不可能だ。彼らはその現実を、まさしくバイエルンに8つのゴールを叩き込まれ、身をもって思い知らされたはずなのだ。

 だから、バルトメウがもう少し賢明だったら、いや、バルサの未来を少しでも真剣に考えていたなら、退団を希望したメッシに敬意をもって花道を用意し、新しいサイクルへといち早く足を踏み出せてもいただろう。

アンス、プッチらに現代風アレンジを

“粛清執行人”として雇われたロナルド・クーマン新監督なら、あるいはメッシをベンチに置くことも厭わないのかもしれない。しかし、仮にそれで結果が出なければ、それこそ批判の集中砲火を浴びるだろう。はたして彼に、そこまでの覚悟があるかどうか。

「まず、これまでの考え方を変える必要がある。フットボールは急激に変化し、バルサのDNAはすでに時代遅れになっている。今のフットボールはよりフィジカルで、よりパワフルで、よりスピーディー。テクニックは二の次になった」

 ビダルの指摘は的を射ている。ただし、全肯定はしない。バルサが脈々と受け継いできたDNAは、アイデンティティーは、そう簡単に放棄していいものではないはずだ。仮にブルドーザーのようなフットボールでヨーロッパを制しても、それは決してバルサの勝利ではない。

 アンス・ファティ、フレンキー・デヨング、リキ・プッチといった若き逸材たちを中心に、あくまでも美しいフットボールを追求しながら、そこに現代風のアレンジを施していくことが、やはり彼らの進むべき道ではないか。

 ただし「走らない」、「守備をしない」特別待遇は、もはやメッシであっても許されない時代であることだけは間違いない。

リーダーシップも見せてほしい

 もしかするとメッシの残留は、1つのサイクルの終わりを無理やり先延ばしにし、改革のスピードを鈍らせる結果につながるかもしれない。

 そうならないためには、メッシ自身が変わることだ。

 それは、試合の大半を"散歩"しながら過ごすプレースタイルだけではない。むしろそれ以上に彼に求められているのは、強いリーダーとしての振る舞いだろう。

 CLのバイエルン戦、1-4で折り返したハーフタイムのロッカールームに、放心状態で腰掛けるキャプテンの姿があった。

 逆転の可能性を信じて仲間を鼓舞するわけでもなく、メッシはただ1人、虚空に目を泳がせていた。そして、燃え盛る我が家をただ茫然と見つめるしかなかったあの惨敗劇から、わずか10日後の退団表明。チームメイトからの信頼が揺らいでいても不思議ではない。

愛し続けたバルサの未来のために

 一度は後ろ足で砂をかけた仲間やサポーターの信頼を回復し、なによりもメッシ本人が自信を取り戻し、新しい監督のもとで若返りを図るチームを強いリーダーシップで勝利に導くこと。様々なしがらみは一旦脇に置いて、まずはそこからバルサでのプロ17年目のシーズンを始めるべきだろう。

「バルサを出たいと思ったことは確かだけど、今はここで最善を尽くしたいというのが自分の本心。新しい監督がやってきて、チームがどうなるかまだ分からない部分もあるけど、そこは良い方向へ向かうようにしっかりと見ていきたい」

 残留表明での言葉を聞けば、モチベーション低下の心配もなさそうだ。

 現体制への不満と疑念なら、いくらでも抱えていていい。だが、彼が20年間にわたって愛し続けたバルサというクラブの未来のために、仮面夫婦を演じるなら徹底的に──。そうあってほしいと願う。

文=吉田治良

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