マリナーズ・菊池雄星のメジャー2年目が終わった。

 9月25日(日本時間26日)の最終登板は、ア・リーグ西の同地区で優勝を果たしたアスレチックスとの一戦。勝敗は付かなかったが6回を零封した菊池は「こういう形で終えられてすごくよかった」と、安堵の表情を浮かべた。

 菊池は咋オフに日本時代からつながる動作解析の専門チームと歩調を合わせ、意識した体の縦振りに左肘がスムーズに呼応するフォームに取り組んだ。7月26日のアストロズ戦では自己最速の98マイル(約158キロ)の直球を投げ込んだ。新型コロナ禍による60試合制の9登板で2勝4敗、防御率5.17の成績も、「球威と質」を収穫に挙げた。

「冬の間に大きく(フォームを)変更した中で、数字には現れない手応えを得られる部分も多くありました。オフに取り組んできたことは間違っていなかった。ストレート、カットボール、スライダーの3つに関しては、球速も含めて全体的にレベルアップできました」

「自分の思うように突き進んでいきなさい」

 科学的に裏付けられた、危なげない“収穫”――。その道のりは筋書き通りの美談で収めることはできない。期待されたメジャー1年目を6勝11敗、防御率5.46で終え、ときには忸怩たる思いを募らせた。そんなとき、生じた雑念を消したのは、巨人・原辰徳監督からかけられた言葉だった。

「おまえさんの天真爛漫なところが俺は好きだ。今の顔は高校時代のように輝いてないぞ。いろんなことを乗り越えてきたじゃないか。小さくまとまらずに、誰に何を言われようと自分が思うように突き進んでいきなさい。おまえさんならきっとやれる」

なぜ、原監督は雄星を呼んだのか

 それは第二次原政権の6年目、2011年5月終わりのことだった。交流戦で西武ドームにきた原監督は試合前の打撃練習中に自軍からトレードで移籍した星孝典捕手(現楽天二軍コーチ)の挨拶を受けた。帰り際、星は原監督から託された。「雄星君を呼んでほしい」。敵将の元へ急いだ菊池はそのときの心境をこうたどった。

「何で呼ばれたのだろうかと不安でした。だって、原さんからあのような言葉をかけていただけるなんて、夢にも思っていませんでしたから。プロ1年目(2010年)にコーチ陣にいた人との間でちょっとあって。僕を見る世間の目を気にするようになってしまった時期でしたから……。嬉しかったですね、本当に。原さんの言葉に救われたんです」

 花巻東高から2009年のドラフト1位で西武に入団した菊池は、同年夏の甲子園で150キロを超える快速球で注目された。威圧的な投球で1年目からの活躍が期待されていたが、左肩痛を発症し二軍でのリハビリ調整に終始。そこで騒動に巻き込まれた。菊池は翌年に開幕一軍入りを果たしたが、その心は原監督の炯眼が見抜いていた。

隣り合わせになったのは2010年の授賞式

 2人の接点は2010年の1月15日に都内のホテルで行われたテレビ朝日主催の「日本プロスポーツ大賞受賞式」で、前年に甲子園を沸かせた菊池とワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で2年連続の世界一を牽引した原氏は、記念写真の席で隣り合わせになった。そこで握手を交わした直後だった。笑顔の原氏から贈られた一言が、菊池の胸を射貫いた。

「ようこそ日本球界へ!」

 ドラフトを前にして国内の全12球団に加えメジャー8球団とも面談を行った菊池に、「天秤にかける生意気なやり方」の声が周囲から漏れ出していた。18歳の心のひだに絡み付いた「うしろめたさ」に処方の一矢を放ったのも原氏であった。

来年は一番大事な年になる

 新型フォームで挑んだ2020年は、菊池の心の変遷がのぞいたシーズンでもあった。

 メジャー3年目、プロフェッショナルとして12年目の来季へ、菊池は淀むことなく言った。

「来年は本当の意味で、プロに入ってから一番大事な年になると思います。ローテーションの中心となって信頼を勝ち取れるように結果にこだわりたいと思います」

 この言葉は重い。菊池雄星にもはや過程は求められない。

文=木崎英夫

photograph by Kyodo News