フットボールの品位を損なう嘆かわしい出来事が、少々意外な形で結末を迎えた。

 9月13日にパリで行なわれたフランスリーグ第3節のパリ・サンジェルマン対マルセイユ戦の終盤、接触プレーから両チームの選手がもみ合い、乱闘となった。

 主審は双方から2人ずつ退場させた後、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)モニターでネイマールがマルセイユのスペイン人CBアルバロ・ゴンサレスの後頭部を殴っていたことを確認し、レッドカードを示した。

 激昂したネイマールは、ゴンサレスから「モノ」(スペイン語でサルを意味する)と呼ばれたと主張。「明らかな人種差別行為」と糾弾した。一方、ゴンサレスはネイマールから同性愛者を侮蔑する言葉をかけられたと反撃した。

ブラジルでは読唇術の専門家が検証

 2日後、フランスリーグのノエル・ル・グレット会長は「試合終盤に起きたことは、模範的ではなかった」としながらも「フランスのスポーツとりわけフットボールにおいて、人種差別は存在しない、もしくは極めて少ない」と語り、事態の矮小化に懸命の様子だった。

 フランスリーグの規律委員会は9月16日、この試合の退場者5人への処分を発表。ネイマールには2試合の出場停止を申し渡す一方、「ゴンサレスへの告発については、引き続き調査する」と言明した。

 その後、ブラジルのテレビ局が「ゴンサレスがネイマールに向かって口を開いたシーンの映像を読唇術の専門家に検証してもらったところ、ゴンサレスが『モノ』と言ったのは間違いないと明言した」と報道した。

 一方でスペインのメディアはネイマールがゴンサレスを「マリコン」(同性愛者を侮辱するスペイン語)と呼んだとするシーンの動画を発表する。

 両選手のいがみ合いは、各々の出身国のメディアによる代理戦争の様相を呈していく。

スペインのラジオ局が酒井への侮辱を報道

 そして9月29日、スペインのラジオ局が「ネイマールがマルセイユの日本代表右サイドバック酒井宏樹を『クソったれの中国人』とポルトガル語で罵った」とするシーンの映像を入手して公表。「人種差別を受けた、と告発した当のネイマールが、実は別の選手に純然たる人種差別行為を行なっていた」と痛烈に批判した。

 このような状況で、フランスをはじめとする各国メディアは、「ネイマールにはゴンサレスと酒井への発言で最多10試合ずつの計20試合の出場停止、ゴンサレスにはネイマールへの発言で最多10試合の出場停止が言い渡される可能性がある」と伝えた。

 ところが9月30日、フランスリーグの規律委員会は以下のような声明(骨子)を発表した。

「調査の結果、アルバロ・ゴンサレスからネイマールに対し、またネイマールからアルバロ・ゴンサレスに対して差別的言動を行なったと考慮するのに十分な証拠は確認できなかった。従って、いずれの選手にも処罰を与えない」

 この結論は、各国メディアの予想を覆すものだった。

 とはいえ15日のフランスリーグ会長のコメントを思い起こすと、リーグとしての態度がこのようなものとなるのは予め決まっていたのかもしれない。

各種映像を繰り返し確認すると……

 また、酒井に対するネイマールの言動について、声明では一切触れられていない。それは、酒井がネイマールを告発しなかったからかもしれないし、この問題に早く終止符を打つためにあえて黙殺したのかもしれない。

 筆者はブラジル、スペイン、フランスのメディアが発表した各種映像を繰り返し確認してみた。ゴンサレスが「モノ」、ネイマールが「マリコン」と言ったかどうかについては口の動きがやや不明瞭で、100%の確信こそ得られなかったが「クロに近いグレー」という印象を持った。

 一方、ネイマールが酒井に対して放った言葉については――動画に何かの細工を施されていない、という前提ではあるが――「Chinês de merda」(クソったれの中国人)というフレーズを明確に、しかも3回も口にしている。

 ここで、ひとつの疑問が生じる。

日本代表とも対戦しているのに

 2人は、2011年のクラブワールドカップでネイマールがサントス、酒井が柏レイソル在籍中に初めて対戦しており、フランスリーグで2017年10月と2018年2月に、代表でも2017年11月に対戦している。

 主として左サイドでプレーするネイマールにとって、右SBの酒井は直接的なマーカーでもあり、ネイマールは酒井の国籍を知らなかったはずがない。

 にもかかわらず、ネイマールはなぜ酒井に先述のようなフレーズを言い放ったのか。

複数のブラジル人に意見を聞いてみると

 これについて、メディア関係者を含む複数のブラジル人に意見を聞いた。答えはほぼ同じで、総合すると以下となる。

「ブラジル人にとって、日本と中国のイメージはかなり異なる。日本人移民や日系人への誠実で働き者という評価、戦後の日本の驚異的な経済成長、日本製品の高品質などの理由から前者が極めて良好であるのに対し、後者は以前から決して芳しくなかった。ネイマールは酒井が日本人であることをもちろん知っていたが、侮辱の意味合いを強めるため、あえてそう呼んだのだろう」

 東アジア、特に中国に対する偏見が今もナチュラルに存在しているということだろう。残念でならない。

 一方、フランスリーグの規律委員会がネイマール、ゴンサレスへの制裁見送りを発表した後、酒井は自身のインスタグラムで「(前略)対象の2人の選手に制裁がなかったことに安堵しております」として、「もし仮に何か言われたとしてもお互い熱くなっている試合中の些細な出来事であり差別とは全く関係ありません(後略)」と日本語と英語で発信した。

 この酒井のコメントに、あるブラジル人ジャーナリストは驚嘆していた。

「FIFA会長らはサカイに感謝すべき」

「我々南米人やヨーロッパ人の多くは、侮辱された可能性があると感じたら徹底的にやり返す。ネイマールとゴンサレスもそうだった。でも、サムライはそうじゃないんだね。無礼者を糾弾しなかったばかりか、処罰が下らなかったことを歓迎するなんて……。

 ネイマールもゴンサレスも、『制裁を逃れてラッキー』と思っているだろうが、サカイの言葉をよく噛みしめ、多くの教訓を得なければならない。

 また、FIFA会長をはじめとする世界のフットボール関係者は、サカイに、彼を育てたご両親や周囲の人たちに、そして日本のフットボール関係者に深く敬意を表し、なおかつ感謝しなければならない。

 なぜなら、今回のなにからなにまで醜い出来事を彼がその高貴な振る舞いによって可能な限り取り繕い、なおかつフットボーラーとしてあるべき姿の模範を示してくれたのだから」

 同じ日本人として、少々面はゆい賛辞だった。

 それは、我々日本人とて必ずしもすべての者が常に酒井宏樹のような言動を取れるわけではないと感じているからでもある。

人種差別行為をなくすためには……

 人種差別行為は、厳しく罰せられるべきだ。

 残念ながら、フットボールの試合中、ピッチの内外で、あらゆる種類の「不適切な言動」が発生している。審判がこれらのすべてを厳密に取り締まり、処罰していたら、現時点ではフットボールの試合は成立しない。

 様々な考え方があるだろうが、フランスリーグが「ネイマールとゴンサレスが不適切な言動をしていた可能性」に目を瞑って制裁を見送ったのは、現状ではやむをえないのかもしれない。

 その一方でFIFA、各国サッカー協会、リーグ、クラブ、学校などがすべてのフットボール関係者は人種差別を含むあらゆる種類の不適切な言動を戒め、それが起こらないよう厳しく教育、指導、監督すべきではないかと考えている。

文=沢田啓明

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