1年前から目標として定めていた「インカレ」の舞台にとうとう立った。

 10月1日から4日まで行なわれた「第96回日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)」。ジュニアの頃から慣れ親しんでいる東京辰巳国際水泳場で、白血病から今夏に復帰した池江璃花子(ルネサンス)が、日大水泳部の一員として初出場を果たした。

 昨年は闘病中の一時退院期間に大会があり、スタンドからチームメートを応援した。そして、「来年は自分が絶対にインカレに出る」と誓いを立てていた。

 最初のレースは10月1日午後3時過ぎからの女子50m自由形予選。池江のエントリータイムの種目別ランキングは17位だったから、決勝に残れるかどうかというところだろう。

 ただ、池江は、1年7カ月ぶりのレース復帰となった8月29日の東京都特別大会・女子50m自由形で、日本記録である24秒21の自己ベストからわずか2秒遅れの26秒32を出して、周囲を驚かせている。指導する西崎勇コーチも「彼女は良い意味で期待を裏切ってくれる」と脱帽していた。それから1カ月が経ち、上積みも期待できる。

「泳ぐ前から感情がわき上がってきた」

 果たして今回も池江は、周囲をあっと言わせる泳ぎを見せた。予選のタイムは25秒87。6位で決勝に進むと、予選からわずか2時間後の午後5時過ぎに行なわれた決勝では、中盤からみるみる上位を追い上げていき、4位でゴールした。

 レース後、池江はマスクをつけてインタビューエリアにやって来た。ウイルス感染防止の観点から、対面で質問をするのは新聞やテレビなど各カテゴリーの代表数名のみ。ほかの記者陣はリモート取材で、画面越しに質問ができる仕組みになっている。池江はハキハキとした口調で、しかし言葉をかみしめるように言った。

「このインカレを目標としてこの1年間頑張ってきたので、ちょっと感慨深かったです。予選のレースでは、泳ぐ前から感情がわき上がってくる感じもありました」

不言実行の思いで立てていた目標

 胸の奥に、不言実行の思いで立てていた目標があったことも明かした。

「口には出していなかったのですが、この試合でまずは25秒8台が出ればいいなと思っていて、実際にしっかり出てくれました」

 前述のとおり、予選タイムは25秒87。目尻ににじませた涙の意味を聞かれ、「やっとこの試合に出られたといううれしさや、25秒台を出せたうれしさや、大学の先輩を見てすごくほっとして」と答えた。

 決勝レースについてはこのように振り返った。

「予選で出し切った感があったので、決勝は変な緊張感もなく、すごく気持ちよく泳げました」

 決勝のタイムは25秒62。予選のタイムを0秒25縮める快泳で、8月の復帰戦との比較では約0秒7も速くなっていた。

前とは違う自分を見せるのが恥ずかしかった

 8月のレースをあらためて振り返った場面では、重い病気からの復帰がいかにデリケートなものであるのかを感じさせるニュアンスがあった。

「前回(8月)は不安要素が大きいまま、レースに臨んだのですが、このままじゃ駄目だなと思って、練習再開後にすぐ切り替えました」

 不安の正体とは何だったのだろうか。

「前回は細い体で、前とは違う自分を見せるのがちょっと恥ずかしいという気持ちがありました」

 このままじゃ駄目というのは「楽しみながら泳ぎたかったから」。泳ぐからには楽しもうという気持ちになったのだという。すると、さまざまなことが加速をかけるように前に進んだ。

「とにかく練習を楽しもうという感じで泳いでいたら、いつの間にか泳ぎもタイムもどんどん良い方向に上がっていきました。今回の試合は楽しみの方が強くて、自信がすごくありました。ポジティブな試合になったと思います」

体格が変わったね、肩周りに筋肉ついたね

 体つきの観点からも、日進月歩といえるほど変化が出ている。体調をしっかりと把握して慎重に歩みを進めるという基本姿勢は変わっていないが、その中でも8月まで週1回だった筋肉トレーニングを週2回に増やしたことが、見た目の変化につながっているようだ。

「自分だと正直わからないけど、前回会った時よりも体格が変わったねとか、肩周りにすごく筋肉ついたねとか、そんなふうに言われることが今回すごく多かった」とうれしそうな表情を見せる。

第2の人生として、自己ベストを出した

 泳ぎの感覚とタイムや順位が合致するようになってきたこともポジティブな要素だろう。50m自由形の決勝レース中、池江は基本的に周りを見ていなかったというが、最後に一瞬だけ横を見たときの状況から予測していたのは、「メダルは厳しいかな」ということだった。

「だから順位は予想通りでした。4番は悔しいけど、泳いでいた感覚と順位は同じでしたね」

 今の池江は、泳ぐたびに見えるものが増え、感じる幅が広がっているようだ。それは、レース後のコメントに、素直な揺らぎが垣間見えることからも伝わってきた。

「4番という結果は正直すごく悔しいですけど、今の段階としては、上出来すぎるかなという感じです」

「(シーズン)ベストは確実に出ると思ってはいましたが、思ったよりもちょっと速いタイムだったので驚きでした。でも、自己ベストからはまだ1秒以上遅れています」

「今は今でシーズンベスト。第2の人生として、自己ベストを出したという満足感もあります」

今も、以前も“池江璃花子”自身

 質問に対してひとつひとつ真摯に答える姿を見ていると、2つの物差しが混在することに抗わず、イレギュラーな状況すらありのままに受け容れているように感じる。2つの物差しとは、第2の水泳人生の目盛りがついた定規と、トップスイマーとしての目盛りが刻まれた定規。葛藤はあるかもしれないが、2つある物差しの両方を泳ぎに当ててみるのもまた、自然なことのように思える。両方とも“池江璃花子”自身だからだ。

 予定外ながら、大会2日目の女子400mフリーリレー予選に第3泳者として出た池江は、100mの練習をしてこなかったと言いながらも、56秒19の好タイムで泳いだ。引継ぎタイムとはいえ、「57秒台が出ればいいなと思っていたのでビックリしました」と、本人も目を丸くしていた。そんな驚きのひとつひとつも、パワーをもたらしているのだろう。

とにかく今は全力で水泳を楽しみたい

 池江は、念願の初インカレを終えた翌日の10月4日、自身のインスタグラムのストーリーに、訪問先でたまたま見たという献血会場の写真を投稿した。写真には「献血のお願い!」の文字。そこに「ううー、自分もしたいけど出来ない…」のコメントを添えた。

 退院してから間もない時期、「病気になった人たちに勇気を」と語っていた池江。胸の奥にある、つらさを味わっている人々に寄り添おうという気持ちは、驚くばかりの復帰ぶりを見せても、いささかも薄れていない。

「とにかく今は全力で水泳を楽しみたい。そして、タイムを出すために日々の練習を頑張ることがやるべきことかなと思います」

 ありのままの姿と心を多くの人々とシェアしながら、池江は自分のペースを何より大切にして泳いでいる。

文=矢内由美子

photograph by Hiroyuki Nakamura