93年のJリーグ開幕当時、ガンバ大阪の中心選手として、長髪をなびかせ華麗なプレーでファンを魅了した“天才”礒貝洋光。98年、29歳でプロサッカー選手を引退したあと、プロゴルファーとして活動したが……現在は何をしているのだろうか? 東京都内で本人をインタビュー取材した。(全3回の1回目/#2、#3に続く)

「世の中はコロナでいまも大変かもしれないけど、個人的にはそこまで影響は受けていないかも……。これまでもそうでしたが、東京と大阪を行ったり来たりしながら、ぷらっとしていますよ(笑)」

 Jリーグ創成期のガンバ大阪で中心選手として活躍した礒貝洋光は、自身の近況についてそう話す。

 高校サッカーの名門・帝京高では1年生からエースナンバー10を背負い、東海大在籍時から日本代表に名を連ねた。現役時代は正確無比なキックと一撃必殺のスルーパスを武器に“天才”と評された男も、ことしで51歳となった。

「家くらい建てられたほうがいいでしょ」

 98年に29歳でプロサッカー選手を引退後はプロゴルファーに転身したことでも話題を呼んだが、長くは続かなかった。近年は週刊誌やテレビのバラエティ番組で、大工や塗装業、ときには焼き鳥屋の手伝いなど様々な仕事に就いている様子が紹介されたこともあった。

「最近は台風も多いし、何かあったら家くらい建てられたほうがいいでしょ。ペンキは、暇な時間に手伝ったり。焼き鳥は、捌けるようになったら本物だけど、準備されたものを電気で焼くだけだから(笑)。サッカーはたまに小学生のチームを見る程度で、最近は再生医療や遺伝子検査をスポーツに取り入れる研究にも協力させてもらったり。どれもアシスタント的な仕事だけど、いろんな分野の人と話ができるのは面白い」

 屋根に上りクギ打ちをし、板場で焼き鳥を焼いているかと思えば、あるクリニックでは現役時代にケガに悩んだ経験を若いアスリートに伝えて役立ててもらいたいとイベントにも臨む。知人宅を転々とし、自らハンドルを握り車で東京と大阪を行き来しながら“自由人”を満喫している。

130キロだったが…40キロのダイエットに成功

 都内で取材に応じてくれたこの日は、いまは趣味となった知人とのゴルフ帰りだった。誰も真似できないという意味では、そんな人生も、かつて独創性に溢れるプレーでサッカーファンを魅了した礒貝らしいのかもしれない。

 引退後、一時期体重は130キロまで増えたが、約40キロのダイエットに成功し、現在は約90キロで落ち着いている。それでも、屋根に上れば、いつか安い瓦が割れるんじゃないかと心配だと話す。

 以前、テレビではペンキを塗っている礒貝に対し、先輩の塗装工が「サッカーだけじゃなくペンキを塗らしてもセンスがある」と称賛していたが、ペンキを塗るのにセンスなんてないと本人は笑い飛ばす。

「おっちょこちょいって言ったらおかしいけど、塗ったばかりなのを忘れて、そこに手を突くという凡ミスをしたこともある。でも、そういうのは気にならないタイプだから(笑)。

 大工さんなんてホントにスゴい。彼らは学校での勉強はできなかったかもしれないけど『さしがね』を持った途端、一寸がどうとかって細かい計算をバンバンする。男の子には、こういうこと絶対にやらした方がいいと思うね」

日雇い仕事もする“消えた天才”なのか?

 消えた天才――。礒貝を紹介するたびにそんな表現がついて回る。

 95年には日本代表としてサウジアラビアで開催されたインターコンチネンタル選手権の2試合に出場。同年、所属のガンバ大阪では公式戦出場37試合でキャリアハイの13ゴールをマークした。

 Jリーグ初期のスター選手として高額の年俸を得ていた時期もあったが、いまでは日雇いの仕事にも従事する日々。その生活は激変したように見えるが、自由気ままな暮らしを貫く彼の周りにはいまでも多くの友人や知人が集まってくる。

「僕のなかではいまも昔も何も変わってなくて、好きなように生きているだけ。いろんな仕事をしているのは誰かが話を持ってくるから、やっている部分もあるし、お手伝い感覚。定宿がないのは、ずっと同じ場所にいられない性格だから。人たらし? それしかできないというか、そういうことしかできないから」

「あのスター選手はいま」というていで紹介されると、そこにはかつての自分や思い通りにいかなかった人生を悔いる主人公がいるものだが、礒貝からはそうしたマイナスの要素はまったく感じられない。

「別に悲運だとかも思っていない」

 幼少期から天才と持てはやされ、あのラモス瑠偉から「次の日本代表の10番はオマエだ」と言われた男。短命に終わったキャリアもまた、サッカーであり人生だとあっけらかんと振り返る。

「周りは僕のことを天才とか言ってくれたけど、それは少年の頃だけ。別に悲運だとかも思っていない。みなさんの期待を裏切ってしまったかもしれないけど、サッカー人生に悔いはない。長い人生でみれば、サッカーは遊びだから。何ていうか恋愛にしてもサッカーにしても役に入りきれないというか、熱くなれない性格だった。

 もちろん、サッカーをやっていたから、いまこうして取材を受けているし、そこでできた仲間といまもつながっているわけで、そこに救われている部分はある。ただ、人生は明日しかないし。それなら楽しく笑って生きた方がいいじゃん」

現役時代の後悔があるとすれば……

 礒貝は東海大2年のときに休学し、約半年間スペインのバルセロナに留学している。その後は帰国し、92年から98年の引退までJリーグでプレーした。

 現役時代の後悔があるとすれば、それはサッカーの本場ブラジルに行かなかったことだという。

「若い頃にブラジルに行っていたらどうなっていたかという思いはある。そこで、鼻でもへし折られていたら、その後のキャリアも変わったかもしれない。まあ、楽しくてサッカーを忘れて、ただの陽気な‟ブラジル人”になっていた可能性もあるけど。

 あと、僕は酒もタバコもやらなかったけど、酒を飲んでタバコを吸っていれば、肺が鍛えられてもっと走れたかもなんて思うことはある。だって、ドーピングがなんでいけないかと言えば、ある意味で体に刺激を与えて運動能力を高めるからでしょ(苦笑)」

51歳になって、サッカーは「嫌い」だけど……

 51歳になったいま、サッカーが好きかと聞けば、「嫌い」と間髪入れずに返ってきた。

「そりゃ走れたら、楽しいけど。もうボールも蹴れないし、いるだけ邪魔でしょ。一生懸命やって筋肉が切れたり、心臓が止まりでもしたら大変だから」

 それでも知り合いが教えている少年サッカーチームでコーチとしてたまに顔を出す。心がけているのは子どもの“メモリー“にメッセージを残すことだという。

「常勤のコーチがいるので、求められたときにアドバイスをするくらい。でも、人に教えるのは本当に難しい。見て、何かを気づかせてあげるようなことができればいいけど、いざやってみるとこっちが学ぶことばかり」

 サッカーは「嫌い」になったと言いつつも、試合のテレビ中継はいまもチェックしているという。コーチとして中途半端なアドバイスをするつもりはない。

 照れ隠しなのか、ときに褒められないようなことを口に出すこともあるが、礒貝の心のなかには、いまもサッカー人としての血が流れているのだろう。

(【写真】懐かしい!Jリーグ開幕当初、長髪の礒貝&現在の礒貝の写真を見る)

(【続き】「1億円でもすぐなくなった(笑)」“ガンバの天才”礒貝洋光が振り返る93年Jリーグ開幕バブル へ)

文=栗原正夫

photograph by J.LEAGUE