10月26日、プロ野球ドラフト会議が行われる。「人生の分岐点」とも言える運命の1日。各球団はどんな“指名戦略”で臨んでいるのか。中日のチーフスカウトが明かしたのは“2010年ドラフト”の内実。あの日、中日はなぜ澤村拓一ではなく、大野雄大を指名したのか――。(全2回の1回目/広島カープ編に続く)

 昨季のドラフトで中日が誰を1位指名にするか、密かに楽しみにしていた。

 ドラフトから2週間ほど前、スカウトになって今年で20年目を迎える中日の米村明(現チーフスカウト)から悩める内情を耳にしていたからだ。

「能力なら佐々木朗希(当時大船渡、ロッテ)が群を抜いとる。ジャパンのキャッチャーすら取れない真っ直ぐを投げる投手なんか、そういない。そこだけで行くなら、佐々木指名で間違いない。でも、地元には恐ろしいスラッガーがおるやろ。石川昂弥(当時東邦、中日)。あれは放って置けない。一方で、現場からはサウスポーが欲しいっていうし、それなら河野竜生(当時JFE西日本、日本ハム)がナンバーワン。奥川恭伸(当時星稜、ヤクルト)も当然候補。最後の最後まで、うちの中で揉めるやろうなぁ」 

「実力が同じくらいなら地元を選ぶ」

 愛知に本拠地を置く中日は地元・東海地区の選手を重視している。一昨年は球団の総意として岐阜県出身の根尾昂獲得に執念を燃やした。昨年は東海地区からも近い北信越の奥川という線も憶測が立ったが、素材NO.1の佐々木、現場の声も念頭に入れた中で悩み抜いたドラフトだった。

 結局、「実力が同じくらいなら地元を選ぶ」信念を貫き、佐々木、奥川、河野ではなく、石川の指名に踏み切った。

 ドラフトでは各球団、こうした悩みが最後まで繰り広げられる。場合によっては選手の担当スカウト同士の鍔迫り合いも行われるほどだ。こっちの選手を指名するべきだ。いや、こっちだ、と。そうして、指名された選手の人生は分かれていく。

大豊作だった「ハンカチドラフト」

 そんな中日でもっとも運命を左右したのが2010年のドラフト会議だ。世間でも「ハンカチドラフト」と騒がれた話題の年だった。

 1988年度生まれの選手が大学4年生を迎えたこの年は、早大の三羽ガラス、斎藤佑樹(日本ハム)、大石達也(元西武)、福井優也(楽天)を中心に中央大の澤村拓一(ロッテ)、東海大の伊志嶺翔大(ロッテコーチ)、佛教大の大野雄大(中日)などが1位候補と目されていた。

 じつは92年度生まれの高校3年生にも山田哲人(ヤクルト)、西川遥輝(日本ハム)、後藤駿太(オリックス)などの実力者もいたのだが、この大学4年生の“88年世代”はそれを上回る豊作だ。

 現在、田中将大(ヤンキース)、前田健太(ツインズ)、秋山翔吾(レッズ)のメジャー組に、高卒ですでにその名を轟かせていた坂本勇人(巨人)、梶谷隆幸(DeMA)。大卒でも先にあげた選手の他に柳田悠岐(ソフトバンク)がいる。社会人出身でも、石川歩(ロッテ)、宮崎敏郎(DeNA)、増田達至(西武)といて、彼らはみなタイトルホルダーである。

「巨人に一本釣りされてええんか」

 そんな“88年世代”が中心になった2010年のドラフトは、どのチームも実力・人気・将来性をふるいにかけて、選択して行ったのだった。

 人気通りの指名が多かった中、サプライズを起こしたのが中日だった。大野雄大の単独での指名に成功。後に1億円プレイヤーになるサウスポーを獲得したのである。

 だが、この選択、容易な決断ではなかった。

 米村が内情を明かす。

「うちとしては、澤村でいくか、大野かという二者択一だった。澤村が実力ナンバーワン。でも、大野のようなピッチャーはなかなか現れない、特に、うちにいないタイプやったから、大野は俺の担当やったし、獲得したい気持ちも強かった。当時、澤村が巨人以外の球団にはいかないようなことが報道で出ていて、それも気になるところだった。『巨人に一本釣りされてええんか』と」

 澤村のような逸材を巨人があっさりと獲得していく。同一リーグにいる立場として、譲れない。だから、澤村、大野での鍔迫り合いは続いた。もちろん、くじで外した場合も想定してのことだった。

落合監督「大野は単独で取れるんだろうな」

 米村は続ける。

「当時の監督は落合さん。それで、澤村の評価をスカウトに聞いてきた。そこでの答えは、『1年目から二桁勝つだろう』と。さらに、こういう補足がついた。『しかし、1年目は同じくらい負ける』。そこで、落合さんは大野でいこう、という話になった。ところが、問題はそれだけではないんや。『大野は単独で取れるんだろうな』と念押しで聞かれた」

 単独1位指名できるがどうかが焦点だった。もし、他球団と重複でもすれば、澤村を回避した意味がなくなる。大野を選んだのは、澤村は10勝するけど10敗もするという評価だけではなく、大野が単独で取れるということが加味されているというのは米村も感じていることだった。

 しかも、この調査は、担当スカウトである米村にしかわからないことだった。普段からどれほど他球団の動きをチェックしているかが鍵を握るのだ。米村は「外れ1位なら、少なくとも阪神は指名に来る。単独で取るには1位入札じゃないと無理です」と報告していた。

「あの日で寿命が何十年も縮まったわ」

 米村は当時をこう回想している。

「スカウト活動には自信があったし、情報も得られていたと思う。しかし、全ての責任が自分に押し寄せてくると思ったら、プレッシャーが物凄かった。俺、気弱いわと生きてきて初めて思ったもん。スカウト会議の後、みんなで食事に行ったけど、ホテルでもどしたからね」

 そして、当日、米村にとって苦痛の時間が始まる。ドラフト1位が次々と読み上げられていく。他球団が「おおの」と呼ばない事を願いながら。しかも厄介なことに、1位指名で6回呼ばれたのが「おおいし」だった。米村は大石がアナウンスされるたびに胸が締め付けられる思いがした。いつ「の」が続いて呼ばれるのかと、怖くて仕方なかった。

 幸い、「おおの」とアナウンスされたのは中日だけだった。大野は中日へと入団。その後の活躍は周知の通りである。

 今季途中、澤村は巨人からトレードされた。ともすれば、2010年のドラフトで大野を指名獲得した中日の勝利と考えられがちだが、澤村の巨人での貢献度も決して悪いものではなく単純比較はできないだろう。ただ一つ言えるのは、大野の指名には間違いがなかったということである。

巨人から1位指名を受け、感極まって涙を流す澤村拓一(当時、中央大) ©共同通信社

 ドラフトは単純な選手評価だけでは決まらない。

 戦略的な相手の状況、様々な要素をふるいにかけて、選抜していく、もし、中日があの時、澤村に行っていたら巨人と重複。大野の指名は、阪神など他球団とバッティングしていただろう。現在のチームのエースを獲得できていたかは微妙である。

「あの日で寿命が何十年も縮まったわ」と米村。2010年のドラフト直後に聞いたのがこの話である。

 当時、関西担当のスカウトだった米村は、今、チーフスカウトという立場になり、全国を飛び回っている。選手にとってのドラフトがそうであるように、スカウトもまた、ドラフトによって運命が変わるのである。

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文=氏原英明

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