「奇跡ですね」

 東北楽天のルーキー・黒川史陽(ふみや)の父、洋行さんは、興奮冷めやらぬ様子だった。

 奈良県出身の黒川にとって、関西での初の凱旋試合となった京セラドーム大阪での10月2日のオリックス戦。黒川は7番・セカンドで先発出場すると、7回表の打席でオリックスの開幕投手・山岡泰輔からライト前に安打を放った。

「一軍でこんな……奇跡です。もう十分です」と洋行さんは満面の笑顔だった。

 母の枝里子さんは、「本当によかったです。1年前の今頃のことを考えると……」と感慨深げだった。

家族会議では大学進学を勧めたが

 1年前、智弁和歌山高校3年だった黒川とその家族は、ドラフト会議を前に気をもむ毎日だった。

 昨年3月の家族会議では、洋行さんは黒川に大学進学を勧めた。

「人生安全に、ということを考えたら、やっぱり大学を出ているほうが、人脈だとかいろんなことを含めて、いいのかなと。ドラフト1位で絶対かかるというのなら別でしょうけど、あの時点ではどうなるかわからないという感じだったので」

 しかし黒川本人は、「絶対にプロに行きたい」という意志が堅かった。

「だから、『じゃあ勝負するか』と。あそこでこっちが大学に行けと押し切ったら、本人的には、中途半端な人生を送っちゃうんじゃないかなと思ったので」と洋行さんは言う。

甲子園一家、プロの厳しさを知る父

 黒川家は野球一家、しかも甲子園一家と言ってもいい。洋行さんは上宮高3年の春、主将として選抜で全国制覇を果たした。長男の大雅は日南学園高で3年春夏の甲子園に出場。次男の史陽は智弁和歌山高で5季連続甲子園出場。三男の怜遠(れおん)は現在、星稜高の2年生だ。

 洋行さんは高校卒業後、同志社大に進学し、社会人野球のミキハウスでプレーした。セガサミーではコーチを務め、その時に指導した選手がプロに行き、活躍する姿も、苦労する姿も見てきただけに、プロの厳しさはわかっていた。

「だから正直、史陽がこの実力でプロに行って、大丈夫なのかな?という思いのほうが強かった。だけど、とにかく練習はすごくできる子なので、そこが決め手でしたね。練習しなくて口ばっかりの子やったら、たぶん行かせてないでしょうけど、なんとかなるんじゃないかと思わせてくれた。逆に、あんだけ練習すれば、(プロで)どうなるのかなという期待のほうが、最後は大きかったですね」

 黒川は、バットコントロールの柔らかさと長打力を備え、高2春の選抜では勝負強さを発揮し準優勝に貢献した。ただ、高3の夏は苦しみ、最後の甲子園は13打数1安打に終わっていた。目標としていたU18ワールドカップの日本代表にも選出されなかった。

甲子園出場5回の黒川。最後の夏は不振に喘いでいた ©Hideki Sugiyama

「こらまずいな、と思いました」と洋行さんは振り返る。セガサミーでは、ドラフトにかかると言われながら指名されなかった選手も大勢見てきた。

「まさかあそこで呼ばれるとは」

 ドラフト会議の1カ月ほど前から、洋行さんは眠れなくなり、1週間前になるとヘルペスができたり、声が出にくくなったりしたという。

 黒川本人も、ドラフト前夜は眠れなかった。ドラフト当日は、会議が始まるギリギリまで練習してから制服に着替え、学校の事務所で待機した。

 黒川の名前は思いのほか早く呼ばれた。東北楽天ゴールデンイーグルスの2位指名だった。

 まだまだ呼ばれないだろうと思っていた黒川は、中継を見ずに、同じく指名を待つ東妻純平(DeNA)と話していた。突然、中谷仁監督に「指名されたぞ」と呼ばれ、慌ただしく記者会見場に向かった黒川は「びっくりしました」と繰り返した。

DeNAに指名された細川とともに両親と記念撮影する黒川。父・洋行さんは安堵と興奮が入り混じった様子だった ©Noriko Yonemushi

 洋行さんは、「まさかあそこで呼ばれるとは思っていなかったんで、固まっちゃいました。4位か5位くらいかなと思っていたので。しかも(内野手の)小深田(大翔)君が1位で行ったので、2位は内野はないなと思っていましたし」と安堵と興奮が入り混じった様子だった。

 就任したばかりだった楽天の三木肇監督は、洋行さんの上宮高時代の2学年下の後輩。「いじめとかんでよかったー」と笑った。

2位指名を受け、三木監督と写真に収まる黒川 ©Noriko Yonemushi

中谷監督も認める「練習の虫」

 黒川の高評価の土台にあったのは、練習への取り組み方や野球へのひたむきさだ。父の洋行さんだけでなく、智弁和歌山の中谷監督も、楽天のスカウト陣も、そこに魅せられ、期待した。

 楽天でもプレーした元プロ選手の中谷監督は、ドラフト後の会見で黒川について聞かれて「練習の虫」と評した。

「野球がうまくなりたくてしょうがないから、常に野球のことを考えている。肩が抜群に強いわけでも、足がすごく速いわけでもなく、飛び抜けた能力があるのかと言われれば堅実なバッティングというところですが、プロでやっていくにはまだまだ足りない。でも野球に取り組む姿勢や、努力し続けることに関しては、どこのドラフト生よりも強く持っていると僕は信じています。これだけ努力する選手が、プロの世界でどういう成果を残すのか、僕はすごく楽しみで、応援したいなと思っています」

 1年生の頃は先輩たちの練習についていくだけでも大変だったはずだが、黒川は全体練習の後も毎日、当時コーチだった中谷監督にノックを打ってもらったり、打撃練習をして力をつけた。

 夜、下宿先に帰ってからもバットを振った。3年の時は細川凌平や宇井治都、徳丸天晴といった後輩たちと一緒に振るのが日課だった。

 高3夏の甲子園では、3回戦の星稜戦で延長14回の激戦に敗れて日本一の夢が断たれたが、その翌日、泣きはらした目で宿舎から学校に帰ってすぐに練習した。

将来のキャプテン候補としての期待

 楽天の愛敬尚史スカウトはこう語っていた。

「日頃からの練習態度や、試合での振る舞いなどを見ていると、人間的にも技術的にも、将来チームの軸になれる存在。うちのチームは内野手のキャプテンシーというところが少し足りない部分なので、そういうところを彼は持っているなと評価して、チームのキャプテンになれる存在だという期待を込めて獲得しました」

 プロに入っても“練習の虫”は変わらない。1月の合同自主トレも、キャンプも、早朝から夜間まで練習漬け。しかもそれが楽しくて仕方がないといった様子だった。

「天職じゃないですか」と洋行さんは笑う。

 張り切って怪我をしては元も子もないが、黒川にはあくなき向上心と、高卒1年目とは思えない、猛練習にも耐えられる強い体がある。だから高卒新人でただ1人、キャンプからオープン戦まで一軍で完走できた。

初対面の佐々木朗希にも切り込む黒川

 それともう1つ、黒川の大きな武器は、物怖じしない性格だ。どんな場所に飛び込んでも遠慮なく自分を出すことができる。智弁和歌山では1年生の初練習の日に、いきなり1人で先輩たちの元に歩み寄って一発ギャグを披露したという逸話もある。

 高3の4月に行われたU18代表候補の合宿の際には、全国から有望選手が集まる中、自然とキャプテンのような立ち位置になっていた。合宿の後、黒川はこう話していた。

「いろんなチームのリーダーが集まる合宿で、その中でも一番先頭に立って、いろんなことを言ったり、いろんな選手とコミュニケーションを取ったり、自分のキャラを出せて、やりたいことができたのは自信になりました。僕はあんまり気を遣わないタイプで、誰とでもしゃべれるし、いろんなことを聞けるんで」

 その合宿では初対面の佐々木朗希(ロッテ)にも切り込んだ。

「『実際何キロ投げたいん?』って聞いたら、『170キロ投げる』って言ったんで、ヤバイなと思いました(笑)」と衝撃の会話を明かした。

 その会話のあと、実戦形式の練習で佐々木は高校生最速の163kmを出した。

高卒新人の初打席初打点は球団初

 ふた回りほど年の離れた先輩もいるプロの世界では、さすがに1年目から遠慮なくというわけにはいかないだろうが、黒川に萎縮する様子はない。

 開幕は二軍で迎えたが、イースタン・リーグでレギュラーとして試合に出続けて2割台後半の打率を残し、9月4日に一軍昇格。その日に7番セカンドで初出場初先発を果たした。

 そして2回裏、いきなり無死満塁の場面でプロ初打席が巡ってきた。

 楽天生命パーク宮城に駆けつけていた洋行さんは「彼の運はすごいなと。だてに甲子園5回行ってないなと思いました」と振り返る。

 プロ初打席とは思えないどっしりとした佇まいで、オリックス・山岡の初球のボール球を見極めると、2球目をきっちりライトに運び、犠牲フライでプロ初打点を挙げた。高卒新人が、1年目に一軍初打席で打点を挙げたのは球団史上初だった。

 4−3で勝利した試合後、本塁打を放った浅村栄斗とともに初のお立ち台に立った。浅村は、黒川が「目標としている選手。こういう選手になりたいなという選手を思い浮かべた時に、浅村選手が出てくる」と語っていた存在。その先輩の隣で、「浅村さんのホームランを見て、一生ついて行こうと思いました!」と叫び、球場を沸かせた。

浅村(右)とお立ち台に上がった黒川 ©Kyodo News

 今夏の和歌山独自大会中、黒川の後輩で今年のドラフト候補である細川凌平の評価をあるスカウトに尋ねると、こんな言葉が返ってきた。

「去年の黒川史陽が、いい伝統を残してくれていますよね。よー練習してたから、そういうのを細川たちが見習ってやっている。智弁和歌山にまた新しい伝統を作ったんだと思います」

 黒川が高校時代に残したもの、そしてこれからプロで見せていく姿は、後輩たちの道しるべにもなる。

文=米虫紀子

photograph by Kyodo News