歴史は新参者に厳しい。

 過去10年の間に、セリエBからの昇格組としてセリエAへ挑んだ30クラブの内、14チームが1年で2部へ逆戻りした。残る16チームの半分も3年以内に1部から姿を消している。

 どれほど2部で圧倒しようがセリエAはやはり別格で、昇格組が生き残るのは至難の業なのだ。

 しかし、今季の昇格3クラブの中で最も戦力が劣るはずのスペツィアが健闘している。

 開幕2戦目でセリエA初勝利を奪い、10月25日の5節パルマ戦では敵地で後半アディショナルタイムまで試合をリードした。

 無念にも92分のPKで2−2のドローに終わり、試合後のイタリアーノ監督は「引き分けに喜ぶべきか怒るべきか。1部でやっていくにはもっと狡猾さが必要だ。うちは若い選手が多いから」と悔やんだ。

逆境だらけのセリエA初挑戦

 1906年のクラブ創設以来となるセリエA初挑戦は、逆境だらけだ。

 なにしろ昨季セリエBで3位だった彼らは、夏場の昇格プレーオフ決勝戦を終えたのが8月20日。リーグの恩情により開幕カードをずらしてもらったが、それでもコロナ禍による圧縮カレンダーの影響で、昇格決定から1カ月少々で初めてのセリエAに挑む戦力を急ぎ整えなければならなかった。

 守備の要だったGKスクフェット(現ウディネーゼ)ら、レンタルで活躍した昨季の主力組は保有元に帰り、9月3日の新チーム初練習日に集まったのはたったの16人……。あの手この手の補強に費やした総額475万ユーロはリーグ最少レベルで、もちろん実入りはゼロ。

 チームが抱える31人分の総年俸も『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙による毎年恒例の調査によれば、リーグ最低の総額2200万ユーロにすぎない。インテルで言うと、ちょうどFWルカク、MFエリクセン、FWサンチェスの3人分にあたる。

 ただし、最弱の戦力でも指揮官イタリアーノは不満を見せない。

セリエDから一気にセリエAに!

「私が望んだ選手を揃えてもらったことはないよ。若い自分が監督に呼ばれるということは雇う側に(ギャラを抑えたり、チーム刷新が失敗した場合の責任を負わせたりできる)メリットがあるからということは承知している。与えられた戦力で期待以上の結果を出すのが優れた指導者だろう?」

 イタリアーノは2014年に引退するまでベローナで長くプレーしたレジスタだった。代表にはかすりもしなかった。

 ところが、指導者転向後、とんでもない離れ業を演じて「何者だ?」と一躍監督業界の話題になった。

 2017-18シーズンにアルズィニャーノ・バルキャンポという小さなセリエD(4部)クラブを3部昇格プレーオフ優勝に導くと、翌18-19シーズンにはシチリア島の西端にある3部トラーパニの監督に呼ばれ、再びプレーオフを勝ち抜きセリエBに昇格させた。そして昨季、やはり就任1年目のスペツィアをセリエAに導いたのである。

 無名の新米指導者ながら3年で4部からセリエA監督に駆け上がった前代未聞の指導力に注目が集まり、イタリアーノにはジェノアを始め複数のAクラブからお誘いがかかった。

無論、手痛い洗礼は覚悟している

 だが、イタリアーノは最弱スペツィアとセリエAに挑むことを選んだ。昇格決定後の凱旋パレードで、港町を走る水路沿いの道を埋め尽くす何千という群衆を見たとき、"この光景を今年だけの思い出にしない"と思い定めたからだ。

 無論、手痛い洗礼は覚悟している。

 初陣となったサッスオーロとの2節では、補強が間に合わず先発に1部デビュー7人を並べて4失点大敗。「自分たちは生後15日の赤ん坊だ」と現実を知った。サン・シーロに乗り込んだ3節ミラン戦でも3失点の返り討ちに遭っている。

 ただし、イタリアーノは4-3-3で攻めるスタイルを変えようとは思っていない。ベテランも若手も扱いはまったく平等。選手には“度胸・根性・忠誠心”の3つを求める。

“スペツィアのイブラ”や苦労人の若手

 9月末のウディネーゼ戦では“スペツィアのイブラ”FWガラビノフが2発を叩き込んで、クラブに歴史的勝利をプレゼントした。

 途中出場したDFエルリッチのように這い上がってきた若手も頼もしい。パルマのユース部門にいた5年前、クラブの破産で所属先を失った。“パルマの孤児”たる彼にとっても、今季のセリエA挑戦にかける思いは強い。

アルバイト暮らしを4年続けたFW

 5節を終えたスペツィアが14位で、昨季セリエB優勝のベネベントが13位と健闘する一方、残る昇格組のクロトーネは勝点1の最下位と苦戦中だ。

 3季ぶりにセリエAに復帰した彼らもまた低予算クラブながら、大黒柱である昨季のB得点王FWシミーを始め、メンバーは多士済々だ。

 今季の選手名鑑を作る上で、500人強に上ったセリエA全選手の中で最も印象に残ったのが、クロトーネのFWメシアスだ。彼の半生はとても60字には収めきれない。

 クルゼイロで育ち、20歳のときに兄弟のツテを頼って単身イタリアへ渡って来たメシアスには代理人もなく、家電販売店の使い走りのアルバイト暮らしを4年続けた。

 朝から番まで重い冷蔵庫配達に明け暮れ、「最初のクラブと契約して月給1500ユーロもらえたとき、"これでようやくサッカーだけで食える"と涙が出た」。

 5年前まで5部アマリーグにいたハングリー根性の塊は、2−4で敗れはしたものの5節カリアリ戦で、嬉しいセリエA初ゴールも決めた。ど根性FWメシアスもまた華やかな舞台へ挑戦状を叩きつける1人なのだ。

「自分たちのスタイルはあきらめない」

 過酷な残留争いには、冬にどう効果的補強をするかといった独自のノウハウが必要になる。そのためには前半戦のうちに格上との初顔合わせを凌ぎながら、急造のチーム戦力の見極めも指揮官には求められる。

 セリエBプレーオフ決勝2ndレグに先発したスペツィアの11人の内、パルマ戦にも先発したのは4人にすぎない。指揮官イタリアーノは試せる選手はどんどん試す。

「選手たちには一人ひとりがチームの力になっていることを自覚してほしいんだ。我々には足りないところがまだたくさんある。だが、自分たちのスタイルはあきらめない」

第二次世界大戦と“名誉スクデット”

 本当は、スペツィアは新参者ではない。

 少なくとも町の人びとはそう思っている。

 第二次世界大戦の戦火がいよいよ激しくなった1944年、イタリア・サッカー連盟は全国リーグ続行を断念し、ミラノ勢やユベントスなど北イタリアの有力クラブによる特例リーグ戦が組織された。

 そのとき、1位になったのが消防士で編成されたスペツィアだった。

 2002年になり、連盟は当時の優勝を“名誉スクデット”として認定した。あくまで戦時下の名誉タイトル的な扱いで、本物のタイトルとしての扱いはされないが、彼らのユニフォームの右胸にある3色のワッペンはその証だ。

「ピッコ」が11月まで使えない中で

 21世紀が始まったばかりの頃、3部時代のスペツィアの試合を観に行ったことがある。港近くのホームスタジアム「ピッコ」は、セメント造りのゴール裏スタンドに吹きさらしの潮風が舞っていて、寒さと口の中がしょっぱかったことを思い出す。

 その「ピッコ」は改装工事中で11月まで使えない。300km離れたチェゼーナのスタジアムを間借りしての主催ゲームを強いられているスペツィアは、次節でユベントスと対戦する。それでも、イタリアーノのチームに怯むところは見られない。

「勝機を見出すために、できる限りスペースを渡さずこちらから仕掛けていきたい。うちを見くびる輩を黙らせてやろうじゃないか」

 11月1日、76年前の幻の王者が仮のホームで21世紀の無敵王者ユベントスに立ち向かう。歴史はどちらに微笑むだろうか。

文=弓削高志

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