J1新記録の11連勝を達成した川崎フロンターレ・鬼木達監督インタビューの3回目です。(全3回の3回目/#1、#2へ)

 小さい子への指導って、これほど難しいものなの?

「川崎の宝」と呼ばれ、2006年シーズン限りで現役を引退した鬼木達はフロンターレに残って指導者に転身。年中児から小学生を対象としたスクールを担当することになったが、思った以上にうまく教えられない。最初は戸惑うことばかりだったという。

「“ボールを止める、蹴る”ができる以前の子供たちを教えるってなると、どうやって教えていいかが分からない(笑)。スクールの若いコーチは選手経験とかなくても、うまく教えているんですよね。

 指導法を僕より年下のコーチに教えてもらって、同じようにやってみることから始めました。スクールのコンセプトが“楽しませる”だったんで、そこは僕も子供たちと一緒にボールを蹴って楽しくやろうとしました」

勝負の鬼が、仏の顔になった

 サッカーを一緒になって楽しもう。

 伊藤宏樹ら後輩からも怖がられた勝負の鬼は、仏の顔になって子供たちにとっても人気のコーチとなっていく。

 つい最近までフロンターレで背番号「7」を背負っていた本物なのだから、子供も保護者も喜んでくれた。鬼木はさらにクラブが立ち上げたU-12でもコーチを務めることになる。

 これには将来を見越したフロントの思いもあった。強化担当者の庄子春男はこう語る。

「プロを引退してすぐ指導者になると、実演することはできてもなかなか言葉ではうまく落とし込めない。やっぱりジュニア世代の指導から始めていけば、そういうところも学ぶことができる。そこは鬼木とも話をしながら方向性を出したとは思いますよ。

 それだけじゃなくてトップチームで活躍した選手が指導にあたるようになれば、何より子供たちにとっていい刺激になる。当然、タイミングというものはありますけど、いずれトップチームで指導してもらいたいという思いはもちろんありましたよ」

みんなが1つになる大切さも教えようとした

 1つ悩みが去れば、1つ新しい悩みがやってくる。

 スクールとアカデミーでは教え方が変わってくる。アカデミーはタレントを育てて1人でも多くトップチームに昇格させていくことが求められるからだ。

「うまい子もいれば、そうでもない子だっています。指導の基準をどこに合わせればいいのかとかいろいろと悩みましたね。でも……結局、そのときもその先も、答えらしい答えは自分のなかで出なかったんです。考えたのは、みんなをどんどんうまくしていきたい、と。多少、指導が厳しくなっても最終的にうまくなったら、それはみんなの喜びに変わるだろうって自分に言い聞かせたんです」(鬼木)

 仏の顔も、鬼の顔も両方持ち合わせて子供たちに熱血指導した。選手時代と同様に、相手のハートに直接訴えかけるように。

 負けるのは誰よりも嫌い。試合になれば勝利に向かって、みんなが1つになる大切さも教えようとした。

当時10歳の板倉滉が、感謝の手紙を読み上げた

 わずか1年でU-18のコーチに就任することが決まる。

 鬼木は今も「最後の練習」のことをよく覚えている。

 いつものように始まり、いつものように終わった。子供たちから何かリアクションがあったわけでもない。感傷的な気分に浸ることもなく「何だかあっさりしているな」と、ピッチを引き上げようとしたそのときだった。

 教えてきたU-12の子供たちが自分の前に集まってきた。

 当時10歳の板倉滉(現在はフローニンゲン)が、感謝の手紙を読み上げた。

「子供たちにまんまとだまされたんですよ。板倉がまたズルい。アイツ、泣きながら読むんですよ。一緒にやれてよかった、楽しかったです、ユースで待っててくださいって。うれしかったですね。自分の教え方がいいのか、そうじゃないのかってなかなか分からないじゃないですか。一緒にやれてよかったって言ってくれたのは……もう感動でしたね」

 気がつけば、板倉以上に号泣していた。

 今もその手紙は、大切に保管しているという。

チームのために闘うこと、走ることを求めた

 真正面から向き合い、子供たちのことを思い、うまくなってもらうために愛情を持って全力でぶつかる。選手でやってきたことを、指導者になっても変わらず続けていけばいい。自分なりに何となく方向性が見えた気がした。

 2008年からは2年間、U-18コーチの任に当たった。

「アカデミーの難しさは学校生活が一緒じゃないこと。だから一体感をつくるのが簡単じゃない。それでも仲間意識がないわけじゃないので、コーチの立場から組織としてぎゅっとなれるものをつくりたいとは思っていました」

 技術の習得はもちろんだが、チームのために闘うこと、走ることを求めた。勝利に向かってみんなが1つになる。そこから得られる喜びを体感させた。厳しい練習で知られた母校の市立船橋高や“常勝”鹿島アントラーズで学んだエッセンスも落とし込み、2009年7月のクラブユース選手権、12月のJユースカップでも決勝トーナメントに進出するなどチームは地力をつけていく。

「目の前で起こっていることをやり過ごさない」

 指導者としての手腕も評価され、2010年からはいよいよトップチームのコーチに就任する。ここから7年間、高畠勉、相馬直樹、そして風間八宏のもとで監督を支える立場となる。

 引退から3年。コーチとなってトップチームに帰ってきた鬼木は、指導者としても頼られる存在となっていく。鬼木からキャプテンを引き継ぎ、その後もリーダー的な役割を担ってきた伊藤宏樹はこう振り返る。

「オニさんがコーチ時代、2人でよく話をしました。戦術的な確認ばかりじゃなく、心の持ち方とかそういうことも。鬼さんは選手みんなのことを本当によく見ていましたよ。試合に絡めていなくてモチベーションに苦しんでいる選手に対して本気でぶつかっていましたし、目の前で起こっていることをやり過ごさないんですよね。現役のときと一緒なんです」

 鬼木自身、監督の仕事をサポートするとともに、選手の心理的なケアも自分の役目だと理解していた。目配りは常に心掛けていたことだ。

「様子がちょっとおかしいなと思って声を掛けてみると、悩んでいることを話してくれたり……。やっぱり監督には言えないことも、コーチに対しては言えるってこともありますからね。自分としては、腹を割って話をして監督の目指すほうに彼らの気持ちを誘導していく。ごまかさずに向き合えば、分かりあえるっていうスタンスでずっとやっていました」

コーチと監督では重みが違う

 7年間のコーチ経験を経て学んだのが、言葉の大切さだ。

 コーチと監督では重みが違う。監督が発する一言に、選手たちが敏感に反応していく光景を見てきた。

「高畠さん、相馬さん、風間さん。みなさん信念がそれぞれあって、近くにいるだけで勉強になりました。監督が自分なりの言葉で語り掛けることによって、選手たちも食いつくようにして聞く。借り物の言葉じゃなくて、やっぱり自分の言葉を持つことが大切なんだと実感を持ちました」

 じゃあ、オレの言葉って。

 いつしかそんなことを考えるようになっていた。

「本気の言葉じゃないと選手に伝わらない」

 2016年シーズン限りで風間体制にピリオドが打たれることになり、鬼木ヘッドコーチの昇格が発表された。

 庄子が打診した際、こう返ってきたという。

「クラブが築き上げてきた今のスタイルを継承するというのならばぜひやらせてもらいたい」

 フロンターレの宝と呼ばれた男の、満を持しての監督就任。フロンターレで選手、育成コーチを経験してきた初めてのケースとなった。

 ここからの活躍は説明の必要もないだろう。

 就任1年目でリーグ初制覇、翌年には2連覇を達成。昨年は4位にとどまったが、ルヴァンカップ初優勝に導いた。

 鬼木のこだわりは、本気の言葉だ。

「大切にしているのは、嘘をつかず、ごまかさず、きちんと向き合って……僕の場合、本気の言葉じゃないと選手に伝わらないと思うんですよ。でも結局それが自分のパワーにもなります。

 そのためにも選手のことはしっかり見ているという自負はあります。日ごろのトレーニング、全体練習後の自主練習や日常の振る舞い。しっかり見たうえで選手選考しています。

 ウチはハードワークや技術レベルもそうですけど“ここのレベルに達しないと出られない”というのをみんな分かってくれています。そしてずっとやり続けないといけないってことも」

「厳しいけど、充実感を持ってやり切れる」メニュー

 他クラブからすればうらやましい戦力かもしれない。

 だがその分、組織をうまく回していくことが難しくなる。鬼木はしっかりと基準をつくって、自分の基準というよりもチームの基準とした。

 本気の言葉が説得力を帯びるためには、まずもって自分がやるべきことをやっておかなければならない。対戦相手の研究、自チームの分析になると監督室にこもりっきりになるほど。練習内容も「厳しいけど、充実感を持ってやり切れる」メニューをとことん考える。

 一方でコーチを長く経験してきただけに、コーチ、スタッフにもやりがいを持って仕事をしてもらう。コミュニケーションを密にしてコーチと相談しながら、あらゆるものを決めていく。

「ネガティブな感情って、結局は自分にはね返る」

 選手個々に対するアプローチもそうだ。

「元気ないとか、モチベーションがちょっと低いなとか感じることもありますよ。僕も出られない時期やケガで苦しんだ時期がありますからよく分かります。

 でも、ネガティブな感情って、結局は自分にはね返る。経験上、それもよく分かっている。少しでもその時間を短くしてあげることも大事だと思っています。

 だから自分にフォーカスすべきだという話はよくします。ただ、伝えなきゃいけないところ、今は言わないで我慢しなきゃいけないところもある。ここもコーチングスタッフがかなりフォローしてくれています。

 なかなか出られない選手が必死にやっていたら、僕というよりもみんなが見逃さないじゃないですか。そういう選手が活躍したら、みんなの喜び方が半端じゃない。それがチームのパワーになっていくこともみんなが分かってくれています。

 向上心を持てるかどうかがすべて。みんなここが凄い(笑)。トレーニングの姿を見ていたら、こりゃ強いよなってそれは思います」

みんなに向き合っている。と同時に、自分に向き合っている

 自分が主語ではなく、チームが主語。

 これこそが鬼木流の真髄と言えるのかもしれない。

 選手もスタッフも全員を巻き込んで、同じ目線、同じ基準で語らせる。フロンターレの歴史を築き、キャプテンとして束ね、育成組織から始まった長いコーチ生活があるからこそ、そして何よりも本気になって「熱」を伝えてきたからこそ、この境地に辿りつくことができたのかもしれない。

 鬼木達とは、どんな監督か。

 庄子が語る表現が、最もしっくりくる。

「血が通った監督なんじゃないでしょうか。いいときも苦しいときも、正直にみんなに向き合っている。と同時に、自分に向き合っている。ここが選手、スタッフに伝わっているんだなと感じます」

 生き方も、人との向き合い方も、言葉も、覚悟も。

 うわべだけじゃない。すべてが本気だ。

 血が通った指揮官が導く、血が通ったチーム。

 なるほど、川崎フロンターレが滅法強いのも理解できる。

文=二宮寿朗

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