今回、この遠征に関わったJFA関係者、テレビ局員に取材をし、舞台裏からこれがどれほど大きな「挑戦」だったかを4回(#2、#3、#4)にわたって、「Jをめぐる冒険」連載中の飯尾篤史氏が深部まで描く。第1回は日本代表のマッチメークが動いた瞬間について。
植田直通の渾身ヘッドがコートジボワールのゴールネットを揺らした瞬間、「よし!」と拳を握りしめた日本サッカー協会(JFA)技術委員長の反町康治は、ピッチ上に広がる歓喜の輪を見て、苦笑せずにはいられなかった。
「海外ではどういったガイドラインに従っているのかは分からないけど、我々のガイドラインでは、口に含んだ水を吐き出してはいけない、倒れた選手に手を差し伸べてもいけない。得点したあとにハイタッチをしたり、抱擁するのもダメだぞ、と言っていたのに、みんな、植田に抱きつきに行ったからね。でも、仕方ないかなと。だって、あの場面で感情を表現できなかったら、それはもう、サッカーじゃないからね」

このゴールでコートジボワールを1-0と下した日本代表は、0-0に終わったカメルーン戦と合わせ、1勝1分の成績でオランダ遠征を終えた。コロナ禍における厳戒態勢のなかで行なわれた日本代表の約1年ぶりの活動は、反町の目にはとても有意義なものに映っていた。
「1年ぶりに試合を組めたというだけでなく、日本も相手もコンディションが良くてガチンコ勝負ができた。それに2試合とも拮抗した試合で、少しでも気を抜けばやられるという緊張感があったよね。1試合目はうまくいかないところもあったけど、2試合目は修正して勝ちに繋げられた。そういう意味では、2試合以上、5、6試合ぶんの価値があったと思う」
だが、改めて激動の2カ月間を振り返ると、これほどまでに有意義な遠征になったことが、ちょっと信じられない思いでもあった。
「いったい何度、これはもう無理かもしれない、と思ったことか……」
代表戦をやる場合、強制力はあるのか
アジアサッカー連盟(AFC)が10月、11月のインターナショナルマッチウイークに予定されていたカタールW杯アジア2次予選を2021年6月に延期すると発表したのは、8月12日のことだった。
これで3月、6月、9月に予定されていた6試合に続き、またしても日本代表の試合が延期となった。
AFCの理事であるため、その情報を真っ先に入手したJFA会長の田嶋幸三は、その場でAFCに確認を取った。

「10月、11月に代表戦を行なう場合、選手招集に対する強制力はあるんですか?」
このとき、田嶋が「強制力」と言ったのには理由がある。
ヨーロッパで主催試合を開催できないか
9月に組まれていたW杯2次予選が延期になった際は、インターナショナルマッチウイークそのものが21年6月に移ったため、仮に9月に代表戦を行なったとしても、各クラブには選手の派遣義務がなかった。
しかし、10月と11月のケースはそれとは異なっていた。W杯予選が延期されただけで、インターナショナルマッチウイークはそのまま。つまり、親善試合を組んだ場合、代表チームは各国リーグに散らばる選手たちを呼ぶことができる――田嶋が確認したのは、このことだった。
むろん、依然として人々の生活は新型コロナウイルスに侵されたままである。感染拡大防止のためのプロトコルは各国どころか州によっても異なるため、希望する選手全員を招集できるわけではない。しかし、それでも日本代表の活動再開に光が差し込んだのは確かだった。
そこで田嶋に、あるアイデアが浮かんだ。
ヨーロッパでJFA主催のゲームを開催できないものか――。
「ただ、簡単じゃないと思ったよ」
対戦相手を日本に招くのが困難な情勢だから、日本国内でホームゲームを行なうことは難しい。しかし、過去にもW杯に向けた準備としてヨーロッパで試合を開催したことがあるから、決して不可能ではないはずだ……。
そう思い立った田嶋はすぐさま反町の電話を鳴らし、「やれるけど、どうする? 森保(一)監督とすぐに話をしてくれるか」と語りかけた。
会長から連絡を受けた反町は「なるほど、その手があったか」と一旦は感心したものの、本当に試合を組めるかどうかは疑問だった。
「もちろん、森保もやりたいと言うだろうと。ただ、簡単じゃないと思ったよ。日本代表というからにはベストメンバーを集めなきゃいけない。ただ、Jリーグの選手をヨーロッパに連れて行くと、帰国後2週間、自主待機することになるから難しい。じゃあ、ヨーロッパでプレーする選手を23人呼べるのか。それに、コロナ禍の今、ヨーロッパで試合をやらせてくれるところがあるのか……。いろんな弊害があるのは間違いないから、これは難しいだろうなと」
「正直、間に合わない」との声も
3月、6月、9月のW杯予選が延期となり、9月には国内で親善試合を組む計画もあったが、日本政府の方針で相手チームの入国が困難になり、中止せざるを得なかった。さらに10月、11月のW杯予選までも延期されるという危機的状況で浮上した“ウルトラC”とも言うべき、ヨーロッパでの主催試合――。
そのアイデアに半信半疑の反町に対して、「正直、間に合わないと思います」ときっぱり答えたのは、JFA競技運営部・部長の平井徹である。
競技運営部とは、文字どおり競技の運営を司る部署である。国内競技会ではアンダー12からオーバー70、女子、フットサル、ビーチサッカーの大会を運営し、国際グループではすべてのカテゴリーの日本代表戦の運営を担当している。
「我々の国際グループはW杯予選の準備をずっとしてきましたが、キャンセルに次ぐキャンセルで。ついに年内の代表戦はなくなってしまったか、と落胆していました。天皇杯や高円宮杯の準備を粛々と進めていたところ、田嶋会長から電話をもらって『やるぞ!』と。そのあと、反町技術委員長から『実際、間に合うの?』と連絡をもらった。やるという発想がまったくなかったので、『どうやってやるんですか。日本に呼べないじゃないですか』と訊ねたら、『ヨーロッパでやるんだ』と。でも、試合は10月上旬。この時点ですでに試合の2カ月前でしたから、僕の頭の中にパッと浮かんだのは『無理』の二文字でした」
待機措置なく入れる国をターゲットに
長年、国際試合の運営に携わってきた平井にとっても、今回のハードルはあまりに高く感じられた。
しかし、このままでは年内の代表戦がゼロになってしまう。なんとか代表戦を実現させたい――。
その使命感が、平井を突き動かした。
そこでまず着手したのは、開催地の選定である。
ターゲットは日本人が待機措置なく入れる国だ。制限のない国をリストアップしたうえで、外務省に出向しているJFAの職員を通して各国在外公館と連絡を取り、感染状況を日々確認しながら丁寧に資料や情報、知見を収集していった。
そのなかで候補地として浮上したのが、オランダだった。
“力が拮抗した国”が空いていない
「オランダは日本からの渡航を制限していなかったし、その頃、感染者数が1日500人程度と日本と同じくらいで、ヨーロッパの中では少なかった。それで、ここしかないなと。『オランダならやれそうです』と提案したのが8月末でした」

対戦相手の選定も並行して進められた。
親善試合の相手を選定する際、さまざまな狙いがある。例えば、攻撃の形やチームコンセプトを確認するため、あえて格下の相手と対戦することもある。
しかし、森保が今回、反町に希望したのは、そうしたレベルの対戦相手ではなかった。
「拮抗した相手と戦いたいということだった。そのリクエストをもとに探していった」
日本よりも強い相手は世界中にたくさんありそうなものだが、そう簡単な話ではない。ヨーロッパでは2018年にUEFAネーションズリーグというナショナルチームによる大会が創設され、インターナショナルマッチウイークに、その試合が組まれている。
「2試合日ともネーションズリーグが入っているが、今回オランダがメキシコと対戦したように、2試合やる前に1試合は親善試合を行なうところも多いんだ。でも、時すでに遅し。1カ月前に対戦相手が空いている国なんてないんだよ」
さらに、南米ではW杯予選が組まれていた。つまり、空いているのはアフリカ、北中米カリブ海、アジアとなり、森保監督のリクエストを鑑みれば、アフリカか、北中米カリブ海となる。
メキシコをはじめとする北中米カリブ海の代表チームに打診をしたが、すでに親善試合を組んでいたり、活動予定がなかったりと、芳しい返事がもらえない。
試合前1カ月を切った段階で決定
一方で、アフリカのチームは本国からヨーロッパに入ることができない。そのため、アフリカの代表チームであっても、日本と同じようにヨーロッパでプレーする選手だけで23人のメンバーを組めるチームを探した。
「平井が必死になって探してくれて、カメルーンとコートジボワールは組めそうだと。それで連絡したら、向こうの監督さんも乗り気だと。さらにヨーロッパのメンバーだけで23人組めるという証拠まで出してくれて。それで9月1週目くらいには絞り込むことができた」
実際、9月11日にオンラインでのブリーフィングと、JFAの公式ホームページ上のコラムで反町は、10月にカメルーン、コートジボワールとオランダで親善試合を行なうことを明らかにしている。カメルーン戦は10月9日開催予定だったから、この時点で試合まで1カ月を切っていた。
同時進行で会場の選定も進めて
さらに同時進行で、会場の選定も進められた。
オランダ国内のいくつかのスタジアムに連絡し、条件面を確認しながら、感触を掴んでいく。これまでの海外遠征ではJFA職員が渡欧し、各スタジアムを回って交渉に臨んできたが、今回は事前に視察することができない。
「ですから、エールディビジのクラブにエージェントやプロモーター経由で当たって交渉するしか、会場選定の方法がなかった。それで条件面を検討したり、レスポンスの内容で協力的かどうかを吟味して、エージェントやプロモーターにも『どう? やりたそう?』って感触を確認して」
こうして絞り込んだのが、オランダ第4の都市、ユトレヒトだった。
日本代表は岡田武史監督時代の2009年にオランダ遠征を行なっている。その際、ガーナ代表と対戦した会場がユトレヒトだった。


事前に視察ができないわけだから、会場は勝手を知るところがいいはずだ。ましてやユトレヒトは現在、JFA欧州駐在強化部員を務める藤田俊哉が現役時代に在籍した経験がある。そのつながりもあったのではないか――。
そう想像したのだが、平井はきっぱりと否定した。
「実は、まったく関係ありません。今回は1カ月後には試合が迫っているし、新型コロナウイルスのプロトコルを実施したり、PCR検査を行なったりと、チャレンジングなことが多かったので、協力的なところじゃないと難しい。いくつか乗り気のクラブ、スタジアムはあったんですけど、最終的に『ぜひ、やりたい』と言ってくれたのが、FCユトレヒトだった」
土壇場でオランダ協会の承認が降りない
なんとか対戦相手と会場の目処が立ったが、スムーズに正式発表できたわけではない。土壇場でオランダサッカー協会の承認が降りなかったからだ。
原因は齟齬にあった。オランダ協会はカメルーン、コートジボワールの選手たちがアフリカからやって来ると勘違いしていたのだ。
「こちらの説明が拙かったのかもしれません。『カメルーンもコートジボワールも全員、ヨーロッパにいますから』と両チームのメンバーリストを示しながら念を押して、ようやく承認してもらいました。そこで2日間ほどロスしてしまった。承認が取れないと、スタジアムとの契約もできないですから、後手後手に回ってしまって、苦しかった」
こうして9月16日、カメルーン、コートジボワールとオランダのユトレヒトで対戦することを正式に発表するに至った。
ただ、状況は日々変化していた
今回、オランダでの代表戦開催にこぎつけた要因のひとつには、オランダサッカー協会とJFAとの良好な関係性があった。田嶋が説明する。
「現在の会長は昨年就任されたのですが、その前はミハエル・ファン・プラークさんが長く会長を務められてきた。オランダ協会の審判の方で、お父さんはアヤックスの会長をされていて、私も親しくさせてもらってきた。11年の東日本大震災の3日前に来日されて、『日本の若手をオランダリーグで受け入れるから提携しないか』という話もあったんです。最近のオランダリーグでの日本人選手の活躍は、ファン・プラークさんの考えが間違っていなかったことの証明でもあるわけです。そうやって、オランダ協会とは非常に良い関係を築いてきた。それも今回、大きかったと思います」
もっとも、だからといって、日本代表のオランダ遠征が実現する保証など、どこにもなかった。状況は日々変化し、すべてが白紙に戻る可能性も生じていた。
9月下旬、新型コロナウイルスの猛威が再びヨーロッパの国々を覆い始めていたからである。
(第2回に続く。NumberWeb以外の外部サイトでお読みの方は関連記事『大迫勇也が“カメルーン戦だけ出られた”交渉とは JFA、TV局関係者が語る欧州遠征の「綱渡り」』よりご覧ください)
文=飯尾篤史
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