夜の9時を回ると、試合はいよいよ佳境に入る。その日、あいにく埼玉西武ライオンズは大差でリードを許して最終回。西武鉄道所沢駅管区の松浦靖志駅長は、真剣な眼差しでラスト1イニングの攻防を見つめる。スタジアムの一角……ではなく、場所は西武球場前駅の事務室だ。手元にはいくつもの列車の運行パターンが書かれたカードを広げ、時折無線や電話でどこかと連絡を取っている。

「いま、最終回に入ったのでこのままスムーズなら“6”でいきましょう」

 そんなやり取りをしている松浦駅長の後ろで、駅員たちも試合展開を見守る。ライオンズ最後の攻撃、少し楽天の投手陣がもたついて試合終了まで時間がかかる。すると再び松浦駅長が無線を手にする。

真剣にラスト1イニングの攻防を見つめる、西武球場前駅の松浦駅長

「うーん、ちょっと長くなってるんで“6”はナシ。たぶん“7”でいけると思います」

 そして試合が終わる。松浦駅長が電話で西武鉄道の司令に連絡。

「いま試合が終わりました。“7”、でいきます。お願いします」

 同じ内容を無線でも連絡し、事務室に控える駅員たちにも声をかけると、一斉に駅員たちが動き出す。試合中、ホームに停まっていた電車にも明かりが灯る。メットライフドームからは試合観戦を終えた観客たちが足早にやってきて、駅の改札を次々に通り抜ける。そしてホームの行き先案内には「急行 池袋ゆき」の列車の表示――。西武鉄道が誇る、“野球ダイヤ”の運用スタートである。

取材日のメットライフドームの様子 西武鉄道の司令に電話「きょうは“7”でいきます」

”野球ダイヤ”は西武鉄道の伝統

 西武鉄道狭山線の終点、西武球場前駅はその名の通り野球場の駅だ。改札口を出て左に折れて少し歩けばメットライフドームが鎮座する。試合日には多くの観客がやってきて、試合が終わればこの駅から電車に乗って帰ってゆく。西武鉄道ではそうした観客を効率的に輸送するため、いわゆる“野球ダイヤ”、通常とは違う体制で対応しているのだ。

 試合終了に合わせて臨時列車を走らせ、さらに駅員も増員して一気に押し寄せる乗客の案内も行う。所沢にライオンズが来て以来、西武鉄道ならではのいわば伝統のようなものだ。

”野球ダイヤ”、2つのコロナ対策

 ただ、その野球ダイヤ、今年は少し事情が違う。ご存知の通りのコロナ禍で、帰宅する観客が密にならないように気を配らなければならないし、そもそも観客数が制限されているからメットライフドームが満員になることはない。そうした中で、西武鉄道でも例年とは少し異なる野球ダイヤの運用をしているという。

「新型コロナウイルスの感染対策でいうと主なものは2つ。ひとつは案内放送の強化で、もうひとつは臨時列車の運行。ただ、臨時列車については平日のナイターで3本、これは例年とは変えていないんです」(松浦駅長)

試合終了直前のメットライフドーム

3本の臨時列車「池袋行き」

 狭山線のダイヤは15分間隔で西所沢〜西武球場前間の往復が基本パターン。しかし、それだけではとうてい観客の帰宅需要は賄えないので臨時列車が必要になる。平日のナイター当日は、試合終了後にこの定期列車の間に1本ずつ、合計3本の臨時列車「池袋行き」が走るのだ。これは、コロナ禍で観客数が少ない中でも例年と変えていない。

「臨時列車の本数を減らすと、かえってその列車にお客さまが集中して混雑し、密になってしまうことがあります。なので、臨時列車は例年通り3本確保しています。ただ、開幕当時の無観客時はもちろん臨時列車の運行はしませんでしたし、観客を入れ始めた当初の臨時列車は2本でした。9月にはいって観客数の制限が緩和されたタイミングで、例年通りの3本の臨時、という形になっています」(松浦駅長)

各停だけの「行き先案内」だったが…… 2本の「急行 池袋行き」が表示された。この2本ともう1本が臨時列車だ

 メットライフドームへ野球観戦に訪れる観客のうち、6〜7割ほどが鉄道利用。この比率はコロナ禍でもほとんど変わっていないという。取材した当日の観客は5645人。そのうち約73%の4100人ほどが鉄道で来場していた。

1本目の臨時列車は試合終了から10分後出発

「臨時列車は試合終了後から運行します。終了時間にあわせて、平日のナイターでは11のパターンを用意しており、試合が終わった時点で駅長が決めるんです。それで司令に連絡し、待機している乗務員や駅員も動きます」(松浦駅長)

 どのパターンを採用するかは駅長の裁量に任されているが、基本的には1本目の臨時列車は試合終了からおおよそ10分後の出発。そのため、冒頭のように駅員たちも試合展開を見守ることになる。また、試合展開によっては途中で帰る客が多くなることもあるし、ライオンズが勝利した場合にはヒーローインタビューなどで観客の帰宅時間が遅くなることもある。試合終了からどのような流れで観客が帰路につき、どの列車に集中するのか。そうした要素をすべて勘案して駅長は臨時列車を走らせるパターンを決めているのだ。

試合終了前には静かな駅だったが… 試合終了とともに観客が一気に電車へと急ぐ

「何もない日は駅員2名ですが、試合日は12名増員します」

 臨時列車に使用する車両は、事前に回送や臨時列車で西武球場前駅にやってきてホームに停車し、試合終了を待っている。西武球場前駅には1〜6番までのホームがあり、このうち15分間隔の定期列車は1番ホームを使う。臨時列車は2〜4番ホームで待機し(休日のデーゲームなど臨時列車を4本運行する場合は5番ホームまで使用)、1番端の6番ホームには試合開催日のみ運行される特急「スタジアムエクスプレス」が停まっている。こうしていつでも運行できる状態を整えて試合終了を待つ、というわけだ。

「臨時列車の運行にあわせて、駅員も増員して待機しています。何もない日の西武球場前駅は駅員2名体制なのですが、試合日には観客数にもよりますが12名増員します。所沢駅管区だけではまかなえないので、他の管区の駅からも来てもらって、駅設備の消毒作業や清掃を実施し、帰りの輸送に備え配置や役割を伝えたのちは、試合展開を見守ってもらう、という感じですね」(松浦駅長)

前方への乗車を促す駅員 前方への乗車を促す駅員

 取材当日は池袋や西武新宿などから応援に来ていた駅員もいた。ただ、観客数の少ない今年は、当日の入場人員などを見た上で数人を早めに帰宅させるなど、“効率的な運営”にも努めているという。

「100%の乗車率になった場合は、ロープを張ります」

 そして、この増員された“駅員”たちがもうひとつのコロナ対策のカギを握る。櫛形の西武球場前駅では、どうしても(進行方向)最後尾の車両が混雑しやすい。特に、発車間際に駆け込み乗車が相次げば、最後尾車両だけが“密”になり、改札口から遠い前方の車両は余裕たっぷり、などということにもなりかねないのだ。そこで、駅員たちが放送などで前方での乗車を促している。

「ボードを掲げて前方に乗っていただくようお声がけしたり、余裕を持って次の列車に乗車していただくよう案内したりしています。定期列車を含めれば7〜8分後には次の列車が出発しますからね。また、最後尾車両がおおむね100%の乗車率になった場合には、ドアの前にロープを張って乗車をご遠慮いただくこともあります」(松浦駅長)

最後尾車両がおおむね100%の乗車率になった場合、ドアの前にロープを張る

「臨時列車の3本目ともなるともうガラガラです」

 乗車率100%というと、座席がすべて埋まり、立っている客全員がつり革か手すりに掴まれる程度の混雑具合。つまりまだまだ“満員電車”には程遠いのだが、それだけ余裕を持ってコントロールしているのだ。もちろんロープを用いた対応はコロナ禍の今年ならでは。

「4000人ほどが電車利用で、途中で帰る人が多いと試合終了後には2000人程度しか来られないこともある。そうなると臨時列車の3本目ともなるともうガラガラですよね。でも、基本的な対応は例年通り。安心して、お客さまにはご利用いただきたいですからね」(松浦駅長)

 ちなみに、ナイター帰りのお客はお酒を飲んでいる人も多く、さらに試合結果によっては気分も上げ下げがあるイメージ。その点でも感染対策上、そして鉄道の安全運行上の問題となりそうなトラブルも気になるが……。

「おかげさまで、そうしたことはまったくといっていいほどありません。私たちができるのは、安心してご利用いただけるよう、電車内の“密”を作らないため混雑状況を把握して、的確な放送とプラカードによるご案内をすることだけ。最終的にはお客さまにご協力いただかなければ何もできないんです。ですから、お客さまのご協力のおかげで、密も回避して安全に運行もできているということですね」(松浦駅長)

 ときに無線で指示を飛ばしながら、観客たちの流れを見守る松浦駅長。その話を聞いて取材をひと通り終え、筆者は“3本目の臨時列車”に乗って帰路についた。ほとんどの観客はすでに先発した列車で帰っており、車内は閑散としていた。本当ならば、3本目の臨時列車も活気あふれる満員電車、が理想のはず。そんな日がまたやって来ることを祈るばかり、である――。

(写真=鼠入昌史)

文=鼠入昌史

photograph by Masashi Soiri