プロ格闘家で、「PRIDE」「DREAM」などでも活躍した青木真也さん。東大卒でプロゲーマーに転身し世界的に活躍するときどさん。2人の“異業種格闘対談”が実現。聞き手はときどさんの中・高の先輩にあたり、『麻布という不治の病』を出版した教育ジャーナリストのおおたとしまささん。2回目は“オリンピック選手のスキャンダル”について話が進んでいきます。(全3回の2回目/#1、#3へ)

「えっ? スポーツで人間性が磨かれるなんて幻想ですよ」

ときど こんなにまじめに勝負事に取り組んでいるのに、ゲーマーはなんで世の中からこんなに下に見られてむごい扱いをされなきゃいけないんだろうなって思いはいまだにあります。

青木 きっとやくざな商売って思われますよね。僕らも同じですけど(笑)。

ときど その点でいうと、実際の痛みを感じないで戦っているってことがずっとコンプレックスでした。スポーツは実際に肉体を使って、内面的にも成長していると思われているから、尊敬されるんだろうなという思いがいまもあります。

青木 えっ? でも、スポーツで人間性が磨かれるなんて幻想ですよ。日本の場合、学校教育とスポーツがリンクしちゃっているから、おかしなストーリーができあがってしまっていますけど。だからこそスポーツ選手のスキャンダルって炎上しやすいんだと思うんですよね。

ときど 僕も、「アスリートは人間的にも優れている」と思い込んじゃっている側でした(笑)。

プロ格闘家の青木真也さん

だって、ゲームって誰かに習いました?

青木 良くも悪くも僕たちのやっていることって、学校教育とリンクしていないからこそ自立する必要がある。でも世の中、案外自立してないひとが多いんだなというのが最近の答えですね。だって、ゲームって誰かに習いました?

ときど 習っていないですね。

青木 僕も格闘技を誰かに手取り足取り教えてもらったわけじゃなくて、自分で考えてやってきました。でも手取り足取り教えてくれちゃう「学校」って、自立を促さないシステムだから、そこだけで育っちゃうと、究極的なところで弱い気がするんですよね。要するにみんな「意志」がないんですよ。最近では格闘技でも親御さんが前に出てくるケースが増えてきています。僕も指導を頼まれることがあるんですけど、結局子どもに意志がない。

ときど 僕なんかは「ゲームなんてやるな」みたいな圧倒的な雰囲気のなかでも止められなかった“たち”ですからね。

青木 徹底的に個性をつぶそうというこの社会の圧力のなかでもつぶせなかった個性ですから、それは強いですよ。社員教育みたいですよね。わかります? 徹底的に型にはめようと思って社員教育するんだけど、そこから飛び出しちゃった異分子だけはホンモノみたいな逆説です(笑)。

プロゲーマーのときどさん

地方公務員になるか、プロゲーマーになるか……

ときど もともとは「ゲームばっかりやってるとバカになるぞ」って言われるのを見返したくて勉強も頑張りました。それで(麻布高から)東大までは行きましたけど、そのまま地方公務員として就職するか、プロゲーマーになるかって考えたときに、社会的な常識を気にして結構ビビっちゃって……。

青木 ビビりますよ、そりゃ!

ときど いまこの年齢になったら「うるせーよ」って言えますけど、やっぱり学生時代まではガチガチに型にはめられてそこに適応して生きてきたし、実社会を知っているわけでもないからなおさら保守的になりますよね。でも冷静に考えると、ゲームをやりたいがために勉強して東大まで行って。自分にとっての優先順位はゲームのほうが上、それを生業にできるんだったら……。

『麻布という不治の病』(小学館新書)。ときどさんが麻布中・高→東大卒プロゲーマーになるまでのフルインタビューが掲載されています

青木 そのほうがハッピーですよね。じつは僕も大学の柔道部をやめたあと、警察学校まで入ったんですけど、「これは無理だ。もう絶対無理!」みたいな感じでした。37年の人生のなかであれよりツラいことないです。

ときど 何がツラかったんですか?

青木 肉体的なツラさなんてたいしたことないんですよ。それよりも、自分と違う思想のもとで生きなきゃいけないということのほうが苦しいんですよ。だからいま若い子と話をしていて、「本当に合わなくてツラいんだったら、やめちゃいなさい」ってアドバイスすることありますもんね。あの経験があるから。

ときど 僕も大学院の研究室で、似たようなツラさを味わいました。みんな優しいひとたちだったし何も間違ったことはやってなかったと思うのですが、いまあの状況に戻ったとしてもやっぱり耐えられないでしょうね。でも一方で、あのときのあの経験がなかったら、「意志」をもってゲームをしていなかったかもしれません。あの時期を経験してようやく「ゲームがないと生きていけないんだ」ということが確認できたわけですから。

青木 それだったら強いですよね。だってこれしかないんだもん。

ときど 逆に言うとそれまで自分で自分の人生を本気で決断したことがなかったなって気づいたんですよ。

「メンタルトレーナーなんていらない」

ときど ゲームでも格闘技でもなんでもいいと思うんですけど、真剣に取り組めることを見つけて、没頭するってことができれば「メンタルトレーナーなんていらない」って話になりますしね。

青木 僕、メンタルトレーナーも嫌いなんです。小手先のテクニックで解決できることなんてたかが知れてます。「そんなことやるくらいなら昔の文芸作品とか本を読めよ」って若い子たちには言いますね。だって自分の人生のなかでものごととどう向き合うかって話が本質じゃないですか。

ときど そうやって日々向き合ってきたことの厚みが、いまになってもパフォーマンスが落ちないという結果につながっているんでしょうね。

青木 37歳になりましたが、思ってた以上にパフォーマンスは落ちてませんね。カラダが頑丈でケガがないだけでなくて、経験がモノをいう世界である側面もあるので、総合力として何とかやれている感じはします。そういう意味では、ようやく形になってきた感はありますけど……。でもやっぱ、一難去ってまた一難みたいなところもあって、やらなきゃいけないことは増えていきますよね。

ときど 完成はないですね。

「オリンピックアスリートは弱いな」

青木 あと、「世の中から認められたい」とか、「なんで世の中からむごい扱いをされなきゃいけないんだ」とかいう意識は、僕にはないですね。格闘技をもっとメジャーにしたいと思ったことが若いころにはなかったわけではないですが、いまは思わない。

ときど それはどういう変化だったんですか?

青木 だって、僕たちはサブカルチャーだから好きな表現ができるわけじゃないですか。僕がメジャースポーツで有名になっちゃったら、聖人君子みたいに振る舞って、正論だとか建前を言わなきゃいけなくなるでしょ。僕がつくりたいものはもっとドロドロしたもの。人間が生きるうえでの葛藤、恥ずかしいことだとか、貪欲さだとか、煩悩みたいなものをリング上に描きたいわけですよ。

ときど なるほど。

青木 そういう意味ではオリンピックアスリートは弱いなってことを、瀬戸大也の件で思いました。「オリンピック選手」というイメージからズレちゃうと、いろいろなものを失っちゃう。好きなことを言いたい放題に言う自由を手放すなんて、僕は絶対イヤですよ。

ときど でも僕は、自分自身に嘘をつきたくない一方で、もっともっとゲームの世界を広げていきたいと思っています。ほかにも面白いゲームはたくさんつくられていますから、世の中の興味がそっちのほうに移行して、いつか僕らの世界がなくなっちゃうんじゃないかなという恐怖心があるんです。そこで格闘ゲームの世界を残していくために、ゲームに対するネガティブなイメージを払拭したいという思いは強いです。

ゲーム業界なんてなくなっちゃえばいい?

青木 「残す」か……。なくなっちゃえばいいじゃないですか。

ときど いや、なくなったら……、僕、生きてる意味なくなっちゃいますもん。

青木 生きてる意味なくなるんでしょ? だったら絶対残るじゃん!

ときど えっ?

青木 残そうとしなくても、必要だったら残るんですよ。残るようなものを我々がつくっていけばいいだけなんです。僕が救われた格闘技とか、僕が夢に見た格闘技みたいなものは残していきたいと思うけど、格闘技自体を無理に残そうという気持ちはないですね。「公衆電話を残すためにみんなで公衆電話を使いましょう」みたいなことは誰も言わないじゃないですか。

ときど 僕にはもともと、「真剣にゲームをやって何が悪い」というテーゼを世の中にぶつけたいという思いがあります。ゲームだって真剣にやれば、人間的成長につながるという確信があります。それを発信できれば、ゲームに対するクリーンなイメージもついてくるだろうし、それを伝えることと自分のやりたいことは、僕のなかでは全然矛盾していないんですよ。ただ、青木さんの話を聞いていると、僕はまだ力不足かもしれない。

青木 必要なものは必ず残っていくから、心配しなくていいですよ。

(写真=佐藤亘)

(【続き】「アスリートは何歳で引退するべきか?」37歳プロ格闘家、35歳プロゲーマーが語った“引き際” へ)

青木真也(あおきしんや)

プロ格闘家。「PRIDE」「DREAM」などで活躍し、「ONE FC」元ライト級世界チャンピオン。37歳。小学生のころから柔道を始め、柔道で中・高・大へと進学。大学進学に際しては、引く手あまたのなか、父親の助言で早稲田大学を選択。しかしゴーイングマイウェイ過ぎて柔道部を追い出され、総合格闘技を始める。いったんは生まれ故郷静岡県の警察官として就職し、警察学校生活を始めるものの「こんな生活絶対無理!」と感じて退職。2006年から格闘技漬けの生活に。

ときど

プロゲーマー。「米国Evo 2017 ストリートファイターⅤ部門」優勝など、世界大会における優勝回数は世界トップクラス。35歳。転校した小学校でいじめにあい、格闘ゲームの世界にのめり込む。ゲームを好きなだけやりたい一心で勉強も頑張り、麻布中高、東大へと進学。しかし大学院進学で挫折を経験し、地方公務員就職の最終面接直前に海外から一通のメールを受け取る。プロゲーマー契約の打診だった。父親の後押しもあり、2010年、プロゲーマーの道を選ぶ。

文=おおたとしまさ

photograph by Wataru Sato