今季は破竹の12連勝など、快進撃が続くアビスパ福岡。5年ぶりのJ1昇格に向けて加速するチームにおいて、今や欠かせない存在となっているのが“Jリーガー1年目”の21歳FW遠野大弥(とおの・だいや)だ。

 今季、JFLのHonda FCからJ1川崎フロンターレに完全移籍を果たし、レンタル移籍で福岡へやってきた。JリーグデビューとなるJ2開幕戦ギラヴァンツ北九州との福岡ダービーでスタメンを飾ると、いきなり決勝ゴールをマーク。ここまで不動のレギュラーとしてすでに8ゴールをあげている(11月10日現在)。

「今は凄く怒涛というか、今まで経験したことのない時間を過ごしています。全く予想していない状況です。プロになれるなんて微塵も思っていなかった」

 プロになれるなんて微塵も思っていなかった――この言葉は嘘偽りのない彼の思いだろう。

進学決定直前で届いたオファー

 4年前、藤枝明誠高校時代は同級生の藤本一輝(現・鹿屋体育大学、大分トリニータ内定)らと共に「静岡最強3トップ」を形成して選手権出場を果たした。しかし、プロからの誘いは一切なかった。

藤枝明誠高校時代の遠野 ©︎Takahito Ando

 高校卒業後に入団したHonda FCへの加入が決まったのも突然だった。大学でサッカーを続けるつもりだった遠野はすでに進学先を決めていたが、高校最後の選手権予選の真っ只中、大学の願書提出期限の1週間前にHonda FCからオファーが届いた。

「周りと相談をして、やるなら少しでも高いレベルでやったほうがいいなと思ったんです。(藤枝)明誠の同級生にHonda FCのジュニアユースの選手がいて、『あそこに入れるなら凄いことだよ』という話も聞いていた。その頃ちょうど天皇杯のFC東京戦をテレビで観ていて、敗れはしたものの『こんなにレベルが高いの?』と驚きました。その後にオファーが来たので、ここなら絶対にうまくなれると」

 Honda FCは、本田技研工業を母体とする社会人サッカークラブだ。サッカー部創設は1971年。Jリーグ発足以降も他のクラブがJ2リーグに参戦する中、アマチュアチームとして新たに創設されたJFL(日本フットボールリーグ)に所属。地域密着型クラブを標榜し、浜松市には「Honda都田サッカー場」という自前のスタジアムも構えている。

 現在はプロ契約選手も数名いるが、メンバーのほとんどはホンダの正社員として勤務しながらプレーを続けている。Jリーグ参画を目論むクラブが多い中でも、これまで実に10度のリーグ優勝(Jリーグ発足以降)を上げ、16年から現在までリーグ4連覇中とまさにアマチュアサッカーの絶対的王者だ。

飛び交う専門用語に戸惑うの日々

「レベルの高いところでサッカーがしたい」という純粋な気持ちでHonda FCへやってきた遠野を待っていたのは、想像以上にハードな毎日だった。午前中は工場で働き、午後はサッカー部の練習で技術を磨く。決して生半可な気持ちではこなせなかったと振り返る。

「最初は本当に苦労しましたね。10代でしたが、社会人なので人との関わり方が高校や大学、またプロの世界とも全然違うんです。名刺の渡し方、挨拶の仕方、接し方、身嗜み。先輩から『仕事があってこそ、サッカーがある』とよく言われていたので、両立しようと覚悟を持って取り組んでいました」

 遠野はホンダの自動車部品の製造ラインに入り、検品や修正を施すなどの作業に勤しんだ。同じ部署にはサッカー部の先輩はおらず、“会社”の先輩に教えを受けながら、必死にメモを取る毎日。遠野は工業高校ではなく、普通科の高校を卒業しているため、専門用語が飛び交う業務に戸惑うことが多かった。

「素人同然ですから、とにかく職場に迷惑をかけないように、役に立てるようにという意識は持ち続けました。最初はもう横文字ばかりで『この人は何を言っているんだ?』というレベルだった。くじけそうになった時もありましたよ(笑)」

「周りから応援してもらえる選手になれ」

 サッカー面においても戸惑いは同じ。前述したようにHonda FCはJFLの常勝軍団。Jリーグへの昇格がないとはいえ、プロ並みと言われるほどレベルは高い。

「Honda FCはどんな試合でも絶対に勝たないといけない。そのプレッシャーは大きくて、緊張感はあったし、それぞれが向上心を持って取り組んでいました。個人昇格を狙う選手は(他のクラブより)多くないと思いますが、それ以上にチーム内競争に打ち勝つ、試合で結果を出すということへのこだわり、気迫が凄まじかった」

 ただ、そんな厳しい環境での生活で、サッカー選手としての自覚が芽生えていった。

「僕はサッカーをさせてもらっている立場の人間。ホンダの社員さんたちの協力がないとサッカーができない。『周りから応援してもらえる選手になれ』と先輩にも本当によく言われましたし、それは後輩にも伝えた部分でした」

JFL3年目でブレイク、天皇杯での活躍

 特殊な環境に1、2年目こそ苦労したが、3年目でJFLベストイレブンを獲得。ついにブレイクの時を迎えた。多くのスカウトに注目されたのは、昨年度の天皇杯での活躍だろう。

 北海道コンサドーレ札幌から2点、徳島ヴォルティスから1点を奪い、その存在をアピールすると、4回戦では浦和レッズを下してのベスト8進出に貢献。まさに快進撃の最中に声をかけたのがアビスパ福岡だった。

昨年度の天皇杯。鹿島に敗れたが、台風の目となったHonda FCの躍進を支えた ©︎Getty Images

「アビスパが声をかけてくれた時に初めてプロを意識しました。その後に(川崎)フロンターレからも『獲得を考えている』と言われたときは驚きしかありませんでした。Honda FC入りしてからJリーグの試合はフロンターレしか観ていなかったんです。縁もゆかりもないですが、サッカーを見ていて純粋に一番おもしろくて、ワクワクする。名だたる選手が楽しそうにプレーしている姿を見て、『ここでプレーできたらどれだけ楽しいんだろうな』と思いながら観ていましたね。そんなクラブが興味を持ってくれているだけでも嬉しかったです」

川崎のオファーに「1年は待てません」

 川崎のオファーはポジションがかぶる旗手怜央、三笘薫など大卒選手が多く加わったこともあり、「もう1年待って欲しい」という内容だった。

「札幌戦で2点を決めた時に、もしかしたらプロの舞台でもやれるんじゃないかという手応えを感じたんです。Honda FCは収入も安定しているし、サッカーも高いレベルでプレーできる最高の環境。でも、やっぱり僕はサッカーがもっとうまくなりたい。20歳という年齢を考えても、ここでチャレンジをしないと後悔すると思ったんです」

 プロへの思いが強まった遠野は、憧れの川崎のオファーに「1年は待てません」と伝えた。すると川崎はすぐに正式オファーに切り替え、今季はレンタルという形を取ることを提案。「1年間しっかりとプロ生活を経験してからチャレンジする方が自分の成長にもつながると思った」とお互いの思いが合致。武者修行先は一番最初に動いていた福岡に決まった。

「この移籍を真摯に受け止めて、ここでガムシャラにプレーして成長をする。アビスパはプロを意識させてくれたクラブだし、感謝の気持ちと愛情がある。今はこのクラブのために頑張りたいという気持ちです」

遠野に一番最初に声をかけたのはアビスパだった ©︎Getty Images

長谷部体制にマッチした遠野の武器

 今季の福岡は、新指揮官に長谷部茂利氏を迎え、大きな変革を掲げたタイミングだった。前線からプレスをかけてボールを奪いに行くサッカーを志向する中、運動量と相手の間でボールを受ける技術、そしてフィニッシュの精度に長けた遠野はすぐに重宝される存在となった。その信頼は決してチーム内だけに留まらない。声を出しての応援が制限される中でもサポーターが遠野のチャントを作ったことが、何よりもそれを物語っているだろう。

 高校時代から彼を知る立場として、確かに今季の遠野は劇的な進化を遂げている。プロでの試合をこなすごとに予備動作の質がメキメキと向上し、ボールの動きと相手のアクションを見て、「ここぞ」のタイミングでゴール前のエリアに侵入する。時には相手の逆を突く動きも組み入れ、ターンからの仕掛け、裏への抜け出しと、バイタルエリアでの動きは実に多彩だ。

 この成長の要因を問うと、彼に影響を与えたものが窺い知れた。

古橋達弥、城後寿に刺激を受けて

 遠野が「僕の憧れ」と語るのは「ミスターHonda」と呼ばれる古橋達弥だ。本田技研工業サッカー部からキャリアをスタートさせ、23歳の時にHonda FCからJ1セレッソ大阪へステップアップ。そこからモンテディオ山形、湘南ベルマーレを経て、14年からは再びHonda FCでプロ契約選手としてプレー、40歳になった今も躍動するレジェンドである。

セレッソ大阪などで活躍した古橋達弥 ©︎Getty Images

「僕はタツさんのプレースタイルが大好き。フリーになるのがすごくうまくて、ボールの受け方が特にうまい。さらにパスセンスもめちゃくちゃあって、動けばパスが出てくるし、自分でゴールも決められて、もうパーフェクトなんです。『自分もこうなりたい』とずっと思わせてくれた」

 高校を卒業したばかりの遠野は、古橋のプロ意識に大きな刺激を受けた。今でも試合前に古橋のプレー集を観ることがルーティーンになっている。

 福岡に来ると、今度はアビスパ一筋16年の城後寿にも衝撃を受けた。

「めちゃくちゃ走るし、ストイック。城後さんがあれだけ一生懸命走っているのに、僕らが走らないということはあり得ないですから。それでいてピッチ外ではお茶目で、僕のような駆け出しの選手にも優しく接してくれる。タツさんといい、これぞレジェンドだなと」

フロンターレを見る目も変わった

 さらにプロの世界を肌で感じたことで、フロンターレのサッカーを見る目も変わった。

「以前は“エンターテイメント”という感覚でしたが、それぞれの立ち位置、ボールの動かし方など、より細部にわたって具体的に見るようになりました。自分ならこの立ち位置を取って、こういう選択肢を持つだろうな、とか。フロンターレのサッカーを深く見れば見るほど、判断スピード、パススピードはずば抜けている。相手のギャップや背後を取るのがうまいので、福岡でも練習中から常に首を振って、自分の位置、味方や相手との距離を見ながら立ち位置を細かく修正してプレーしています」

 先日、現役引退を表明したことで共にプレーすることはなくなってしまったが、「見えている世界が違いすぎるし、何よりサッカーを楽しそうにする。画面から凄さが伝わってくる選手」と、中村憲剛にも学びを得ていると話してくれた。

2つの目標と、Honda FCへの感謝

「行き当たりばったりにならず、その先を見てプレーする。偶発的なプレーでは成長はないと思います」

 彼のこの言葉はプレーだけでなく、自身の歩みを象徴する言葉なのかもしれない。人間性、向上心、学ぶ姿勢が周りを引きつけ、運命を手繰り寄せた。コツコツと積み重ねたストーリーはきっとこれからも変わりはない。

「明確な目標が2つあります。1つはアビスパをJ1昇格させる。もう1つはフロンターレで活躍できる選手になること。それに、ホンダ時代に一緒に働いた人たちにも喜んでもらいたいという思いも強いです。当時は僕が活躍すると、お菓子や飲み物を奢ってくれたり、本当に喜んでくれた。だからこの目標は絶対に達成したいと思っています」

J1昇格への意気込みを語った遠野 ©︎Getty Images

 選手として、人間として応援される意義を知る遠野の心には常に感謝の気持ちがある。感謝の思いを持てる選手は、強い。原石ではなく「ダイヤ」になる日は近いかもしれない。

文=安藤隆人

photograph by J.LEAGUE