「私の想像以上だった。良い選手だとわかっていたが、実際に見ないとわからないもので、これほどとは思わなかった。とてつもない選手だよ」

 トップランクのボブ・アラム・プロモーターが残したそんな言葉が、井上尚弥(大橋)のラスベガスデビューのインパクトを物語っている。

 10月31日、MGMグランドガーデン内にあるカンファレンスセンターで行われたWBAスーパー、IBF世界バンタム級タイトル戦で、王者・井上尚弥はジェイソン・マロニー(オーストラリア)に7回KO勝ち。序盤から主導権を掌握した上で、6、7回に鮮やかなカウンターでダウンを奪うという完璧な勝利だった。

次の対戦相手は誰なのか?

 これまでKO負けが一度もなかった挑戦者を戦闘不能にしたフィニッシュの右のインパクトは特に大きく、そのシーンはソーシャルメディアでも拡散。これまでアメリカでもマニア間の評価こそ抜群に高かったものの、一般的には“知られざる強者”だった井上の知名度もここで一気に上がったようだ。

 ハロウィンの夜に催された怪物のお披露目パーティーはこうして見事に大成功。今後、井上がリングに立つたびに、アメリカでもこれまでに以上に多くの視線が集まることは間違いない。そうなってくると、対戦者選びもより重要になってくる。

「この状況ですし、またいつできるか、どんな相手とできるか分からない。WBCとWBOにチャンピオンがいるのでそのどちらかとやりたいし、IBFの指名試合も選択肢の一つに入ってきている。そこは状況に応じてですね」

 試合後、MGMで取材した3人の日本メディアから今後について問われ、井上はそう答えていた。その言葉からは、パンデミックで様々な制約がある中で、より重要な試合だけをやっていきたいという意思が透けて見える。

 すでにWBA、IBFのタイトルを持つモンスターに最も求められているのは、やはり全団体統一路線だろう。

 過去に男子ではバーナード・ホプキンス、ジャーメイン・テイラー、テレンス・クロフォード、テオフィモ・ロペス(以上アメリカ)、オレクサンドル・ウシク(ウクライナ)しか成し得ていないWBA、WBC、IBF、WBOの4団体統一をやり遂げれば、文字通り、階級最強の男として歴史に刻まれる。そうなると、当面のターゲットはWBO同級王者ジョンリエル・カシメロ(フィリピン)、12月12日に行われるWBC王者ノルディーヌ・ウバーリ(フランス)対ノニト・ドネア(フィリピン)戦の勝者ということになる。

 4月に一度は井上との統一戦が決まったカシメロは、パンデミックで試合が流れた後も執拗な挑発を続けてきた。井上との対戦は因縁ファイトの趣を帯び、アメリカでもこの試合の早期実現を望む声が最も多い。ともにアグレッシブなスタイルゆえ、実現すれば内容的にもエキサイティングなものになる可能性が高い。

ジョンリル・カシメロ ©Getty Images

 また、フィジカルの強さが売りのウバーリは、昨年11月に井上の実弟・拓真に判定勝ちを収めたストーリーがある。そして、日本のファンにも人気のドネアは、井上とワールド・ボクシング・スーパー・シリーズの決勝戦で、多くの主要媒体の年間最高試合に選ばれる死闘を演じたのはご存知の通り。この3人のうちの誰と対戦しても、統一戦は盛り上がりを見せるだろう。

 カシメロ、ドネアはトップランクのライバルであるプレミア・ボクシング・チャンピオンズとの結びつきが強くなっているが、好カードになる駒が中量級以上に比べて少ないため、動く金も小さくなる軽量級では異なるプロモーター間の交渉もそれほど難しくないはずである。

軽量級でも統一戦はよりコストがかかる

 ただ、ここで留意すべきは、新型コロナウイルスの世界的な脅威は続いており、井上の次戦が予定される来春にもどの程度の客入れが叶うかがわからないこと。開催地がどこになろうと、興行主催者側はゲート(入場料)収入の減収を覚悟せねばならない。この秋、この点が障害になってカシメロ戦が叶わなかったことは日本でも伝えられていたはずだ。

 一部では「カシメロが割安報酬を拒否した」と喧伝されたが、トップランクのカール・モレッティ副社長のこんな証言を聞く限り、その話は真実ではなかったようだ。

「4月の試合が流れたあと、カシメロに試合オファーは出していません。カシメロが当初の約50%の金額では戦わないことはわかっていたからです。受けるはずのないオファーは出す必要はないと考え、それで井上対マロニー戦を行う経緯となりました。井上対カシメロのような試合は観客を入れて行うべきだということです」

 ともあれ、軽量級でも統一戦はよりコストがかかるだけに、今後もその部分がネックになりかねない。

 夏の時点では「井上対カシメロはゲート収入に依存した興行ではない」と話していたカシメロ側のショーン・ギボンズ・プロモーターも、最近では「やはりファンの見ている前でやるべき試合」と考えを変えている。だとすれば、WBCにしろ、WBOにしろ、統一戦は少し先送りになる可能性が高いのかもしれない。

最有力候補は《マイケル・ダスマリナス》か?

 となると、井上の次の相手の最有力候補はIBF指名挑戦者マイケル・ダスマリナス(フィリピン)か。

 IBFはもともと他の世界タイトル統括団体と比べてルールが厳格。同団体の王者が指名戦期限を過ぎた場合、本来は統一戦以外の防衛戦を認めていない。井上の場合、指名戦期限は3月だったが、パンデミック下であることも考慮され、トップランクが2万ドルの待ち料を払った上で10月のマロニーとの防衛戦が認められた経緯がある。まだパンデミック中とはいえ、このような特例が今後も通るかどうかは微妙なところだろう。

ダスマリナス ©Getty Images

 ここまでの流れと同じように、井上がIBFの王座保持にこだわるならば、次戦は統一戦かIBF指名戦の二択になる。ダスマリナス、カシメロの両方を契約選手として抱えるギボンズ・プロモーターも、まずはIBF指名挑戦者にチャンスを与えたい意向を示していた。井上の方としても、いずれ戦わなければいけないダスマリナスとここで拳を交えておくのも悪くないのではないか。特に次戦の開催地が報道通りに日本だとすれば、まずは“凱旋防衛戦”のような形で指名戦をこなし、IBFルールから自由になった上で再びベガスでの統一戦に目を向けるのもいいだろう。

「1年に3戦で、アメリカで2戦、日本で1戦というペースを希望しています。日本、アメリカで交互に戦ってくれれば素晴らしいと思います」 

 マロニー戦開始前、トップランクのモレッティ副社長はそんなふうに井上の青写真を描き出していた。すべてはパンデミック次第だが、プラン通りに2021年に3戦消化できたとして、ダスマリナス、カシメロ、ウバーリ(かドネア)に3連勝するのが理想の流れと言える。リングマガジンのパウンド・フォー・パウンド・ランキングでは現在2位だが、来年の終わりには1位浮上も有望。その時点で井上は軽量級のレジェンドになり、アメリカでもおなじみの存在になるはずだ。

“豪傑・パッキャオ”に近づくために「すべきこと」

 ただ……ベガスデビューを期待通り、いや、期待以上の形で終え、日本のモンスターに対する期待感は一層膨らみ始めている。そのキャリアの比較対象となるのは、マロニー戦のファイトウィークを通じて現地でも盛んに引き合いに出されていたマニー・パッキャオ(フィリピン)である。

 現実的に井上がパッキャオの域まで達することは本当に可能なのかと問われれば、容易ではないと言わざるを得ない。比国の怪物はなんと8階級にわたって活躍し、6階級で主要タイトルを獲得。フロイド・メイウェザー(アメリカ)戦では実に100億円以上のファイトマネーを受け取ったパッキャオのような豪傑は、おそらくもう2度と現れることはない。比較対象にすること自体、途方もないことのように思える。 

マニー・パッキャオ ©Getty Images

 とはいえ、アメリカに打って出る海外選手がその成功モデルを参考、励みにし、プロモーターも宣伝材料の1つにするのは正しい方向性だ。特にアジアの島国出身で、軽量級のパンチャーであることなど、実際にパッキャオと井上の間に共通点は少なくない。

「パッキャオなんてまだまだ手の届く存在じゃないので、これからどんどんそういう位置に近づけるようになりたいですね」

 井上本人もそう語っていた通り、今後はパッキャオの成功に少しでも迫っていくことが目標の1つになるのだろう。そのために今後、井上がやるべきことは、まずはこれまで通りに印象的な形で勝ち続けること。そして、周辺の階級にライバルを見つけること。この2つ目は井上だけではできず、端的に言って、トップランクとの契約はその部分での助けを得るためだったと言っても大袈裟ではあるまい。

 パッキャオのキャリアで最大の幸運は、アメリカ進出後、同世代にマルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスという強力なライバルに恵まれたことだった。それぞれ殿堂入り確実のメキシコ三銃士と複数回にわたって対戦し、全員に勝ち越すことで、パッキャオの名はボクシング大国メキシコ、アメリカでおなじみになった。以降の活躍もすべてはメキシコ3強とのシリーズで築いた基盤があればこそ。それに近い宿敵を見つけることが井上の大きなテーマになる。

昇級しても超越的な強さを保てるか

「攻撃的なスタイル、爆発的なパワーなど、井上はパッキャオを思い出させる。いずれ上の階級に挑戦を見出さなければいけなくなるはずだ。パッキャオがスーパーウェルター級まで上げたようなことは難しいにしても、井上もスーパーフェザー、ライト級くらいまで上げられるだろうか? 井上は特別な選手なので限界は決めたくない」

 The Athleticのマイク・コッピンジャー記者が自身のPodcast内でそう述べていた通り、井上もいずれ昇級を考えることになるのだろう。まず現在の周辺階級ではファン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)、ギジェルモ・リゴンドー(キューバ)、ルイス・ネリ(メキシコ)あたりまでが当面のビッグファイトの相手候補か。さらに上の階級にまで目を向けると、エマヌエル・ナバレッテ(メキシコ)、シャクール・スティーブンソン(アメリカ)、さらにはスーパーフェザー級以下まで落としてきた場合のワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)……。

 これらの強豪たちと拳を交える過程で、井上は超越的な強さを保てるのか。それと同時に、サポート役のトップランクは、一般のスポーツファンまで惹きつけるだけのストーリーを紡げるか。どちらも低いハードルではないが、それらを成し遂げたとき、日本のモンスターは真の意味で世界を震撼させる超センセーションになる。

井上尚弥 ©Takuya Sugiyama

 まだバンタム級の統一路線でやり残しがあるだけに、こういった話は少々気が早すぎるかもしれない。ただ、パッキャオという名前と同列にしてもクレイジーとは思われないほど、とてつもない可能性を秘めたボクサーが日本から生まれたのはもう誰も否定できない事実である。

 10月31日のベガスデビュー戦は新章のプロローグに過ぎず、物語はこれからさらに広がりをみせていく。同世代に生きる私たちは、日本人がこれまで見ることができなかった夢を一緒に見ることができそうだ。

文=杉浦大介

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