最後の打者から空振り三振を奪うと、桐蔭横浜大のエース・片山皓心が両手を突き上げた。西武ドラフト1位の三塁手・渡部健人も右拳を突き上げながらマウンドへ。主将・加賀航は守備固めで就いたレフトのポジションから遅れて歓喜の輪に飛び込もうとするが、あふれる涙を抑えることができなかった。

11月9日から4日間にわたって行われた「横浜市長杯争奪第16回関東地区大学野球選手権大会」。毎年、全国大会でも上位進出が多い関東5連盟代表10校(各リーグ2位までが出場)が秋の大学日本一を争う明治神宮野球大会の出場枠「2」を目指し激闘を繰り広げる。また、毎年プロ野球ドラフト会議が行われた後に開催されるため、多くの野球ファンで賑わう大会のひとつだ。
明治神宮大会が中止、観客もなし
だが今年は様相が異なった。各校がリーグ優勝を目指して戦っていた10月9日、秋の大学日本一を争う明治神宮大会の中止が決まった。ただでさえ、新型コロナ禍の影響で春の全日本大学野球選手権が中止となっており「秋こそは大学日本一を」と意気込んでいた各校はその目標を不可抗力で失うことになった。
横浜市長杯は明治神宮大会に繋がる大会ではなくなり、感染拡大防止の観点からスカウトや報道陣、チーム関係者以外の入場を禁止する無観客試合となった。
各校モチベーションが落ちても仕方のない条件が並ぶ中ではあったが、大会は例年通りの好ゲームが展開され、最後の公式戦が終わり涙に暮れる4年生の姿もあり、全校が優勝に向けて精一杯の汗と涙を流した。
その中で頂点に立ったのは2012年秋以来の大学日本一を目指していた桐蔭横浜大だった。
「悔しがれる権利」とは?
桐蔭横浜大・齊藤博久監督は、神奈川大学野球秋季リーグの優勝争いをしていた最中で明治神宮会の中止が決まったことで、選手たちに2つのことを求めた。
「いろんな人が悩んでこうなった結果なので、中止という決断をした人に敬意を持とう」
「“日本一になれたよね”と言えるチームと結果にしよう」
それに倣うように主将・加賀航も「悔しいのは俺たちだけじゃない。俺たちだけが悔しがっていたら他校に遅れてしまう」とチームに奮起を促した。
これでチームの勢いはさらに加速した。4番・渡部がリーグ最多タイ記録の8本塁打を放てば、エース片山が6勝を挙げるなど、軸となる4年生たちを中心に躍動し、リーグ優勝を達成。横浜市長杯でも中央学院大に渡部の特大弾で先制し、最後は機動力が相手のミスを誘って2対1とサヨナラ勝ちを果たすと、準決勝では打線が繋がり共栄大を8対1で破り、決勝に駒を進めた。
本来であれば決勝進出2校に明治神宮大会の出場権は与えられていた。それだけに準決勝の試合後、加賀は「“悔しがれる権利”を得ることができました」と話し、今季最終戦となる決勝に向けて「胸を張って“全国で勝てた”と言えるようにしたいです」と意気込みを語った。

「苦しい1年でしたが、寂しい」
迎えた決勝戦は東京新大学リーグ優勝校の創価大と対戦。試合前半に4年生の内山昂思と瀬戸泰地のタイムリー、渡部の犠飛で4点をリードした桐蔭横浜大は、創価大の猛追を3試合連続完投の片山が振り切って4対3。横浜市長杯2回目の栄冠に輝いた。
齊藤監督は「4年生がチームを支えてくれました。“日本一になれたチーム”と選手たちにはこれから伝えます」と称え、渡部も「日本一のチームになれたと思います」と胸を張った。加賀は「(もし全国大会がやれるなら)やりたかったという思いはあります。苦しい1年でしたが、もうこのメンバーで試合ができないのは寂しいです」と本音を語った。

どの大学も得られなかった「日本一」
今季、大学日本一の称号はどの大学も得られることはなかったが、それでも全国各地で激闘が繰り広げられた。
東京六大学リーグでは早慶戦の9回2死からの逆転本塁打で早稲田大が優勝を飾った。
最強を決する舞台は作られなかったが、各校の高い技術や意識と意地とのぶつかり合いは決して衰えることはなかった。そしてその姿が後輩たちにもきっと伝わったはずだ。来年はその継承された姿やプレーが多くの人の前で脚光を浴びることを願わずにはいられない。

文=高木遊
photograph by Yu Takagi