森保一監督率いる日本代表にとって2020年最後の国際親善試合、メキシコ戦が日本時間18日の早朝5時にキックオフされる。

 10月に対戦したカメルーンやコートジボワールというアフリカの強豪、そして先日のパナマに続き、北中米でW杯の常連中の常連であるメキシコは格好の強化相手だろう。W杯で7大会連続ベスト16の成績を残しているメキシコは、これまでA代表から世代別代表レベルまで“高い壁”であり続けた。日本サッカー史を彩った選手たちの写真、当時のコメントとともに振り返ってみよう(※NumberWeb以外の外部サイトの方は関連記事『【貴重写真】天才すぎた19歳小野、16歳のヤンチャそうな南野&柴崎、若きカズ&ヒデ…メキシコとの激闘……』よりご覧ください)。

コンフェデ杯で2度対戦した結果は……

 メキシコと日本が初対戦したのは1996年5月29日の国際親善試合でのこと(三浦知良らのゴールで日本が3−2で勝利)。A代表における通算対戦成績は1勝3敗と、そこまで多くないのだ。しかし“大舞台で戦っている印象が強い”のは、コンフェデレーションズカップ2大会で対戦しているからだろう。

 まずは2005年6月16日、ドイツW杯の前年に行われた一戦だ。両チームにとっての大会初戦、先手を奪ったのは日本だった。12分にスタメン起用された小笠原満男のパスを受けた加地亮のクロスを1トップに入った柳沢敦が合わせて先制ゴールをゲット。「FWは得点しないと意味がない」と語った13番の一撃で勢いに乗るかと思われた。

 しかし3-4-2-1システムで臨んだ日本のプレスが、メキシコのパス回しの前に空転。Number631号には小笠原の「自分たちのやりたいことを、メキシコにやられてしまったと思う。守備で走らされて、いざ攻めになったときに力が残っていなかった」という証言が残っている。試合はその後、39分に痛烈なミドルシュートを決められ同点に追いつかれると、後半に入って64分に決勝点を奪われて勝ち点を落とした。

決勝点を奪ったフォンセカ。マッチアップしたのは茶野隆行©Getty Images

 そこから8年後、両国は再びコンフェデの舞台で対戦する。アルベルト・ザッケローニ監督率いる日本は、ブラジルに0−3の完敗、続くイタリア戦は激しい打ち合いの末3−4で敗戦。メキシコも連敗しており、ともにグループステージ敗退が決まっていた。

 1勝でも挙げて翌年のW杯につなげたい――その意欲は確かに見えた。遠藤保仁のスルーパスから香川真司が決定機を迎えるなど、当時の日本代表らしい小気味よい攻撃がメキシコ守備陣を脅かす。

 しかしそんな日本を打ち破ったのは、当時メキシコのエース、ハビエル・エルナンデスだった。54分、アンドレス・グアルダードがマッチアップした右SB酒井宏樹との駆け引きから鋭いクロスを供給する。これに完璧なオフザボールの動きで走り込んだエルナンデスがヘディング。川島永嗣の守るゴールを陥れたのだ。

 “チチャリート”の愛称で知られるエルナンデスは、気落ちした日本を見逃してくれなかった。66分にはコーナーキックがファーサイドに流れたところを再び頭で流し込み、2点目。日本は終盤に岡崎慎司のゴールで1点差に詰め寄ったが、1−2で敗戦した。

「イタリア戦でエネルギーを使い果たして、途中から足が動かなくなってしまった。(足が止まったところを)相手にうまく突かれてしまった」

 試合直後、ザックのフラッシュインタビューでの言葉(Number831号)である。テクニカルなだけでなく試合巧者でもあるメキシコの力を思い知らされ、3戦全敗でブラジルの地を後にした。

ロンドン五輪&世代別W杯でも……

 メキシコ相手に苦渋をなめたのは、A代表だけでなく、世代別代表でもだ。

 その象徴的な一戦と言えるのが、2012年のロンドン五輪準決勝だろう。現在、ナショナルチームダイレクターを務める関塚隆が監督として采配を振ったチームにとっての大きな武器は、永井謙佑の俊足を生かしたカウンター。グループステージ初戦でスペインを撃破し、準々決勝ではモハメド・サラー擁するエジプトにも勝利するなど下馬評の低さを覆す進撃で、“勝てばメダル確定”の準決勝までこぎつけた。

 オーバーエイジで招集された吉田麻也がキャプテンを務める日本は、前半12分に大津祐樹が先制点を奪い、一気に勢いに乗るかに見られた。だがCKから同点に追いつかれると、そこから崩れて最終的には1−3で敗戦した。

 試合後、山口蛍は「先制点を取ってからが全てでした。試合前に俺らは走らないと勝てないよと言っていたんですが、なかなか動けず、そこで一気に押し込めなかった」(Number831号)と話すとともに「正直、力の差を感じました」とも。続く3位決定戦でも韓国に敗れ、メダルを逃した。

 世代別W杯でも数多くの選手が対戦している。例えば2009年のU-17W杯だ。当時の日本は宇佐美貴史、柴崎岳、杉本健勇、宮市亮らが「プラチナ世代」と称され、上位進出が期待された。だが初戦のブラジル戦でネイマールに得点を許すなど2−3、翌スイス戦も3−4と連敗した。

 それでも勝利すれば3位通過への望みが残る中、立ちはだかったのはメキシコだった。日本は同大会で貫いた攻撃的な姿勢を見せたものの、後半に守備のスキを突かれて2失点。0−2で勝ち点を取れずに大会を去る、涙の結末となった。

 昨年5月に開催されたU-20W杯、同11月のU-17W杯でも日本とメキシコは対戦している。U-20W杯グループステージでは11月シリーズに招集されている菅原由勢が先発出場。宮代大聖の2ゴールなどもあり、3-0で快勝した。

 一方、U-17W杯では決勝トーナメント1回戦で激突。日本は西川潤、若月大和らの活躍もあってグループステージ2勝1分けの1位通過でベスト16に進出したものの、グループF3位でしぶとく勝ち上がってきたメキシコ相手に、0-2で敗戦。エース西川も無得点に抑えこまれるなど、悔しさを味わった。なお同大会でメキシコは準優勝。やはり侮れない実力を有している。

16歳南野、19歳小野、32歳カズvsメキシコ

 世代別W杯で触れなければいけないのは、1999年のワールドユース(現U-20W杯)だ。FIFA主催大会で初となる決勝進出は日本サッカー史上に残る快挙であり、小野伸二、稲本潤一、高原直泰、小笠原満男、遠藤保仁、本山雅志、中田浩二ら「黄金世代」がフィリップ・トルシエ監督の下で輝いたプレーぶりは、20年以上の時を経ても色褪せない。

 そんな彼らも、ワールドユース準々決勝でメキシコと対戦している。当時のメキシコにはその後バルサで活躍するラファエル・マルケスらがおり、グループステージを1位通過した同士の戦いとなった。その一戦で日本は前半4分、右サイドの酒井友之からのクロスを左サイドハーフの本山が走り込んでヘディングで合わせ、先手を取る。

 そして24分にはキャプテンマークを巻いた当時19歳の小野が、再び右サイドのクロスから珍しくヘディングシュートを決めて追加点。攻守ともにかみ合った日本がそのまま2-0で押し切った。小野は試合後、こんな風に語ったという。

「自分もゴールできたし、ベスト8の壁も越えた。それは嬉しいけど、それも今日までです」(Number470号)

 ベスト4進出にも地に足がついていたからこそ、続く準決勝ウルグアイ戦も制することができたのだろう。

 このようにメキシコと数々の激闘を繰り広げてきたが、世代別を含む国際親善試合などでも日本の名プレーヤーは戦っている。トルシエジャパンでは、2000年のカールスバーグカップで当時32歳のカズが後半途中から投入されている。

 また2011年のU-17世代のテストマッチでも当時16歳の南野拓実が、昨年9月にメキシコで行われたU-22代表戦では安部裕葵ら東京五輪世代が出場している。

 数多くの選手にとって経験値を高める機会となったメキシコ戦だけに、今回の森保ジャパンも収穫多き戦いとなってほしいところだ。

文=NumberWeb編集部

photograph by Naoya Sanuki