雑誌「Sports Graphic Number」と「Number Web」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は11月25日、60年の生涯を閉じた“神の子”ディエゴ・マラドーナにまつわる印象的な3つの言葉です。

<名言1>
あれはイングランド人の懐から、財布を盗み取ったような気分だったね。
(ディエゴ・マラドーナ/Number653号 2006年5月18日発売)

 1986年のW杯メキシコ大会では、いまでも語り草となっている伝説的なゴールが生まれた。

 マラドーナによる“神の手”ゴールである。イングランドの守護神シルトンと空中で競り合いながら、マラドーナは瞬時に左手を突き出し、ボールはシルトンの頭上を越えてイングランドのゴールネットを揺らしたのである。そのときの様子をマラドーナは、こんな言葉で回想している。

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 このゴールについて、対戦相手だったイングランド代表のエースストライカー、ガリー・リネカーがNumberWebの取材に答えてくれている。

「ボビー・ロブソン(当時代表監督)は、とにかく納得がいかない様子で、テリー・ブッチャー(CB)も激怒していたし、ピーター・シルトン(GK)も怒っていたな。目の前であんな形でネットを揺らされて、おちょくられた気持ちがあったのかもしれない」

 このように怒り心頭だった選手がいたことを明かすとともに、以下のようにマラドーナの天才性を称えている。

「私生活でのトラブルや、時にはピッチ上でも物議を醸す行動があったことは周知の事実で、天才だからこそ完璧ではあり得ない人間の典型だと言えるのだろうけど、選手としての『ディエゴ・マラドーナ』には畏敬の念を抱かない方が不思議。それほど、いわゆるワールドクラスの中でもズバ抜けた存在だった」

<名言2>
オレの後継者だって? メッシにそんな重荷を背負わせるんじゃないよ!
(ディエゴ・マラドーナ/Number717号 2005年11月27日配信)

 メッシが18歳のときにはじめてアルゼンチン代表に選ばれると、メディアは彼をこぞって「メッシドーナ」と呼び、英雄マラドーナの再来とはやし立てた。この重圧に対して、マラドーナは“ご意見番”として自分と比較するべきではないと強くメッセージを発信した。

 マラドーナが発言したのは2006年のドイツW杯を迎える前のタイミングである。バルセロナはフランク・ライカールト体制でエースはロナウジーニョら。10代のメッシは背番号30、19を身につける“期待の若手”枠だった。それでもドイツW杯ではアルゼンチン代表として最年少出場とアシスト、そしてゴールを記録するなど活躍を見せた。その後の活躍は説明不要だろう。

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 今ではアルゼンチン、いや世界中でマラドーナに肩を並べる英雄であるメッシ。その彼も英雄マラドーナの死を知ると、自身のインスタグラムでマラドーナとのツーショット写真を載せて「すべてのアルゼンチン人、サッカーにとってとても悲しい日だよ。ディエゴは僕らのところからいなくなったけど、でもディエゴは永遠なんだ」と追悼のメッセージを送っている。

<名言3>
ふとベンチを見ると、そこにマラドーナがいる。いまだにそれはちょっと信じ難い、素晴らしいことだ。
(ハビエル・マスチェラーノ/Number717号 2008年11月27日配信)

◇解説◇
 マラドーナは、2008年10月にアルゼンチン代表監督に就任した。選手の誰よりも目立ち、注目を集めるスーパースターの圧倒的な存在感に、のちにバルセロナでも活躍した主将のマスチェラーノは「新たな時代の始まりだよ」と興奮を隠さなかった。

 しかし実際の結果は……南アフリカW杯南米予選で苦戦が続き、最終戦で勝点を落とせば敗退という状況にまで追い込まれ、バッシングにもあった。

 それでもペルー戦でのマルティン・パレルモの終了間際のゴールで何とか出場権を獲得。本番では成長したメッシを中心に据えたスタイルで決勝トーナメント1回戦まで順調に勝ち上がったが、準々決勝でドイツに0−4大敗。大会後にはコーチ陣の処遇を巡って電撃解任された。

©Takuya Sugiyama/JMPA

 マラドーナはその後、UAEやメキシコ、母国アルゼンチンのクラブで指揮を取ったものの、目立った成績を残せなかった。“名選手、名監督にあらず”の格言が当てはまってしまった形だが――それでもディエゴ・マラドーナがピッチ上で残した足跡は、なんら霞むものではない。

文=NumberWeb編集部

photograph by Kazuhito Yamada