「何という悲しいニュースだろう。私は偉大なアミーゴを、世界はレジェンドを失った。他にも言いたいことはたくさんあるが、今は神様が彼の家族に力を与えてくださることを願う。

 いつか、天国で彼とボールを蹴りたいものだ」

 かつて確執を伝えられたこともあるキング・ペレが、自身のツイッターで追悼のコメントを発表した。1986年ワールドカップ(W杯)の優勝カップをメキシコの空に高々と掲げ、破顔一笑するあの男の写真と共に――。

82年W杯、ブラジル戦で未熟な一発退場

 多くのブラジル人にとって、宿敵アルゼンチン代表を躍進させた小柄な背番号10は憎悪と軽蔑とからかいの対象だった。

 1982年W杯で、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの“黄金のカルテット”を擁するブラジル代表は2次リーグで隣国のライバルと対戦。ブラジルが優勢に試合を進め、苛立った21歳のディエゴ・アルマンド・マラドーナはブラジルのMFバチスタの腹を蹴って退場処分を受けた。ブラジルのメディアと国民は、この若者の未熟さを嘲笑した。

 ところが、その4年後、彼はとてつもない選手になっていた。イングランド戦の5人抜き独走ゴールなど超人的なプレーを連発し、母国を8年ぶり2度目の優勝に導いた。

 とはいえ、ブラジルのメディアは彼と宿敵を称えはしない。準々決勝フランス戦の後半にPKを失敗したジーコ、PK戦でキックを外したソクラテスらを断罪した。

 1990年大会では、セレソンが彼にこっぴどく痛めつけられた。

消えていた天才の超絶ラストパス

 ラウンド16で南米の2超大国が激突。マラドーナは、故障上がりで本調子ではなかった。ブラジルが圧倒的に優勢だったが、カレッカ、ミューレルらのシュートがバーやポストに嫌われる。

 後半35分、それまでほとんど何もできなかったマラドーナが、突然、ドリブルを始める。DF4人に囲まれながら絶妙のパスを放ち、クラウディオ・カニーヒアがブラジルのGKタファレルをかわしてゴールを陥れた。これが決勝点となり、セレソンは敗退した。

 以来、マラドーナはブラジル人にとって憎悪の的となった。

 1994年大会で、グループステージのナイジェリア戦後のドーピング検査で陽性となり、15カ月間の出場停止処分を受ける。アルゼンチンはラウンド16で敗退。一方、セレソンは24年ぶり4度目の優勝を遂げ、ブラジルのメディアと国民は二重の喜びに酔いしれた。

「ペレかマラドーナか」論議が2人に壁を

 マラドーナが、ブラジルやブラジル人を嫌ったことはない。「子供時代に自分が憧れたのは、同じ左利きのリベリーノ」と明言。リベリーノは、華麗なドリブルと左足からの強烈なシュートの持ち主で、ブラジル代表として1970年、1974年、1978年のW杯3大会に出場した名MFである。
 
 1984年から1991年まで在籍したナポリでは、カレッカ、アレマンらブラジル選手と共に黄金時代を築いた。彼らとは、プライベートでも親交があった。

 ペレに対しても、当初は尊敬の念を抱いていたようだ。しかし「世界のフットボール史上、最も偉大な選手はペレかマラドーナか」という論議が2人の間に壁を作った。

「マラドーナは、左足しか使えない不完全な選手」、「唯一の重要なゴールは、手を使ってあげたもの」、「薬物を常用するなど言動に問題が多く、子供たちの模範とはなりえない」とペレが批判すると、マラドーナも「ペレは金儲けばかり考えている」、「自分の良心をFIFAに売り渡した情けない男」とやり返した。

 2005年、2人はようやく仲直りする。

 マラドーナが、自分が司会を務めるアルゼンチンのTV番組「ラ・ノーチェ・デル・ディエス」(背番号10の夜)の初回のゲストにペレを招いたのである。

 2人は、各々の国の代表のユニフォームにメッセージを記して交換。さらに「これは私のかねてからの夢だった」というマラドーナからの呼びかけで、ヘディングによるパス交換を繰り返した。27回ボールを突き合った後、2人は固く抱き合い、スタジオを埋めたファンから喝采を浴びた。

ペレ64歳、マラドーナ44歳、2人は友人に

 時にペレ64歳、マラドーナ44歳。以来、2人は20歳違いの友人となった。

 今年の10月23日、ペレが80歳の誕生日を迎えると、マラドーナが「キング・ペレ、おめでとう」と祝福。それから7日後、マラドーナが60歳になると、今度はペレが「アミーゴよ、私はいつも君を応援している。いつまでも笑顔でいてくれ」という気持ちのこもったメッセージを返した。

2人の関係が修復されても忌み嫌う人が

 ただし、2人の関係が修復されても、ブラジルでは「我々の最大の誇りであるペレを脅かす存在」としてマラドーナを忌み嫌う人が少なくなかった。

 W杯やコパ・アメリカ(南米選手権)などの国際トーナメントでアルゼンチン人サポーターが代表チームを鼓舞するチャントを歌っていると、ブラジル人サポーターが「1000得点を達成したのはペレだけ。マラドーナはクスリ漬けだ」と合唱して挑発するのが慣例となっている。

 それでも11月25日午後にマラドーナの死が報じられると、ブラジルのスポーツTV各局は臨時に長時間の追悼番組を組んだ。

 ナポリで一緒にプレーしたカレッカは、「神様、我々のアミーゴであり、兄弟であるディエゴがあなたの元へ旅立ちました。彼を両手を広げて迎えてやってください。彼は私にとって常に特別な存在だったし、これからもそうあり続けます」とインスタグラムでコメント。TVへのインタビューで「60歳になったばかりで、(11月3日に行なった硬膜下血腫の)手術の経過は順調と聞いていた。突然のことでとても驚いているし、悲しい」と声を詰まらせた。

薬物依存に苦しんだ元セレソンFWも……

 マラドーナと同じく薬物依存症に苦しんだ経歴を持つ元ブラジル代表FWカーザグランジも、個人的に交流があった。

「薬物に健康を蝕まれた彼の苦しみは、痛いほどわかる。悲しくてたまらない」と涙を流した。

 世界のフットボールの歴史を塗り変えたアルゼンチン人の死を、多くのブラジル人が心から悼んでいる。

 アルゼンチン代表を蛇蝎のように嫌うブラジル人も、魔法のようなテクニックを持ち、とてつもない創造性を発揮するディエゴ・アルマンド・マラドーナが実は大好きだったのだ。

文=沢田啓明

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