前回の箱根駅伝は凄まじいほどの記録ラッシュになった。10区間中7区間(2、3、4、5、6、7、10区)で区間新記録が誕生。しばらくは破られないなと思っていた記録も更新された。

 学生時代に箱根駅伝を走り、スポーツライターとして20年近く陸上競技を取材してきた筆者は本当に驚かされた。

 好タイムの要因は気象条件に恵まれたこともあるし、選手のレベルが上がったこともある。しかし、大きかったのはシューズの進化ではないだろうか。

 前回は210人中177人(84.3%)がナイキを履いて出走していた。いわゆる“厚底シューズ”の影響が多大にあったと推測している。

第97回箱根駅伝 (C)Yuki Suenaga

異常なタイム短縮もうなずける厚底の威力

 ナイキ厚底シューズは2017年夏に一般発売された。当時のモデルは『ズーム ヴェイパーフライ 4%』だ。反発力のあるカーボンプレートを、航空宇宙産業で使う特殊素材のフォームで挟んでいるため、「厚底」になっている。

 同シューズはナイキの代表的レーシングシューズだった『ズーム ストリーク6』よりランニング効率を平均4%高めたことから、名称にも「4%」がついた。南アフリカ・フリーステート大学の運動生理学者ロス・タッカーによると「ランニング効率が4%高まると、勾配が1〜1.5%の下り坂を走るのに相当する」という。

 箱根駅伝の異常なタイム短縮もうなずける。逆にいうと、ナイキ厚底シューズがもっと前から存在していたとしたら、レジェンドたちはどれぐらいのタイムで走破していたのか。一種のファンタジーをマジメに考えてみたい。

箱根駅伝の区間記録と、“非厚底”最高記録は?

 まずは箱根駅伝の「区間記録」と「非厚底最高記録」を確認しておこう。

1区
佐藤悠基(東海大2)1時間1分06秒(07年)

2区
相澤晃(東洋大4)1時間5分57秒(20年)
【非厚底最高】メクボ・ジョブ・モグス(山梨学大4)1時間6分04秒(09年)
【非厚底日本人最高】塩尻和也(順大4)1時間6分45秒(19年)

3区
イエゴン・ヴィンセント(東京国際大1)59分25秒(20年)
【非厚底最高】森田歩希(青学大4)1時間1分26秒(19年)

4区
吉田祐也(青学大4)1時間0分30秒(20年)
【非厚底最高】藤田敦史(駒大4)1時間0分56秒(99年)※

5区
宮下隼人(東洋大2)1時間10分25秒(20年)
【非厚底最高】青木涼真(法大4)1時間11分06秒(20年)

6区
館澤亨次(東海大4)57分17秒(20年)
【非厚底最高】小野田勇次(青学大4)57分57秒(19年)

7区
阿部弘輝(明大4)1時間1分40秒(20年)
【非厚底最高】林奎介(青学大3)1時間2分16秒(18年)

8区
小松陽平(東海大3)1時間3分49秒(19年)
【非厚底最高】古田哲弘(山梨学大1)1時間4分05秒(97年)

9区
篠藤淳(中央学大4)1時間8分01秒(08年)

10区
嶋津雄大(創価大2)1時間8分40秒(20年)

※4区は小田原中継所の位置がやや異なる。

 それでは、各区間の非厚底最高の選手たちにナイキ厚底シューズを履かせてみよう。

ランニング効率が4%よくなるとはどういうことか

 ちなみにランニング効率が4%良くなったところで、タイムが4%向上するわけではない。1kmを走るごとに必要とされる体力を4%ほど軽減できるわけで、これを数値化するのは非常に難しい。

 前回大会でいうと2区相澤晃は従来の感覚よりも45秒ほどタイムが良かった。現場レベルでは、「5kmで10〜15秒ほど違う」という声が多い。そこで「5kmで10秒短縮する」(1kmで2秒)と仮定して、非厚底ランナーのタイムを“減算”してみた。

あの“山の神”が厚底シューズを履いていたら…

 1区佐藤悠基(東海大2)のタイムは1時間0分24秒。前回はナイキ厚底シューズを着用した米満怜(創価大4)が区間記録に7秒差と迫る区間歴代2位タイの1時間1分13秒をマークしたが、佐藤の厚底記録には50秒ほど及ばないことになる。

 花の2区はメクボ・ジョブ・モグス(山梨学大4)が1時間5分18秒、塩尻和也(順大4)が1時間5分59秒となる。「厚底・モグス」なら区間記録はしばらく更新されていなかったかもしれない。前回の相澤は、区間記録は遠かったが、「厚底・塩尻和也」の記録を2秒上回り、日本人最高となる。なおモグスと塩尻は当時アシックスを履いていて、塩尻は現在アドバイザリー契約を結ぶデサントの薄底タイプを着用している。

 3区森田歩希(青学大4)は1時間0分44秒。前回、イエゴン・ヴィンセント(東京国際大1)には1分20秒近くも区間記録を塗り替えられていたが、区間新・日本人最高の1時間1分23秒をマークした遠藤大地(帝京大2)よりは、40秒近くも良かった計算だ。

 1999年の4区藤田敦史(駒大4)は1時間0分15秒。2020年の吉田祐也(青学大4)を15秒上回ることになる。当時、藤田は区間2位に2分34秒差をつけており、その走りは異次元だった。なお1999年大会は三代直樹(順大4)が2区で1時間6分46秒の区間記録(当時)をマークしている。ふたりが厚底を履いていたら、本当に恐ろしい記録が生まれていたかもしれない。

 5区は前回の青木涼真(法大4)が1時間10分25秒となり、区間記録を樹立した宮下隼人(東洋大2)と同タイムになる。しかし、“実質最高”は他にいる。2005年に1時間9分12秒を叩き出した今井正人(順大2)だ。

初代山の神、今井正人はその後も選手として活躍 (C)Takuya Sugiyama

 当時は函嶺洞門を通過していたため、現行コースより20mほど短い。20mをプラスしてもタイムは1時間9分16秒ほどで、区間記録より1分以上も速い。そして、「厚底・今井正人」のタイムは1時間8分35秒になる。現在のレベルでも“神クラス”といえるだろう。

下りの9区では2区のタイムを上回る可能性も

 6区小野田勇次(青学大4)は57分16秒。前回、区間記録を打ち立てた館澤亨次(東海大4)の記録を1秒上回った。ただし、館澤がこの「厚底・小野田勇次」のタイムを意識していれば、あと1〜2秒の短縮は可能だったかもしれない。

 7区は林奎介(青学大3)が1時間1分34秒となり、前回の阿部弘輝(明大4)を6秒上回った。前回の阿部は故障上がりで万全ではなかったことを考えると、7区の区間記録は更新される可能性が高いといえる。

 1997年は往路が向かい風、復路が追い風。“追い風参考記録”に厚底パワーが加わり、8区古田哲弘(山梨学大1)のタイムは1時間3分23秒になる。小松陽平(東海大3)が保持する区間記録よりも26秒も速くなる計算だ。

 9区は前回、ナイキ厚底シューズを着用していた神林勇太(青学大3)が区間歴代3位の1時間8分13秒で走り、区間記録に12秒差と迫っている。しかし、9区篠藤淳(中央学大4)の厚底記録は1時間7分15秒。9区は2区の逆行コースで、どちらかというと下りの印象が強い。スーパーエース級がナイキ厚底シューズを履いて快走すれば、2区のタイムを上回る1時間4分台も夢ではないだろう。

 10区は前回、ミズノのプロトタイプを履いた嶋津雄大(創価大4)が1時間8分40秒の区間記録をマークしている。厚底記録は1時間7分54秒だ。ただし、ミズノのシューズも進化しているので、2007年に1時間8分59秒で走破した松瀬元太(順大4)と同じシューズ条件で走るとどうなるかはわからない。

創価大・嶋津雄大 第96回箱根駅伝 (C)Yuki Suenaga

好記録続出はシューズの進化だけが理由ではない

 シューズの進化が記録に直結しているのは間違いないが、5年以上前の選手に突然、ナイキ厚底シューズを渡したからといって、先ほど示した「タイム」で走るは難しいだろう。なぜなら走るのは「心」を持った人間だからだ。駅伝は腕時計でタイムやペースをチェックしながら走る選手が多い。普段よりも明らかに速いペースでレースが進んでいれば、どこかでブレーキをかけてしまう。好記録が誕生している背景には、シューズの進化だけではなく、トレーニングの進化、メンタル面の進化(目標記録のレベルアップ)など様々な要素が絡んでいる。

 今年11月の全日本大学駅伝は4区間(1、4、5、6区)で14人が区間新記録をマークした。区間賞を獲得した8人全員がナイキ厚底シューズを着用。6人が最新モデルの『エア ズーム アルファフライ ネクスト%』、2人が前モデルの『ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト%』を履いていた。

 4区で区間記録を樹立した石原翔太郎(東海大1)は10kmを28分09秒前後で通過。箱根駅伝2区で日本人最高記録(当時)を打ち立てた塩尻和也(現・富士通)が4年時にマークした区間記録を32秒も塗り替えた。数年前には考えられないことが次々と起きている。

 2021年の箱根駅伝も“凄い記録”が誕生するだろう。

文=酒井政人

photograph by L:Yuki Suenaga R:Nanae Suzuki