7年ぶりに日本人がF1にレギュラードライバーとしてフル参戦する。角田裕毅、20歳。身長は160cmと小柄だが、その才能は規格外だ。

 日本人がF1のレースに参戦するのは角田で21人目だが、角田の20歳でのF1デビューは、これまで中嶋一貴が持っていた22歳を2歳も短縮する日本人最年少記録である。日本人でこれまで表彰台に上がったドライバーは3人だが、その中でもっとも若い小林可夢偉のF1デビューは23歳、佐藤琢磨は25歳、そして鈴木亜久里は28歳だった。また日本人として初の2000年代生まれのF1ドライバーでもある。

 ほかのスポーツでは20歳という年齢は決して驚くような若さではないが、四輪という車両に乗って競走するモータースポーツ、特に日本のモータースポーツ界では、角田の20歳でのF1デビューは異例の速さと言っていい。その異例のステップアップが可能になったのは、角田の才能を見抜き、チャンスを与えた者がいたからだ。

4歳でモータースポーツを始めた

 角田がモータースポーツを始めたのは4歳のとき。「面白そうだから」と父親に勧められて体験カートに乗ったのがきっかけだった。しかしその後、角田は四輪にステップアップするまで12年間の歳月を要した。ヨーロッパでは普通自動車免許を持っていなくても早ければ14歳で四輪のレースに参加できる特別なライセンスを取得することが可能だが、日本ではそれを取得するには16歳以上でなければならないからだ。しかし16歳になれば、自動的にライセンスが給付されるわけではない。カートで一定以上の成績を収めることが発給条件となっている。

16歳でライセンスを取得した角田を支えたホンダ

 20年のF1最終戦アブダビGPでポール・トゥ・フィニッシュを飾ったマックス・フェルスタッペン(レッドブル)が4輪レースにデビューしたのは16歳。19年のイタリアGPで10年のフェルナンド・アロンソ以来9年ぶりにフェラーリ・ドライバーとしてイタリアGPを制したシャルル・ルクレールも四輪デビューは16歳だった。20年の開幕戦で表彰台を獲得したランド・ノリス(マクラーレン)は15歳で4輪レースにデビュー。20年の第16戦サクヒールGPでルイス・ハミルトンの代役としてメルセデスから出場し、レースの大半をリードしながらピットストップミスで敗れたジョージ・ラッセル(ウイリアムズ)も四輪デビューは16歳。20年の第14戦トルコGPで初のポールポジションを獲得したランス・ストロール(レーシングポイント)は15歳で四輪デビューを果たしていた。

 16年に16歳で限定国内A級ライセンスを取得し、FIA F4日本選手権にスポット参戦した角田を支えたのがホンダだ。鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS-Formulaアドバンス)を卒業して、ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクトのメンバーとなった角田は、2年後の18歳のときに同選手権を圧倒的な速さで制覇。このシーズン途中、ホンダは角田に海外でのレース活動を視野に、ハンガリーで行われたF3の合同テストに参加するチャンスを与えた。

ヨーロッパF3選手権トップのドライバーを上回った

 このときのハンガリーで角田は、自分のキャリアを大きく飛躍させる人物と出会う。レッドブルのドライバー育成システムである「レッドブル・ジュニアチーム」を監督するヘルムート・マルコ(レッドブル・モータースポーツアドバイザー)だ。

 レッドブル・ジュニアチームは未来のF1ワールドチャンピオンの発掘を目的に、01年にマルコによって設立された育成システムだ。ここからセバスチャン・ベッテルがF1チャンピオンとなり、マックス・フェルスタッペン、ダニエル・リカルド、カルロス・サインツ、ピエール・ガスリー、ダニール・クビアトら多くのF1ドライバーを輩出している。

 ハンガリーでのF3合同テストには、レッドブル・ジュニアチームに所属する若手数名も参加。その中には当時ヨーロッパF3選手権でランキングトップだったドライバーも含まれていた。しかし角田はそのレッドブル・ジュニアドライバーたちを上回るタイムを叩き出したのだ。

 当時、ホンダはレッドブルの姉妹チームであるトロロッソにパワーユニットを供給していたこともあり、レッドブルはホンダとパイプがあった。マルコはすぐにホンダにコンタクトをとり角田のレース経歴を照会。ホンダの了承を得て、19年からレッドブル・ジュニアチームの一員とすることを決定する。

「本当の夢はチャンピオンになること」

 こうして角田はレッドブル・ジュニアチームのサポートを受け、19年にFIA F3選手権に参戦。20年にはF1への登竜門となるFIA F2選手権にステップアップし、選手権3位を獲得。F1に参戦するために必要なスーパーライセンスを申請するために必要なスーパーライセンスポイントを獲得し、20年の12月16日にレッドブルの姉妹チームであるアルファタウリからF1にデビューすることが発表された。

 ホンダとレッドブルが角田にここまで惚れ込んでいるのは、F1で十分活躍できる才能を見込んでのこと。少しでも早くチャンスを与え、F1という舞台で育てることが重要だ。20歳でのF1デビューは、その才能を開花させるための、ひとつの答えだった。

 F1デビューは通過点であって、ゴールではない。それは角田にとっても同じだ。

「F1ドライバーになることは、あくまでもひとつの目標。本当の夢はチャンピオンになること。20年にルイス・ハミルトン(メルセデス)がミハエル・シューマッハーに並ぶF1史上最多となる7回目のワールドチャンピオンになりましたが、その記録を抜きたい」

 20年12月18日に開催されたFIA(国際自動車連盟)の年間表彰式で、FIAが管轄するカートからF1まで世界中の全レースカテゴリーに参戦したルーキードライバーの中でもっとも優れた者に与えられる「FIAルーキー・オブ・ザ・イヤー」に、FIAコミッション(委員会)の審査委員会が選出したのが角田だった。

 世界も認める20歳の若者が、21年にどんな成長を見せるのか。新しいシーズンを楽しみにしているのは、もはや日本人だけではない。

文=尾張正博

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