2020年12月16日。

 箱根駅伝に向けての最終合宿を終え、青山学院大の主将、神林勇太の右脚は悲鳴を上げていた。

 内転筋、大腿四頭筋、臀部に痛みがあった。それでも、鍼治療などを施した結果、ほぼ完治した。ところが、一か所だけ、どうしても痛みが取れない箇所があった。

 仙骨である。

 神林はいう。

「ポイント練習を抜いて、ジョグで1週間ほどつないだ時期があったんですが、それでも痛みが引かなくて。『これ、折れてるんだろうな』と思ってました」

 改善しないまま、区間エントリーの前日である12月28日にMRI検査を受けることになる。

 仙骨が折れていた。

「もう、走ることはないんですか?」

 神林は、今回の箱根駅伝を陸上人生最後のレースと決めていた。

「箱根駅伝は、自分の人生を変えてくれた大会でした。これを区切りにして、陸上にはピリオドを打ちたいと思います」

 就職先はサッポロビール。最終面接では、

「もう、走ることはないんですか?」

 とまで質問された。

 箱根駅伝が最後です。

 神林は潔く、そう答えていた。

原監督は泣いていた

 神林がMRIの結果を監督に報告すると、原監督も覚悟はしていたものの、少なからずショックを受けたようだった。そして12月30日、部員を前にしたミーティングで監督はこう話した。

「神林には10区を走ってもらいたい。もしも品川の八ツ山橋で立ち止まって、棄権してしまっても構わない。来年、予選会からやり直したっていいんだ」

 監督は泣いていたという。その言葉を聞いて、神林は素直にうれしかったが、その申し出だけは主将として断った。

「自分が走らなくても、青学は十分強いです。青学は優勝するチームですし、復路のメンバーが強いのは監督が分かってるじゃないですか。チームのために後輩を走らせてください」

 神林の言葉を受け、原監督は「自分のエゴでチームを沈没させてはいけない」と部員たちに頭を下げ、泣く泣く神林を外す決断をした。

「神林には横浜の給水を頼みたい」

 なぜ、そこまで監督は神林にこだわったのか。原監督はいう。

「コロナ禍のなか、目標を見失いそうになりかねない1年、肉体的にも、精神的にもチームを引っ張ってきたのは神林でした。これは、神林のチームなんです。だからこそ、私は彼に走って欲しかった」

 もともと、神林は1月2日の3区に予定されていた。しかし、3日ならば、少しは状態も改善されているかもしれない。そんな祈りも込めて原監督は10区に起用しようとしたのだった。

 それでも、原監督は最後に神林のための舞台を用意した。

「彼はこれで引退なんです。もう走れないんですよ。箱根駅伝での給水や付き添いなどの役割分担は選手が決めるんですが、『神林には横浜の給水を頼みたい』と、これだけは学生たちにお願いしました。なぜなら、テレビに映るし、30mほどですが、いちばん長く走れるからです」

 神林は、9区の飯田貴之と並走し、給水係の役目を終えた。

 4年目の箱根駅伝は、こうして終わったが、青学大は総合で4位にまで順位を押し上げていた。

9区の給水係を務めた神林勇太(左)。ゴールでは10区の中倉ねぎらった ©Nanae Suzuki

「ナイーブだった1年生」から「区間賞」へ

 神林勇太は、実力はありながら、1年の時から悩める青年だった。

 神奈川の中学校を卒業すると、「厳しい環境を求めて」、熊本の九州学院へと進学。着々と実力をつけ、青学大でもルーキーで16人の登録メンバーに入った。ところが、年末の重要なポイント練習を外した。

「あのあと、気持ちが切れてしまったんですよね」

 憧れの箱根駅伝で走る夢が目の前からするりとこぼれてしまい、自分に失望し、それが態度に出てしまった。当時の主務がいう。

「神林、あそこで気持ちが切れてなければ、まだチャンスあったんですけどね。自分でダメだと思ってしまったみたいで」

 まだまだナイーブだった。

 2年生の時は、史上最強チームとの呼び声もあるなかで、神林はポジションを獲得することが出来なかった。

 それでも、この経験が彼を強くする。3年生になり、ケガがあったものの、出雲駅伝では4区区間賞を獲得し、チームの主力として活躍するようになった。全日本では区間9位と一歩後退したが、11月、12月の練習で結果を残し、神林は念願かなって箱根でも9区を走る。晴れの舞台で区間賞を獲得し、総合優勝に貢献する。

「なんで自分が走れないんだ?」

 そして最終学年、神林は主将となった。ところが、コロナ禍に見舞われ、チームが目標を失いそうになる状況で、同級生たちとともに練習でのスタンダードを下げないように毎日を過ごした。

「もしも箱根駅伝が開催されなくとも、後輩たちから『神林さんの学年、頑張ってたよな』と言ってもらえるよう、練習も、私生活も律してきたつもりです」

 徐々に競技会が戻り、11月1日の全日本大学駅伝の7区では留学生を抑えて区間賞を獲得した。競技生活からの引退を惜しむ声も聞こえていたが、いよいよ競技生活のフィナーレ、箱根駅伝が近づいていた。ところが、仙骨の痛みが引かなかった。

昨年11月1日の全日本大学駅伝では7区で区間賞を獲得した神林 ©JMPA

 本来は箱根駅伝に向けた年末、それは最後の調整期間になるはずだった。

「選手の立場だったら、本当に時が“秒”で過ぎていくような時期なのに、今回ばかりは一日が長くて、長くて」

 部員の前では気丈にふるまっても、本音ではケガを呪った。

「10年間で一度も疲労骨折はなかったですし、『なんでよりによって今なんだ? なんで自分なんだ。なんで自分が走れないんだ』とは思いました」

 原監督はいう。

「神林の人生で、これほど苦しいことはもう起こらないと思います」

 ナイーブだった1年生が、精悍なリーダーに成長した4年間。

 おつかれさま、という言葉だけが思い浮かぶ。

 2020年度、青学大キャプテンの未来に幸あれ。

Number箱根駅伝特集の撮り下ろし写真。エース吉田圭太、ルーキー佐藤一世、原晋監督、そして神林雄太主将

文=生島淳

photograph by KYODO