プロレス界の新春興行といえば、新日本プロレスの1.4東京ドーム大会が定着して久しいが、今年は“裏1.4”となったプロレスリング・ノアの新年一発目の後楽園ホール大会も、その面白さがファンの間で定着しつつある。

 新日本の1.4、そして1.5東京ドームが最高のカードを用意した年間最大のビッグマッチであるのに対し、ノアの1.4後楽園のカードはすべて当日発表。入場テーマ曲によってカードが判明する形式だ。「何が起こるかわからない」のが魅力であり、会場に来た人、もしくはリアルタイムで配信映像を観た人が、その驚きを享受できる、ノアからの“お年玉”となっている。

 そんな1.4後楽園、今年用意されたサプライズは馳浩の登場だった。

サプライズはメインイベント終了後に

 馳はメインイベントの6人タッグマッチ、潮崎豪、清宮海斗のパートナーとして最後に登場し、武藤敬司、丸藤正道、田中将斗と対戦。新型コロナウイルスの感染拡大により、1都3県での緊急事態宣言発令が検討される中、現役の国会議員であり、元文部科学大臣のリング登場は、まさにサプライズだ。

 馳の試合出場は、2019年9月8日、石川県金沢市で行われた全日本プロレスの興行以来1年4カ月ぶり。2017年7月にプロレスリング・マスターズのリングに上がるまでは、11年間リングを離れていたが、この日もブランクを感じさせない動きで、客席から大きな拍手を集めていた。

 そして、さらなるサプライズはメインイベント終了後に待っていた。この日、AbemaTVのゲストとしてリングサイドの放送席に座っていたタレントの山田邦子さんのもとに馳が駆け寄り、グータッチを交わしたのだ。

 この馳と山田邦子の邂逅こそ、昭和からのファンには最大のサプライズだっただろう。なんせこの二人、今から34年前にさかのぼった1987年からの因縁があったからだ。

ファンのイライラの矛先は山田邦子に

 80年代前半、新日本のテレビ中継『ワールドプロレスリング』はゴールデンタイムに放送され、一時は毎週20%以上の高視聴率を記録していた。しかし選手離脱などの影響を受け、その視聴率は年々下降。このままではゴールデンタイム撤退が時間の問題という中で、87年4月から番組名を『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』と変え、スタジオ収録を加えてバラエティ色を強く打ち出すという大胆なテコ入れを行った。その時、番組MCを務めたのが当時お茶の間で絶大な人気を誇った山田邦子だった。

 しかし、プロレス番組のバラエティ化はファンの反感を買い、完全に裏目に出てしまう。放送時間帯が月曜8時から火曜8時に変わった『ギブUPまで待てない!!』第1回放送分の視聴率はなんと5.1%。ただでさえ低迷していた視聴率が一気に半減する大惨敗を喫してしまったのだ。

 そしてファンのイライラの矛先は、プロレスに詳しくなかったMCの山田邦子に向かっていった。そんな中、元オリンピック日本代表で、国内プロデビューを控えていた長州軍団のスーパールーキー、馳浩のスタジオインタビューが行われる。

 そこで事件は起こった。

「あの血はすぐに止まるもんなんですか?」

 流血戦となった試合映像を観たあとのインタビューで、山田邦子が「あの血はすぐに止まるもんなんですか?」と、素朴な質問をすると、馳が「止まるわけないだろ!つまらないこと聞くな!」とキレ気味に答え、スタジオが凍りついたのだ。

 この件については、当時プロレスファンからの「馳、よく言った!」との声があがる一方、視聴者からはプロレスラーが女性タレントに対し声を荒げたことに対する非難も集まった。

 結局、プロレス番組のバラエティ化は、わずか半年で頓挫。もとの試合中継スタイルに戻り、山田邦子も降板した。こうして『ギブUPまで待てない!!』という番組とともに、馳浩インタビューは一種の“黒歴史”となっていたのである。

 それから長年、山田邦子とプロレスの絡みはなく、てっきりプロレスが嫌いになったとばかり思っていたが、意外なことに数年前から熱心に会場に足を運ぶプロレスファンとなっていた。それを受けて筆者は6年前、山田邦子に『ギブUPまで待てない!!』時代の話と、あの馳との一件についてインタビューしているので、ここで紹介したい。

MCになったのはアントニオ猪木から頼まれたから

 もともと、山田邦子が『ギブUPまで待てない!!』のMCになったのは、番組プロデューサーと、アントニオ猪木から頼まれたからだったという。

「あの頃、私は猪木さんや長州さんのことは知っていても、プロレスの細かいことは全然わからなかったの。でも、猪木さんから『プロレスをよく知らない人との橋渡しをしてください』って言われて、『女の人とかもプロレスを応援してくれるようになるといい』ってことで、やらせてもらうことになったんですよ」

 今でこそ「プ女子」と呼ばれる女子のプロレスファンはたくさんいるが、当時の客層は9割以上が男性。そこで女性を含めたファン層の拡大のために、MCとして白羽の矢が立ったのが、当時、テレビで絶大な人気を誇っていた山田邦子だったのだ。

「だけど、ちょっと時代が早かったんじゃないかな。今も昔もお笑い芸人はプロレスが大好きな人が多いんだけど、あのころはまだ、なかなか受け入れてもらえなかったから」

「いまだに言われるけど、私の中では何もないのよ」

 そして、あの馳との一件については、こう語っている。

「いまだに馳のことを言われるんだけど、私の中では何もないのよ。あの時、私がまだプロレスをよく知らないからへんなことを聞いちゃって、それで馳に怒られて。私は『あ、そうですね』って言って、そこからは何事もなく終わったと思ってたんだけど、収録後、プロデューサーとかがみんな『大丈夫ですか?』って来たのよ。ちょっと売れてるタレントだったんで、特別扱いにみたいになっちゃってて。

 それで、単にインタビュー中にちょっと怒られただけなのが、『ゴールデンタイムに国民的なタレントが言葉の暴力に遭ってる図』みたいになって、テレビ局の方から『あれは言葉の暴力だ。こんな番組やめましょう』みたいな感じで言われて、それで終わっちゃったの」

 当時の山田邦子は、翌88年から8年連続でNHKの好きなタレント調査女性1位を記録するほどの売れっ子中の売れっ子。『ギブUPまで待てない!!』がわずか半年で終わったのは、プロレスファンの反発や、視聴率の伸び悩みだけでなく、超売れっ子タレントに忖度した部分もあったということだ。

「私自身は、あの時から『なんでもないですよ』って言ってたんですよ。だって『オレたちひょうきん族』の現場なんかしょっちゅう怒鳴られてたから、慣れっこだし(笑)。でも、周りが過剰反応しちゃったんですよね」

プロレス発展を願う同志のグータッチ

 あれから30年以上が経ち、大のプロレスファンとなり、プロレス中継の実況席にも座る機会が増えた山田邦子のもとには、馳との対談企画なども何度か持ち込まれたという。

 しかし、馳が国会議員として多忙だったこともあり、なかなか実現はしなかった。そんなすれ違いが続いた両者が、じつに34年ぶりに再会したのが、今年の1.4後楽園ホールだった。

 あの頃は、プロレスをよく知らないプロレス番組MCと、血気盛んな若手レスラーという立場だった両者だが、今、山田邦子はプロレスを心から愛するタレント、馳は格闘技振興議員連盟の会長としてプロレス・格闘技を側面から支援する国会議員へと立場が変わった。

 34年の時を経た後楽園でのグータッチは、単なる“和解”ではなく、プロレス発展を願う同志として認め合った証でもあったのだ。

文=堀江ガンツ

photograph by AFLO