とうとう、その日がやって来たか、という思いだ。

 現地1月7日木曜日、米野球殿堂入り最年長のトミー・ラソーダ氏が亡くなった。93歳だった。

 ラソーダ氏は現役時代、当時ニューヨークのブルックリンに本拠地を置いていたドジャースで、救援左腕としてメジャーリーグ(MLB)で通算26試合(6先発)に登板して0勝4敗1セーブ、防御率6.48という成績を残した。引退後はスカウトからマイナーリーグ監督、そして1976年の9月、前任のウォルター・オルストン監督(この方もやはり、殿堂入りしている)が引退したため、その後継者としてドジャースの三塁ベースコーチから監督に就任した。

 監督としてはMLB通算22年(実質21年)で3040試合1599勝1439敗、2引き分け(勝率.526)、ナ・リーグ優勝4度、ワールドシリーズ優勝2度(1981年と1989年)という輝かしい経歴を持っている。さらに、歯に衣着せぬ性格もスター監督として広く人気を得た理由だろう。球団フロントの名誉職時代も含めればドジャースひと筋71年の人生でありながら、2000年のシドニー五輪では米国代表を率いて当時最強のキューバを破り、金メダルを獲得するなど、まさに米球界屈指の名監督だったと思う。

「長嶋茂雄と星野仙一は私の兄弟で……」

 日本の古いMLBファンにとっても、忘れようがない人だ。

 1988年に、ワールドシリーズ王者の監督として来日しているが、その名が日本球界で広く知れ渡ったのは、野茂英雄氏が「メジャー挑戦」を始めた1995年のことで、彼がドジャースの監督をしていたからではないかと思う(1996年を最後に退陣している)。当時、野茂氏に「俺にはドジャー・ブルーの血が流れている」と英語で教えた映像は、米国でもかなり有名だ。

 ラソーダ氏の知名度はMLBファンや野球ファン以外の人々の間でも急上昇し、ついには日本のテレビCMにも出演。「長嶋茂雄と星野仙一は私の兄弟であり、野茂英雄は私にとって、年の離れた息子なんだ」と話すなど、親日家としても知られるようになり、2008年にはその功績から、旭日小綬章が送られている。

野茂英雄に耳打ちするトミー・ラソーダ氏 ©Kazuaki Nishiyama

「そんなものが怖くて監督なんかできるもんか」

 監督としては、ガチガチのオールド・スクールである。

 ボストンやシカゴを拠点にした関係で彼を取材する機会はあまり多くなかったが、統計分析やテクノロジーが重宝されている時代になった当時、囲み会見の彼の口から聞いた「Guts Decision(勇気ある決断)」という言葉は、とても心に残っている。

「私だって相手投手や打者とのマッチアップを見て選手起用の参考にしているが、監督たるもの、時には選手の目を見たり、所作を見て起用を決めなくちゃならない時がある。

 それが裏目に出たら、アンタたちメディアから『どうして彼をマウンドから降ろしたんだ?』、『どうして彼に代打を送ったんだ?』と総攻撃される。だが、そんなものが怖くて監督なんかできるもんか。私は選手たちを信じているし、彼らの闘志を信じている。

 アンタたちは私の起用が成功したら『勇気ある決断』なんて言ってくれるけど、私にとってはそれも監督の仕事の一つに過ぎない」

第1回WBC(2006年大会)ではイチローと談笑する姿も ©Naoya Sanuki

伝説の“1988年ワールドシリーズ優勝”

 もっとも有名な「勇気ある決断」は、ドジャースが昨シーズン、ワールドシリーズに優勝するまで長らく最後の優勝だった1988年。ア・リーグ王者アスレチックスとのワールドシリーズ第1戦における、カーク・ギブソンの代打逆転サヨナラ本塁打だろう。

 当時のアスレチックスは黄金時代を迎えており、まだ東西2地区制だった頃の西地区で同年のメジャー最高の104勝58敗(勝率.642)を記録し、ア・リーグ優勝決定シリーズでは4戦全勝でレッドソックスを一蹴。ドジャースとのワールドシリーズでも「楽勝だろう」と予想されていた。

 実はこのシリーズ、私はどちらかと言えばアスレチックスを応援していた。まだ日本でMLB中継が普通にテレビ観戦できるような時代ではなかったが、風の噂で「アスレチックスに史上初のフォーティー・フォーティー(=40本塁打40盗塁)以上を達成した、凄い選手がいる」と聞いていた。それがずっと後、米野球界におけるパフォーマンス向上薬品の蔓延を暴露した1986年のア・リーグ新人王にして1988年の最優秀選手、ホゼ・カンセコだった。

 アスレチックスは彼に続いてマーク・マグワイア(1987年)、ウォルト・ウェイス(1988年)と3年連続の新人王を輩出。他にもデイブ・パーカーやカーニー・ランスフォードらの強打者に、投手陣も4年連続20勝する絶対的エースの先発デイブ・スチュワートや、1990年にシーズン27勝を挙げることになる好投手ボブ・ウェルチなど、顔触れが揃っていたのだ。

 序盤から中盤に強力打線が爆発して逃げ切り体制を作ると、トニー・ラルーサ監督(現ホワイトソックス監督)が後にドジャース投手コーチとして黒田博樹、前田健太両投手も指導した中継ぎのリック・ハニカットから、通算390セーブを記録して殿堂入りする絶対守護神のクローザー、デニス・エカーズリーに継投するのが、典型的な“勝ちパターン”だった。

 ドジャースも同年、59イニング連続無失点のMLB記録を作るなどして23勝を挙げた同年のナ・リーグ、サイ・ヤング賞投手オーレル・ハーシュハイザーを中心にまとまっていた。しかし、主砲カーク・ギブソンがシーズン終盤に負った脚の故障でシリーズ欠場を余儀なくされており、「アスレチックスが圧倒的有利」との下馬評が流れ、私もそう信じていた。

「アスレチックス圧倒的有利」で見せた“衝撃の起用”

 ところがラソーダ監督は、地元ロサンゼルスでの初戦、3対4と1点を追いかける九回二死一塁の場面で「一塁まで走ることもできない」と言われたギブソンを代打で起用し、同選手がエカーズリーから右越えに2点本塁打を放ったことで逆転サヨナラ勝ちをもぎ取り、シリーズでも4勝1敗で優勝してしまったのだ(MVPはシリーズ2勝のハーシュハイザーだ)。

 ずっと後になって当時のドキュメンタリーを見た時、ラソーダ監督がいわゆる“カン(勘)ピューター”で主砲のギブソンを代打起用したというイメージは崩れた。なぜなら、サイド気味のスリークォーターのエカーズリーに対する左の代打の起用は、「左打者視線」では理に適った起用法であり、おまけに当のギブソン自身がこう語っている。

「エカーズリーは左打者に対して、フルカウントからバックドア(外角)のスライダーを投げてくるというデータがあった。ファールで粘ってフルカウントになった時、私は打席を外して『おいおい、フルカウントになったぞ、本当にバックドア・スライダーが来るのか』とひと呼吸置いたものだよ」

(ちなみに、フルカントからのバックドア・スライダーを叩いて右翼席にぶち込んだギブソンが一塁に歩き出した時、当時の実況アナウンサーは「ギブソンはベース一周できるのでしょうか!?」と言っている)

トミー・ラソーダ氏 ©Kazuaki Nishiyama

まっすぐな「ドジャースを愛しているんだよ」

 同じドキュメンタリー番組で、アスレチックスに勝ったラソーダ監督が、勝利の美酒を浴びながら「誰も俺たちが勝つなんて信じてなかったが、俺たちは成し遂げたんだ!」と叫ぶシーンを見た時、鳥肌が立った。

 スポーツの熱い瞬間は、何年経っても忘れられるものではないし、追体験として味わっても、新しい感動を生むものだと思い知らされる。そして、1988年のドジャースに関しては、ラソーダの起用法なしには生まれ得ないドラマだったのだと思う。

「私はベースボールを愛している。ドジャースを愛しているんだよ」

 ワールドシリーズ制覇の際、すでに野球の名士ともいえる立場にいたラソーダ氏にメディアが殺到した。誰もが彼に「ドジャース愛」を語らせたいと思い、彼自身もそれを分かったうえではっきり、そう言ったのだ。

 ここまで野球に愛される人は、これから現れるのだろうか。

 トミー・ラソーダ。今はただ、偉大な野球人に畏怖の念を抱き、安らかにお眠りください、と天を仰ぐのみである。

文=ナガオ勝司

photograph by Naoya Sanuki