雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は、先日現役引退を発表した前田遼一らジュビロ磐田を支えたストライカーによる3つの言葉をご紹介します。

<名言1>
褒め言葉は自分をだめにするから好きではない。
(中山雅史/Number798号 2012年2月23日発売)

 2015年に現役復帰し、J3アスルクラロ沼津で選手登録されていた中山は、この1月に沼津を退団してジュビロ磐田のコーチに就任することを発表した。トレーニングを続けながらも沼津U-18のコーチを経験し、昨年には現役Jリーガーとして初のS級コーチライセンスを取得済み。J2に甘んじる古巣にどんな影響をもたらすか早くも注目が集まっている。

 中山といえば、ギネスブックに認定された4試合連続ハットトリックや日本代表として初めてW杯でゴールを挙げるなど、記録にも記憶にも残るゴールを量産してきた“炎のストライカー”である。ともに磐田で黄金時代を築いた司令塔・名波浩はその凄さを過去の取材でこう語っている。

「どんなに点を入れてもゴンちゃんは『いいボールが来たから』としか言わなかった。もし奢っていたら、きっとあれほどボールは集まらなかったと思う」

 準備を怠らず、どんなボールにも体を張って反応する。そんな中山のストライカーとしての能力は、プレーを見れば誰もが理解するところ。後に続いた高原直泰、前田遼一らにも大きな影響を与えた。

2002年セカンドステージを制してカップを掲げる中山雅史 ©︎Kazuaki Nishiyama

 現在、磐田には五輪世代の小川航基、下部組織出身の三木直土ら奮起が期待されるストライカーが揃う。J1昇格に向けて、点取り屋の出現は必須。中山のイズムが“ジュビロ復活”のキーワードになることは間違いなさそうだ。

<名言2>
FWにとっては結果がすべて。俺は点を取って結果を出せたことで自信を持てた。そういう自信は、どこに行っても生かされると思う。
(高原直泰/Number564号 2002年12月5日発売)

 2ステージに分かれていた2002年のJリーグ。前後期ともにジュビロ磐田が制し、史上初の完全優勝を遂げた。その原動力となったのが27試合26得点で得点王に輝いた当時23歳の高原だった。アルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズへのローン移籍から復帰した高原は、その年の日韓W杯直前にエコノミークラス症候群を発症し、選外に。その悔しさを晴らすかのように覚醒した。

 ストライカー高原の凄さはその万能さにある。両足・頭から放たれるダイナミックなシュートに加え、巧みなボール捌きやパスを引き出す駆け引き……子どもたちの多くが、その破壊力満点の点取り屋の姿に憧れを抱いた。

 また、技術だけではなく、その強いメンタルも魅力的だった。

「Jリーグは欧州よりレベルが低いと言われようが、結果を出せば問題ないでしょう。逆に欧州や南米から多くの外国人選手が来たけど、結果を出した選手が何人いるんだ?って思う」

脅威となり続けた高原と中山の2トップ ©︎Naoya Sanuki

 自信を確かなものにした高原はドイツ・ハンブルガーSVへ移籍。加入1年目から当時の名手として君臨していたドイツ代表GKオリバー・カーンから得点を奪うなど飛躍を遂げ、現地では「スシボンバー」の異名を付けられるほどの活躍を見せた。

沖縄でコーヒー豆栽培も

 現在、自身が立ち上げた沖縄SV(九州サッカーリーグ)で代表取締役を務める傍ら、選手としてもプレーしながらJリーグ加盟を目指している。昨年のNumberWebの取材では、沖縄SVで取り組む地域貢献の1つであるコーヒー豆栽培について熱く語ってくれた(2020年2月10日配信/https://number.bunshun.jp/articles/-/842377)。

「ドイツから日本に戻ってきて、その後は韓国のクラブにいったり、J2やJ3のクラブでもプレーしました。そうやってカテゴリーが下がってくると、より周りの応援とか支え、それに地域やスタッフとの結びつきが見えるようになってきたんですよ。<中略>ぼくの頭になんとなく農業というキーワードがあったんですが、沖縄で農業をやられている方の中に、農福連携、つまり農業と福祉を結びつけたソルファコミュニティという組織を運営していて、障がい者の方と肥料を一切使わない自然栽培に取り組んでいる人がいたんです。興味があったので自分で問い合わせをして紹介してもらい、少しずつ農業体験をさせてもらいました」

©︎Nanae Suzuki

 柔らかい表情を浮かべて畑仕事をする高原だが、言葉の端には強いプライドがにじみ出る。「どこに行っても生かされる」と語る「自信」はいまも高原の原動力になっている。

<名言3>
ジュビロという土壌が、遼一のストライカー像をつくっていったのだと思います。
(奥大介/NumberWeb 2010年11月17日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/63777

 ブラジルW杯へ向けて歩み始めた日本代表。当時、話題になっていたのがストライカー前田遼一の覚醒だ。名指しで褒めることが少ないとされるイビチャ・オシムに「見た目はそれほど速く見えないが、いつの間にか相手にとって危険なエリアにいる。今の日本に不足しているタイプだ」と賞賛されるほど期待を集めていた。惜しくもW杯メンバーからは漏れるも、2010年は当時史上初だった2年連続の得点王に輝いている。

 ただ、巧みなポジショニングやポストプレーなど献身的な姿勢が評価される一方で「力強さがない」と指摘されるシーンも多かった。自身初の移籍を決断したFC東京でのシーズンを前にしたインタビューでは、こんな風に語っていた。

「ジュビロでもそういう風に言われることは多かったですね。でも、先に“自分”が来て、“俺が中心だ”という風になると、むしろダメになると思うんです。そんなことが出来るのは、本当のスーパースターだけ。結局FWは周りに使われて、初めてゴールができる。パスが来なければ、シュートも打てないから。<中略>移籍をして改めて、サッカーはひとりじゃできないんだなと強く感じています」(2015年3月4日配信/https://number.bunshun.jp/articles/-/822814)

 FWは周りに使われて――とは先輩である中山雅史の姿勢にもつながる。ジュビロ磐田の黄金期の一員として、多くのチャンスを演出した奥大介(享年38)は生前に前田を高く評価していた。

「ジュビロに入ったころの遼一は体の線が細かった。ゴンさんの影響を受けて体づくりに励み、フィジカルを強くしようと必死でやっていました。今の遼一の運動量とか、体の強さを見ていると、ゴンさんに似ています。それにドリブルや体の使い方、ポストプレーのうまさなどは高原に似ています」

 中山が背負った「9番」の継承を固辞したのも目立つことを嫌う前田らしいが、2人の偉大なストライカーのエッセンスを授かった前田は以降、ジュビロの“顔”を引き継いだ。

2010年静岡ダービー ©︎Toshiya Kondo

J1得点数は中山に次ぐ5位

 1月14日、39歳を迎えていた昨季限りでの現役引退を発表。会見は行わずに静かにスパイクを脱いだ。

 J1通算154得点は、現時点で中山に次ぐランキング5位。ヘディングによる得点数では中山を抜いている。磐田ではクラブ初J2を経験するなど、先輩たちが築いたような黄金期は訪れなかったが、FC東京、FC岐阜と渡り歩いた先でも確かな足跡を残した。

 今季は古巣磐田のU-18チームでコーチになる。前田にシーズン最初にゴールを奪われたチームは降格するという“デスゴール”でも恐れられた高いゴール奪取力。その技術は後続のストライカー育成にも大きく役立つはずだ。

©︎Toshiya Kondo

文=NumberWeb編集部

photograph by J.LEAGUE