今年の受験生は大変だ。

 とくに大学受験をする高校3年生は、新型コロナウイルスのせいで授業の進行が大幅に遅れただけでなく、さらに二転三転する新しい大学入試制度にも振り回された。

 緊急事態宣言が二度も発出されるような1年に受験なんて、あまりにも不憫でならない。最終学年のイベントがことごとく中止に追い込まれ、きっと受験モードへの気持ちの切り替えも難しかったはずだ。

 こんな時代だから、安全志向に走りたくもなるだろう。現役合格のために、第一志望校をあきらめ、ランクを下げる。共通テストが上手くいかなかった人たちは、なおさら弱気の虫が疼くに違いない。

 それでも、多くの受験生は踏ん張っている。逆境にあらがうように、折れそうになる心に鞭打って、いまこの瞬間も机に向かい、ペンを走らせている。

 大変な時代だと承知の上で、彼らには安易な妥協はしてほしくないとも思う。時代のせいにして、思い描いていた理想の未来像を簡単に書き換えないでほしい。

 それで第一志望に手が届かなかったとしても、誰も君たちを責めたりはしない。国難とも言える状況の中、大きな目標に向かって手を伸ばし、掴み取ろうとした努力にこそ、特別な価値があるのだ。

 受験生を持つ一人の親として、心の底からそう思う。

久保建英もまた、重大な人生の選択を

 では、久保建英はどうだろう。

 大学進学を目指す現役の受験生と同世代の彼もまた、この冬に重大な人生の選択をしている。レンタル先のビジャレアルから、再レンタルという形でヘタフェに移籍したのだ。

 ビジャレアルでウナイ・エメリ監督に冷遇され、思うように出場機会を得られなかったのは事実だ。場数を踏んでこそ、フットボーラーとしてさらなる成長ができるとの考えも分かる。多くのメディアも日本のファンも、だから今回の久保の決断を好意的に受け止めているのだろう。実際、ヘタフェ移籍後にエルチェ戦とウエスカ戦でさっそく出番を得ている。

 ただ一方で、昨季のマジョルカよりも数段格上のビジャレアルで指揮官を納得させるプレーができなかったのも、厳然たる事実だ。

「干された」とまで言えるほど、まるでチャンスを与えられなかったわけでもない。ヨーロッパリーグ(EL)では5試合連続でスタメン起用されたし、ラ・リーガでの出番はたしかに限られたが、それでも先発出場は2試合あった。そこで目に見える結果を残せず、気持ちの焦りがプレーを粗くし、徐々にエメリの信頼が希釈されていったのだ。

ヘタフェとビジャレアル入団会見での言葉

 ヘタフェへの入団会見で、久保は移籍理由をこう話している。

「僕はまだ若くて、出場時間と自分が選手であると感じられることを必要としています。環境を変えた理由はそれ以外にありません。人生で最も好きなことであるフットボールのプレーのために、足りないことはすべてやります」

 だが、果たしてそれは、安易な妥協ではなかったか。昨年の夏、レアル・マドリーからビジャレアルへのレンタル移籍が決まった時も、彼はこう決意を口にしている。

「ビジャレアルを選んだのは、それが最高の選択肢だと思ったからです。これからはそれが正しかったと証明していかなければなりません。そのために、ディフェンダ―とゴールキーパー以外なら、どんなポジションでも喜んでプレーします」

 19歳の若者の言葉尻をとらえて、揚げ足を取るつもりはない。けれど、わずか半年前のあの決意はどこに行ってしまったのかと、あまり例を見ないシーズン中の再レンタルには、疑問がぬぐい切れない。

第一志望が「マドリー復帰」であるならば

 久保にとっての第一志望が「マドリーへの復帰」であるなら、個人的には少なくとも1シーズンはビジャレアルに留まるべきだったと思っている。監督との関係性も含め、難しい環境に身を置いてこそ、得られるものは必ずあるはずだからだ。

 ピッチに立つ機会は限られても、例えばゴールゲッターとしてもチャンスメーカーとしても圧倒的な存在感を放つジェラール・モレノのような選手から、学ぶことは少なくなかっただろう。

「若い時の苦労は買ってでもしろ」などというのは、もはや古臭い考え方なのかもしれない。自らの進化のために、あるいは東京五輪や来年のカタールW杯を見据えた上で必要な選択だったと言われれば頷くしかないが、それでも熾烈なポジション争いを嫌い、楽な道へ逃げ込んだとの印象を消し去ることはできない。

 そもそも「Bランク」のビジャレアルでレギュラーを取れない者が、「Aランク」のマドリーに必要とされるはずがないのだ。

思い起こす、中田英寿のケース

 思い起こすのは、中田英寿さんのケースだ。

 セリエAのペルージャで強烈なインパクトを残した彼を、当時ASローマの監督だったファビオ・カペッロは、「是が非でも君が必要だ」と言って口説き落とした。レストランでの会談の席で、テーブルをピッチに見立ててローマ加入後の起用法をレクチャーしたというのは有名な話だ。

 しかし、新天地では満足な出場機会を得られなかった。同じトップ下のポジションに“ローマの王様”フランチェスコ・トッティがいたからだ。

 そして、大型補強で選手層が厚くなった2年目の2000-01シーズンはさらに状況が悪化する。スタメン出場はわずか5試合にとどまり、外国人枠の関係でベンチ外となることも少なくなかった。

それでも、ヒデの心は折れなかった

 それでも、彼の心は折れなかった。

 虎視眈々とチャンスを窺い、終盤戦のユベントスとの大一番で、途中出場から伝説の1ゴール・1アシスト。ローマにスクデットをもたらした英雄は、シーズン終了後、自らの力でパルマへの移籍と背番号10を勝ち取ったのだ。

 指揮官に望まれてステップアップ移籍をしながら、出番に恵まれなかったという点で、ビジャレアルでの久保と状況はよく似ている。

 しかし、中田さんは耐え、久保は飛び出した。もし、あのまま留まっていれば、例えばELの重要なゲームで存在価値を示す機会もあったかもしれない。果たして久保は本当に、ビジャレアルでも「フットボールのプレーのために、できることはすべてやった」と胸を張れるだろうか。

エルチェとウエスカは下位に沈むクラブだ

 大雪のため、練習なしで臨んだヘタフェでのデビュー戦で、2ゴールに絡む活躍を披露した久保。続くウエスカ戦では惜しい直接FKを放ち、チームも連勝を飾った。

 しかし、相手が残留争いに巻き込まれているヘタフェよりもさらに下位に沈むエルチェとウエスカであり、しかもエルチェ戦は数的優位にある状況(エルチェは52分に退場者を出していた)での投入だったことを忘れてはならない。

 ラ・リーガで上位争いを演じ、ヨーロッパの舞台でも戦うビジャレアルから、昨季のマジョルカと同じく1部残留を目標とするヘタフェへの再レンタルは、語弊を恐れず言えば都落ちだ。ここから第一志望のマドリーにたどり着くには、ゴールに絡んだくらいで喜んではいられない。それこそ、有無を言わせぬ圧倒的な結果が必要だ。そうでなければ、近道を選んだつもりが、思わぬ遠回りになってしまいかねないだろう。

 共通テストを終えた後、学校から届いた学年通信にこんなメッセージがあった。

「苦しいのはみんな一緒。どうかこの壁を乗り越えてください。そして将来、自分らしく生きていくためにも、安易に楽な道を選ばないように──」

 生徒の伸びる力、可能性を信じているからこそ、先生たちはあえて強い言葉で背中を押す。久保も同じだ。前人未到の地に足を踏み入れられる特別な才能の持ち主だと知っているからこそ、彼には苦難と向き合うことを恐れないでほしいのだ。

 それは、受験生の子どもに向ける親心に近いのかもしれない。だからもちろん、涼しい顔で満開の桜を咲かせ、この老婆心を笑い飛ばしてくれると信じてもいる。

文=吉田治良

photograph by Daisuke Nakashima