先週、大坂なおみがSNSに投稿したある写真が削除された。

 大坂は、29日にオーストラリアのアデレードで開催されるエキシビションイベントに出場するため現地入りしており、写真はコーチやトレーナーらチームスタッフとともに5人で撮られたものだった。シーズンの開幕に向けて順調そうなチームの笑顔の写真は、本来何の問題もないはずだが、これが一部の選手たちから強い反発を受けたというのだ。

 アデレードでのイベントに出場するのは、男女のトッププレーヤー8人。女子は大坂のほかセリーナ・ウィリアムズ、アシュリー・バーティ、シモナ・ハレプ、男子はノバク・ジョコビッチ、ラファエル・ナダル、ドミニク・ティームのトップ3に、若手有望株のヤニク・シンネルが加わった豪華な顔ぶれである。

 彼らは、オーストラリアへの入国者全員に義務付けられている2週間の検疫期間をそのアデレードで過ごし、エキシビションに参加してから、全豪オープンが2月8日から開催されるメルボルンへ移動する。

メルボルン組の72選手が屋内待機に

 このアデレード組を除き、全豪オープン及びその前哨戦に出場する選手やその関係者たちは、すでにメルボルンに入っている。大会側が用意したチャーター機に乗り、今月14日から入国したのはアデレード組と同じだが、大坂が元気に練習する姿を公開した頃、メルボルンは想定以上の混乱状況に陥っていた。

 選手とそのチームスタッフを合わせて50人弱のアデレード組に対して、メルボルンの空港では世界7都市からのチャーター機15便に分かれて約1200人が入国。そのうち、ロサンゼルス、アブダビ、ドーハ発の3便から、ホテル到着後の検査で複数の新型コロナ陽性者が出たのだ。同じ便に乗っていた者全員に、14日間一歩たりとも部屋の外に出てはいけないことが通達された。そこには72人もの選手が含まれている。

1日5時間以内の練習ができない!

 他の選手たちとの最大の違いは、1日5時間以内の練習ができないことだ。

 現場の混乱を示すように、練習が許されている多くの選手たちもなかなか練習に出る許可が出なかったというが、72選手にいたっては、窓も開かないホテルの部屋から廊下に出ることも禁じられているという。単なる運が分けた差としてはあまりにも大きく、何人もの選手から怒りと絶望に満ちた言葉が発せられたのは無理もない。

錦織の不安の吐露は実に控えめな方である

 不運の72人の一人になってしまった錦織圭は、自身の公式アプリを通して「2週間じっとしていたあとに試合をするのはリスクしかない」と不安を吐露したが、これなど実に控えめなほうである。

「こんなルールは聞いていない。知っていたら来なかった」(ソラナ・シルステア)、「Wi-Fiがあることを除けば、囚人と同じ」(バウティスタ・アグート)、「頭おかしいとしか思えないルール」(アリゼ・コルネ)など、オーストラリア政府や協会を批判するコメントがSNSやメディアのインタビューなどで次々と発せられた。

 なお、メルボルンのあるビクトリア州の州首長は、「州の隔離規則は事前に全て伝えられているはず。それが入国の条件だった。ウイルスがテニスプレーヤーを特別扱いしないのと同様に、我々もテニス選手だけを特別扱いすることはできない」と断固とした姿勢だ。

大坂の“マスクなしのチーム写真”は、やや迂闊

 そのタイミングで、大坂が全員マスクなしのチーム写真を投稿したことはやや迂闊だった。

 メルボルンの選手は1日5時間に制限された練習に、一人しか同行させられない。入国できる帯同者も2人までという規則があった。全豪オープンのトーナメント・ディレクターであるクレイグ・タイリー氏は、「アデレードでもメルボルンでも同様の隔離が義務付けられる」と説明していたはずだが、待遇の差は歴然。ただ、大坂がそれを出さなければ何事もなく済んだというわけではないだろう。

 ジョコビッチが広々としたバルコニーでくつろいでいる姿や、セリーナがヒッティング・パートナーという名で同行した姉のビーナスも含めた大所帯でホテルに入る様子なども、ネット上で流れている。

イベント発表時から不満を語った選手も

 また、現実を目にするまでもなく、1月9日にイベントの概要が発表されたときから不満を語っていた選手もいる。たとえばフランスのジェレミー・シャルディだ。

「急に降って湧いたような話で不自然。彼らは1日5時間の制限を気にせず、ホテルのジムで好きなだけトレーニングができるし、外にも出られる。ほとんど普段通りの生活ができるんだから。まるで特別扱いのためのイベントだ」

 もちろん、彼らは<特別>である。そんなことは、皆わかっている。グランドスラムでも試合の時間帯やコートなど、ビッグネームの要望が優先されることは暗黙の了解だし、ツアーではスター選手に高額の出場料が支払われる。プロの世界だ。そのことを声高に非難する者などほとんどいない。しかし、非日常的な不自由さの中で、さらに存在する不公平は受け入れ難いものになる。

ジョコの行動に悪童キリオスが噛みつく

 ジョコビッチが選手の環境改善を要望する手紙を協会に送った行動も逆効果だった。要望書には「コート付きのプライベートハウスの手配」「各部屋へのトレーニング器具の配布」「食事の改善」「再度の検査の実施と、陰性の選手の隔離期間の短縮」などが書かれていたというが、のちにジョコビッチは「仲間の状況を思う善意だったが、自分勝手で恩知らずというひどい誤解を招いた」と釈明するはめになった。

 口の悪いニック・キリオスは「かっこつけの馬鹿」とあからさまに王者を非難したが、その一方で世界ランク44位のアルゼンチンのギド・ペラのように「行動してくれたジョコビッチよりも、何も発しないナダルとティームのほうが理解できない」と怒りの矛先を別に向ける選手もいる。

亀裂や分断はどうやって修復されるのだろうか

 こうした亀裂や分断はどう修復されていくのだろうか。あたたかいホスピタリティで選手の人気を集めていた全豪オープンを前に、心のあたたまらない話題が次から次へと湧いてくるが、大多数の選手はこの逆境を受け入れ、懸命に立ち向かっていると信じる。

 全豪オープンで2012年から2連覇したビクトリア・アザレンカは完全隔離下にあるが、「わずかでもできることがあるなら前向きでいられる」と語り、「コロナと戦うオーストラリアに敬意を表する」と厳しい措置にも理解を示した。

 ダニエル太郎も3便の中のひとつ、ドーハからの便に乗っていた。

 予選敗退からラッキールーザーとして本戦繰り上がりが決まったダニエルは、わずか3日ほどの間に相当なメンタルの乱気流を味わったに違いないが、頻繁にSNSを更新して隔離生活を伝え、「部屋にトレーニング器具をたくさん届けてくれたので、けっこうトレーニングはできそうです。ほかにもインタビューを受けたり、忙しくしているので全然元気です!」と笑顔すら見せていた。

1200人の外国人が入ったことへの逆風

 忍耐強く、ポジティブなムードに牽引されるように、政府や協会の方針を非難する類いの攻撃的な発言をした選手たちの中でも、撤回や謝罪、SNSのコメントの削除といった動きが広がった。

 厳しい入国制限のために、オーストラリア国籍を持っていながら自国に戻れずにいる人々がいる現実も、彼らを冷静にしたのかもしれない。この現状で、スポーツイベントのために1200人もの外国人が入ってきたことへの国内での逆風はおさまっていないのだ。

 全豪オープン終了まではまだ1カ月もある。この先、思わぬ波乱がまだ待っていそうだが、2021年最初の世界的なスポーツのビッグイベントに挑む人間たちの姿に、世界中の目が注がれている。

文=山口奈緒美

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