2021年のNFLアメリカン・フットボール王者決定戦、スーパーボウル(2月7日、フロリダ州タンパ)は、AFC王者カンザスシティ・チーフス対NFC王者のタンパベイ・バッカニアーズという組み合わせになった。

 1月24日に両カンファレンスの決勝戦が行われた直後から、このスポーツの花形ポジションの一つであるクォーターバック(QB)対決が話題になっている。昨季まで所属したペイトリオッツ時代に通算6度のスーパーボウルを制した43歳のトム・ブレイディ(バッカニアーズ)と、昨季のスーパーボウルを制した25歳のパトリック・マホームズ(チーフス)による「新旧対決」だ。

 なぜブレイディとマホームズのQB対決がフットボール界だけではなく、野球界でも話題になっているのか? それは、二人がかつてメジャーリーグのドラフトにかかった「元野球選手」だからだ。

メジャーからドラフト指名を受けるほど

 1977年生まれのブレイディがNFLにデビューした時、1995年生まれのマホームズはまだ5歳だったそうで、日本のプロ野球に当てはめれば、元ソフトバンクの斉藤和巳氏(1977年生まれ)とオリックスの山岡泰輔投手(1995年生まれ)が日本シリーズ第7戦で投げ合うようなものかも知れない(同じリーグなので有り得ないが、百も承知のナンセンスな想像なのでご了承頂きたい)。

 ブレイディは、メジャーリーグ史上最多の通算762本塁打を放ったバリー・ボンズの出身校でもあるカリフォルニア州サンマテオ市のジュニペロ・セラ高校出身。その頃には左打ちの捕手として活躍したそうで、卒業時にはモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)からドラフト18巡目(全体507位)指名されている。

 一方のマホームズは、テキサス州ホワイトハウス市の高校時代に遊撃手ながらマウンドにも上がり、16三振を奪ってノーヒッターを達成したことがあるそうで、「右投げ投手」としてデトロイト・タイガースから2014年のドラフトで37巡目(全体1120位)指名されている。

 ちなみにノーヒッター達成時に投げ勝った相手は、レッドソックスから同じドラフトで1巡目(全体33位)指名されて入団し、マイナー時代の2016年のオフに左腕クリス・セール投手とのトレードでホワイトソックスに移籍したマイケル・コペック投手。同投手は一昨年にデビューしている。

なぜ、野球を選ばなかったのか?

 これだけの成績を残し、多くの人が目指すメジャーリーグの球団からオファーを受けた二人だが、ブレイディとマホームズは共に、野球を選ばなかったのだ。

 ブレイディはミシガン大学に進学して、2000年のNFLドラフト6巡目(全体199位)でニューイングランド・ペイトリオッツに入団する。一方のマホームズはテキサス工科大学に進学して、2017年の同ドラフト1巡目(全体10位)指名でチーフスに入団している。

 両選手の指名順位を見れば分かるように、ブレイディはマホームズのような上位指名ではなかったので、同じように期待されていたわけではない。ミシガン大進学後には、ヤンキースから高校卒業時の1988年にドラフト3巡目(全体97位)指名を受け、6年1700万ドルという破格の契約をした「スポーツ二刀流」のドリュー・ヘンソンと正QBの座を争い、大事な試合の途中に2学年下のヘンソンと交代させられる屈辱も味わっている。

トム・ブレイディ ©GettyImage

 マホームズは大学2年生までは野球選手としての出場記録があるそうだが、3年生からはフットボールに専念したという。興味深いのは彼の実父であるパット・マホームズがプロ野球選手だったという事実だろう。

父は横浜でもプレーした“プロ野球選手”

 マホームズの父親はMLB歴11年で6球団を渡り歩き、1997年からの約2年は日本プロ野球の横浜(現DeNA)ベイスターズでプレーした投手だ(横浜では2年で3勝8敗、防御率5.34)。帰国後の1999年にはメッツに入団し、後に千葉ロッテの監督から米球界に復帰していたボビー・バレンタイン監督のもとで吉井理人氏(現千葉ロッテ投手コーチ)らと共にプレーして8勝無敗、防御率3.68のキャリア最高成績を残した。MLBでは通算42勝39敗、防御率5.47とあまり目立った成績ではないが、2009年まで米独立リーグでプレーするなど息の長い野球選手だった。

 他の数多くのメジャーリーガー同様、マホームズも現役時代は子供を職場(=野球場)に連れてくることが多かったそうで、2000年にメッツがワールドシリーズに出場した際には、当時の本拠地シェイ・スタジアム でメッツの選手たちに交じって打撃練習の球を追いかけているマホームズ少年の姿があったという。父マホームズは2018年、USAトゥデイの取材にこう答えている。

「(息子は)子供の頃、野球にどっぷり浸かっていたし、バスケもよくプレーした。(アメリカン・)フットボールっていうのは本質的に危険なものだし、なるべく遠ざけていたつもりだったが、彼(息子)は高校2年生になると急に興味を持ち始め、クォーターバックに挑戦したいと言い始めたんだ」

 息子は結局、高校時代に夏は野球、秋はフットボール、そして冬にはバスケットボールのポイントガード(PG)としても活躍し、「スポーツ三刀流」になったという。やがてプロ・フットボーラーを選択することになるのだが、「野球かバスケをやらせたかった」と公言している父親に「彼の選択は正しかったと認めざるを得ない」と言わしめている。

“スポーツ三刀流”が生んだ才能

 息子の方もデビュー当時から、「他のスポーツをしたことが今の成功に繋がっている」と幾つかのインタビューで語っている。

「(アメリカン・フットボールでの)僕の即興っぽいプレーの多くは野球からきていると思う。ずっと遊撃手だったので、ダイヤモンドのあちこちから送球をしていた。いつだって脚を使って投げていたし、その場で動かずに投げるようなこともなかったからね」

 とんでもない距離のタッチダウンパスだけではなく、タックルしようと自分に襲い掛かってくる相手ディフェンスの動きを見ながらのパス。可能な限りパスを妨害しようと手を伸ばすディフェンスを交わすため、時にはサイドスローのように腕に角度をつける……。確かに彼の動きは時折、遊撃手が一塁や二塁へ送球する動作に似ていると感じさせる。

パトリック・マホームズ ©GettyImage.jpg

 野球だけじゃない。マホームズは米スポーツ誌、スポーツ・イラストレイテッドの2018年の取材にこう答えている。

「(マジック・ジョンソンのような)ノールック・パスをしてるつもりはないんだけど、本能的にやっちゃうんだ。自分の視線を逸らすことでディフェンダーを欺くことが出来ると瞬時に感じた時にね。自分がバスケでそういうプレーをやった経験からきているんだ」

意外と少なくない「スポーツ二刀流」

 ブレイディやマホームズのように、MLBとNFLの両方でドラフト指名される「スポーツ二刀流」、あるいは「三刀流」として有名になる高校生はそう多くないが、野球のシーズンが終わるとサッカーやバスケットボール、アイスホッケーなどを楽しむアマチュア選手は多い。それは基本的にリーグ戦主体で、それゆえにスポーツのシーズンが明確に決まっている米国ならではのことだろう。

 もちろん、マホームズやブレイディのような「二刀流」や「三刀流」の選手が必ずしも成功するとは限らない。実は米国でも近年、早くから一つのスポーツに専念する子供たちが増えているというリポートがある。それは複数のスポーツをすると怪我をするリスクも上がるし、一年中スポーツをすることで自然と高まる保護者のサポートが行き過ぎ、「燃え尽き症候群」にも繋がるからということらしい。

 それでも、「いろんなスポーツをできる環境がある」というのは重要だ。たとえば高校卒業時、野球でもフットボールでも「ブレイディ以上の逸材」と考えられていた前述のヘンソンは、三塁手としてMLBでわずか8試合の出場に終わった後、野球界から引退してフットボールに完全転向。NFLダラス・カウボーイズなどでプレーした。残念ながらフットボールでも大成はできなかったが、早くから野球に専念していたらフットボールでプロになることはなかっただろう。

 子供たちがいろんなものに挑戦して成長していく段階で、取捨選択ができる環境があるというのは、決して悪いことではない。マホームズが父親の本心とは違うスポーツで頂点に立てたように、大事なのは保護者や指導者、あるいは競技団体や大会の主催者が子供のモチベ―ションを挫くような接し方にならないサポートをすることではないか。「野球かゼロか」ではなく、「どのスポーツが自分に合ってるんだろう?」と探求することが大切ではないかと思う。

文=ナガオ勝司

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