順位戦が大詰めを迎えている。5つあるクラスのうち、藤井聡太二冠が所属するのは上から3つめのB級2組。8連勝とトップを走り、残る2戦のうち1勝すれば、「鬼の住処」と称されるB級1組に昇級する。

 B級2組は実力派の中堅がそろう。藤井二冠がラス前に対戦する相手は、窪田義行七段。48歳の個性的な振り飛車党で、対局に自前の空気清浄機を持ち込むなど入念に準備する棋士としても知られる。B級2組に12期在籍し、これまでも最有力昇級候補のタイトル保持者をくだしてきた。

 現在、窪田七段は4勝4敗。残る2戦を連勝すれば規定により降級点を消すことができるが、連敗すると2つめの降級点がついてC級1組に陥落しかねない。10代の覇者に挑む中堅棋士の意気込みを聞いてみた。(全2回の前編/後編へ)

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「あー、きたか」

――藤井聡太二冠とは初対戦です。順位戦の開幕は6月で、春にリーグ表が送られてきます。藤井聡太二冠(当時は七段)と当たっているのを知ったとき、率直にどう思いましたか。

窪田義行七段(以下、窪田) 「あー、きたか」と感じました。義務意識が目覚めましたね。

――義務意識、ですか?

窪田 責任感ともいえます。将棋界の話題になる対局で、その勝敗は将棋史に残る棋士の歩みに影響します。それに関与できるのは権利意識、つまりどう挑んで結果を呼び込むかは自分次第ですけど、恥ずかしくない将棋を指さないといけない義務意識があります。

――これまでの順位戦でもタイトルホルダーと対戦し、当時の渡辺明竜王や糸谷哲郎竜王を負かしてきました。それと比べて、藤井戦はどうでしょうか。

窪田 若きタイトルホルダーだから頑張ろうという気持ちは同じですが、今回は動画中継やネット記事、SNSもあって反響とそれへの意識が違います。

藤井二冠が8連勝するのは予想していましたか?

――藤井二冠と年が近い若手なら、ライバル意識でメラメラと闘志を燃やすかもしれません。窪田七段の義務意識というのは、中堅ならではですね。

窪田 意気込みは年相応、キャリア相応になっていく気がします。これは様々なスポーツでも同じでしょう。もちろん自分の根幹は変わりませんし、対局が始まればなりふり構わずに指します。それでも、権利意識が気づかないうちに義務意識でコーティングされている気がします。特に今回は自分の勝負というよりも、相手の勝負です。勝負師としてはガツガツしていなくて物足りないかもしれないですが、注目される舞台にふさわしい将棋を指さないといけないという気持ちをモチベーションにしています。

――藤井二冠は残る2戦のうち1勝すれば昇級決定ですし、窪田七段に敗れても同日中に競争相手の星次第では昇級が確定します。藤井二冠が8連勝するのは予想していましたか。

窪田 8連勝ぐらいはするかなと。むしろ1月までに昇級が決まらないのは意外でした。しかし、自分の所で来るという予感もありました。

――窪田七段はここまで4勝4敗。残る2戦を連勝すれば、勝ち越しで降級点が消えます。

窪田 自分がもうちょっとねぇ。降級点を消して昇級の目を残しつつ、藤井戦を迎えるつもりではあったのですが(苦笑)。恥ずかしくない将棋を指さないといけないし、私もあと1勝しないと降級点が心配なので自分の首を守らないといけない。皆さんから「そんな棋士が藤井君の対戦相手でいいのか」という声が聞こえてくる気がしますけど(笑)。

©Tomosuke Imai

対局用クッション2種類、車用の空気清浄機……

――対局は朝10時に始まり、決着は深夜に及ぶことも珍しくありません。長時間の戦いをどう乗り切るかは全棋士にとって課題です。窪田七段は対局用クッションから空気清浄機などを持ち込み、まるで登山にいくかのように大荷物を抱えていますよね。

窪田 対局グッズに変化はありますが、年を追う毎に増えており、老化傾向にも対応しています。対局用クッションは2種類持っていますが、正座用の座布(サポートクッション)だけで充分です。大きいので持っていくのは大変ですが、腰の負担が軽いです。もうひとつはクロワッサンのような形をしていて、股に挟んで使います。普通に座るよりも上半身の体重が下半身に分散して楽ですが、整体師から「ガニ股になってよくない」とアドバイスを受けたので、最近は使っていません。

――連盟にも座布団は用意してありますが、そもそもなんで持ち込もうと思ったんですか。

窪田 10年前ぐらいでしょうか、ほかの棋士がクッションを使ったという記事を拝見したのがきっかけです。日本囲碁界だと座椅子を使うそうですね。

――コロナ禍になる前から空気清浄機を持参されていますよね。きっかけは何ですか。

窪田 これも10年ぐらい前に、若手の阿部健治郎七段が「対局室の空気はあまりよくないんじゃないか」と話していたのを聞いたからです。

――いまはコロナ対策で換気に気を付けているとはいえ、以前の対局室は熱気がこもりやすかったですよね。

窪田 私が持参しているのは、車用の空気清浄機です。静音タイプで、袋をかぶせればさらに音を遮断できます。モバイルバッテリーも必須です。

パルスオキシメータも使うんですか?

――今日は対局グッズを色々と持ってきていただきました。パルスオキシメータ(指先に当てて、動脈血酸素飽和度と脈拍数を測定する機械)と体温計も使うんですか。

窪田 自分の状況を客観的に見ることができますからね。体温計はたまにです。パルスオキシメータを購入したのは、2018年にドワンゴさんの峰王戦で将棊頭山(中央アルプスにあり、標高2730m)に登ったのがきっかけです。対局中に脈拍も変動するので、酸素飽和度の数値を見れば状況が分かります。

――酸素缶は?

窪田 登山に持参しているものです。対局でもしんどくなる前に先手を打つために使いますけど、これはかなり音がしますので、対局室の外で迷惑がかからないように気を付けています。使えばなんとなく冴えた感じがしますけど、まあ気休めですねぇ。

「居飛車穴熊を相手にすることもありますから(笑)」

――お守りに熊鈴がありますね。

窪田 振り飛車党の天敵、居飛車穴熊を相手にすることもありますから(笑)。音が鳴らないようにちゃんとしまっています。ほかにも身内やファンの方からいただいたお守りや窪田家の家紋、鳩森神社で拾った榧(カヤ、将棋盤の材料)の実などを持っていきます。まあ正直、気休めですね。ゲン担ぎという程ではありません。

――扇子や目薬は、ほかの棋士もよく持ってきていますね。

窪田 今日の扇子は師匠の花村元司九段、佐藤康光九段のものです。日常品の小物も多いですね。最近はコロナ禍でマスクをつけるものですから、ヒノキの精油をたまにマスクに振りかけて気分転換しています。

――以前、スズメ蜂ウォーター(スズメバチの蜂蜜漬けをドリンクにしたもの)や甘酒を拝見しました。対局中のお菓子や飲み物も気をつけているんでしょうか。

窪田 普通にスーパーや自然食品店で買ったもので、お菓子はチョコやグミ、乾燥果実などです。登山の行動食に使えるような、手が汚れずにポロポロと崩れないものが多いでしょうか。まあ適当ですけど、対局には少しプレミアム感があるものを選ぶようにしています。スズメ蜂ウォーターを飲んでいたのは、栄養ドリンクよりも非日常感があるじゃないですか。最近はトマト甘酒が好みでして、炭酸水で割って飲むことが多いです。

――以前はお酢を持参していましたよね。

窪田 もう最近は持っていかないですね。家で飲めばいいかと気づいたので(笑)。

――食事はどうですか。

窪田 ここ数年は朝にカレー、夜は中華料理が多いです。お昼は抜いてカロリーメイトにしています。しっかり昼食をとると眠くなり、カフェインで押さえ込もうとしても限界があるからです。お昼をしっかり食べないと戦えないという固定観念をなかなか捨てられなかったですね。お菓子を食べるのはしっかり噛んで眠気を払う意味もあって、グミなら咀嚼回数を稼げます。ま、食べたいものを食べるだけなので適当なんですが(笑)。

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文=小島渉

photograph by Imai Tomosuke/BUNGEISHUNJU