Jリーグ草創期、全国的な人気を集めたヴェルディ川崎。三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏……スター軍団で異色な存在だったのが石塚啓次だ。03年に引退。いまはスペインに移住し、うどん屋を営む。その石塚に聞いた現役引退までの話、そしてリーガで活躍する日本人選手のこと。(全3回の3回目/#1、#2へ)

 幼少期、ディエゴ・マラドーナのプレーが好きで、よく見ていた。

 ただ、若い頃から映画を見ることが好きだった石塚啓次(46歳)がマラドーナ以上に影響を受けたのは、映画界の鬼才とも言われるクエンティン・タランティーノだった。

「映画はいまでもよく見る。お気に入りの1本を挙げろと言われたら難しいけど、タランティーノの『パルプ・フィクション』(米国)とかは好きやった。音楽やファッションを含めてカッコよさがあったし、(音楽やファッションへの)興味の入口が映画だったというか。ただ、人生を変えたとか、そんな大げさなもんちゃうけどね(笑)」

 94年公開の『パルプ・フィクション』はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、アカデミー賞でも脚本賞を受賞した名作。セクシーでクールなギャング映画のなかにバイオレンスとユーモアが同居する世界観は、どこかこちらが勝手に想像する石塚のイメージともぴったり一致する。

 40代以上の読者なら映画ファンじゃなくとも、ベッドにうつ伏せ状態の女優ユマ・サーマンがタバコ片手に、こちらを睨むポスターを1度は見たことがあるのではないだろうか。

「ロールス・ロイスのエンジンが火を吹いた」

 車も好きだった。ネット上ではヴェルディ時代の愛車は高級車で知られるロールス・ロイスだったとの情報もある。

「ロールス・ロイスは駒沢通りを走ってたらエンジンが火を吹いてもうて。中古で200万で買って100万は取り返したけど、乗ったのは3、4回だけ。初めての愛車は、80年代のベンツのワゴン。次がジャガーのXJ-Sで、同時に60年代のシボレーのサバーバンというでっかいやつにも乗って。それからダイムラーの4ドアのダブルシックスに乗っていたことも」

 バルセロナに渡りうどん屋を営みながら現在も「BUENA VISTA」というアパレルブランドを手がけているが、その独特なファッションはもちろん、映画でも車でも、時代や周囲に流されることなく自分好みのモノをみつけ、愛してきたのが石塚流なのだろう。

シンガポール、アルゼンチン、イタリア……現役続行の道を探した

 ヴェルディに所属していた印象が強い石塚だが、02年7月に退団したあとは、03年1月から川崎フロンターレ(出場機会なし)に、同年9月からは名古屋グランパス(リーグ3試合に出場)に、いずれも短期間ながら所属していた。

「そこは、やっていたうちに入らないけどね。どっちも3か月でクビ。グランパスは、ヴェルディで一緒だったネルシーニョ(監督)が最後に呼んでくれて。フロンターレは1年契約だったのが3カ月で辞めてくれって言われたけど、なんでか理由はようわからんかった(笑)」

 03年限りで29歳で引退。その後アパレル業界で注目を浴びたことなどを思えば、徐々にサッカーから興味が離れていってしまったようにも映るが、本人はそんな邪推を否定する。

 事実、石塚は02年以降、シンガポールやアルゼンチン、パラグアイやイタリア、クロアチアに渡って練習参加やテストを繰り返すなど、現役続行の方法を模索していたそうだ。

「シンガポールはたまたま旅行やったけど、現地にヴェルディ時代の後輩がいて、あるチームの練習に1日だけ参加したら合格って言われて。でも、シンガポールでやるのもなんか違うと思って。アルゼンチンでもやってみたくて現地に行った。あとは、イタリアのペルージャ。そのときは外国人枠の登録問題で、契約できないのはわかってたけど航空チケットも用意したあとやったので、スイスかオーストリアの合宿だけ参加させてもらい……。いい感触もあったんだけど、しゃあないといえばしゃあない」

「こう見えて意外と引っ込み思案なんで」

 契約には至らなかったが、チャンスがあれば海外でプレーしてみたい、そんな思いが強かったと振り返る。

「ただ、性格的にもそうだし、すべての面で日本でしか無理だったということ。海外向きに見える? こう見えて意外と引っ込み思案なんでね(苦笑)」

 サッカーは見るものではなく、プレーするもの。コロナ禍でグラウンドが使えなくなる前は、毎週日曜日の朝に知人たちとボールを蹴っていた。

「基本、やるのが好きで教えたり見るのは興味がないというか。こっちでも試合を見たいと思ってバルに行くのは(バルサとレアルが対戦する)クラシコぐらい。カンプ・ノウに行くのはチケットをもらったときだけで、自分で買ってまでは行かない」

バルセロナの街で(撮影は2019年末) ©Daisuke Nakashima

「アジア人はナメられている」

 サッカー情報はニュースでチェックする程度という石塚だが、日本サッカーについてはどう見ているのだろうか。スペインでは現在、日本代表候補でもある久保建英(ヘタフェ)、岡崎慎司(ウエスカ)、乾貴士、武藤嘉紀(ともにエイバル)、柴崎岳(2部レガネス)、安倍裕葵(バルサB)らがプレーしている。欧州のなかでも文化的に違いの大きいスペインで、日本人選手が活躍するのは、難しいとも言われて久しいが……。

「まず、(活躍するには)しゃべれなダメでしょうね。言葉ができてナンボっていうか。その点で久保選手はほぼネイティブやし、スゴい。あと、いちばんリーガにハマってるのは乾選手かな。彼が(17年に)カンプ・ノウでバルサから2点取った試合は、偶然スタジアムで観てたけど、あそこで日本人が点を決めるなんて想像できひんかったからね。

 エイバルはバスク地方の田舎のクラブで、ある意味でスペインっぽくはないところがいいのかも。バスクの人は、一般的なスペイン人に比べると他人のことを考えたり、真面目に働くイメージがあるし。(18年に)ベティスに行ったときは難しかったみたいやけど、(ベティスの本拠地)セビージャはバリバリのスペインって感じの場所やから。ああいうところで混ざってやるのは大変やと思う。サッカーに限らず、いまだにアジア人は舐められているし、人として見下されるようなところがあるからね」

「日本は民放でサッカーやった方がいい」

 石塚が現役として元気だった90年代、Jリーグはテレビの地上波でも頻繁に放送されていたが、いつからかほとんどの中継が有料チャンネルでの放送となり、サッカー好き以外の人の目に触れる機会は著しく減少した。そうしたことが日本にサッカーが文化として根付かず、いまひとつ成長しきれない理由ではないかという。

「スペインリーグも放送はほぼ有料チャンネルやけど、日本とはサッカーの歴史が違うから。日本の場合は民放でやった方がサッカー知らん人も見るやろし、その方がサッカー選手の地位も確立できると思うねんけどね。いまはたぶん普通の人は、Jリーガーが街を歩いていてもわからんでしょ。昔はヴェルディの選手がようとんねるずのバラエティ番組に出てノリさん(木梨憲武)らと一緒にサッカーとかしてたから、近所の定食屋のオバちゃんだって『なんか、見たことある』ってなってた。どこかに遊びに行ってもワーッて騒がれて、国民的スターじゃないけど、そやから頑張ろうってモチベーションになった選手はいっぱいいたと思う。

 いまは興味のある人しか見てない。でも、日本サッカーの底上げを考えれば、サッカー好きじゃないやつをどれだけ巻き込むかって重要ちゃうかな。それでこそ文化としても広がっていくような気がするねんけどね」

 最後に石塚にとってサッカーとは何かと聞くと、趣味かな、と笑った。

「ただ好きなスポーツであって、それが仕事になったというやつ。で、仕事としては終わったけど、いまだにやっているということ。そうとしか言いようがない。飲食業は別に好きちゃうし、サッカーをもっとやれていたらって思いはあるよ」

(【初回を読む】「ラーメン屋のほうが儲かったかも」“ヴェルディ川崎の天才”石塚啓次46歳、スペイン移住の厳しさを語る へ)

文=栗原正夫

photograph by J.LEAGUE/Daisuke Nakashima