雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は2月20日に85歳となる長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督)にまつわる5つの言葉です。

<名言1>
川上(哲治)さんがそうだったように、監督はある意味、非情な別世界の人間にならなくちゃいけない。
(長嶋茂雄/Number964号 2018年10月25日)

◇解説◇
 勝負に温情は不要だ。選手は道具であり、道具への温情は監督にとって捨て去るべき不要な感情である、と長嶋は説いた。

 そんな長嶋も、現役時代は冷徹な監督を嫌っていたという。引退後すぐに就任した第1次政権の時は川上が築いた確率野球を手放し、チームを再編。「選手に慕われる監督になりたい」という情が采配にもにじみ出て、75年シーズンは球団創設以来初の最下位に終わっている。翌年から「勝つ野球」にシフトしてリーグ連覇を達成するも、その後は優勝から遠ざかり、80年に退任。最後のシーズンは「やっぱり長嶋を作りたいですよ。もう一人の長嶋を」と呟いたほど傷心していたという。

 第2次政権が始まるのはそこから13年後の1993年。長嶋はこの失敗を糧に、非情な名監督へと成長していくのだった。

2001年をもって監督業から勇退。後を原辰徳に託した (c)Takuya Sugiyama

松井秀喜との巡り合わせ

<名言2>
あなたは、間違いなく、現代で最高のホームランバッターでした。
(長嶋茂雄/Number PLUS 2013年6月20日発売)

◇解説◇
 1992年10月、巨人の監督復帰が発表された長嶋。それから1カ月後に開かれたドラフト会議で、いきなり超大物を引き当てた。4球団競合の末、交渉権を獲得した星稜高校・松井秀喜である。満面の笑みでガッツポーズを見せた長嶋は、期待を込めて色紙にこんなメッセージを送っている。
「松井君、君は巨人の星だ。ともに汗を流し王国を作ろう。熱い期待を込めて待っている」

 熱いエールを贈られた松井も、プロ入り後初のキャンプからいきなり場外弾を放つなどスケールの違いを見せつけ、瞬く間に球界を代表するスラッガーへと駆け上がっていった。長嶋も第1次政権ではなし得なかった日本一に2度も輝くなど、松井とともに充実の時間を過ごした。

 それから21年後の2013年4月、長嶋と松井は揃って国民栄誉賞を受賞。愛弟子の松井に対し、最高の賛辞を送った。

松井秀喜が滞在していたニューヨークでの対談 (c)Naoya Sanuki

「ウチは毎試合が巨人戦」

<名言3>
ヨソは5試合に1試合。ウチは毎試合、毎試合が巨人戦です。5倍のエネルギーが必要です。
(長嶋茂雄/Number441号 1998年3月26日発売)

◇解説◇
「大型補強しすぎだ」との声に応えて、長嶋が報道陣へ発した言葉である。翌日の新聞の見出しを見た他球団の関係者は「一本取られた」と思ったに違いない。こういった報道を利用した戦略(?)もミスターの魅力である。

 語り継がれる伝説の「10.8決戦」でも、長嶋節は炸裂していた。

 決戦の2日前の94年10月6日、巨人は優勝マジック1で臨んだヤクルト戦に逆転負けを喫したことで、セ・リーグの優勝争いは最終戦までもつれることになった。中日と69勝60敗でピタリとならび、同一勝敗数の2チームによる優勝決定戦はプロ野球史上初。報道陣に迫られた指揮官・長嶋は、大きく見得を切った。

「面白いじゃないですか。最後の最後に雌雄を決するんだ。いいでしょう!」(Number790号より)

 そうして迎えた10月8日。鬼気迫る言動で「俺たちは勝つ!いいか、もう1回言うぞ。俺たちは勝つ!勝つ!!」と選手たちを鼓舞した長嶋は、槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の3大エースを次々とマウンドへ投入。総力戦で勝利を掴み取った。大舞台になるほど燃える長嶋の本領発揮となった。

報道陣とのやり取りもユーモアに溢れていた (c)Kazuaki Nishiyama

ミスターが問いかける「野球の醍醐味とは何か?」

<名言4>
投手同士の闘いは、ライバルとはいいません。
(長嶋茂雄/Number228号 1989年9月20日発売)

◇解説◇
 1987年に歴史に残るパ・リーグ新人王争いを演じた近鉄・阿波野秀幸、日本ハム・西崎幸広。両リーグ最多となる201奪三振を記録した阿波野に記者投票で軍配が上がったが、西崎には「パ・リーグ会長特別賞」が贈られる異例の事態となった。

 その後も、2人のエース争いは注目の的に。しかし、長嶋は「食うか食われるかの投打の闘いがベースボールの醍醐味」と言って興味を示さなかった。

「だって、投手対投手の争いというのは、数字のうえでの闘いでしょう」

 幾多の名投手と対峙し、数々の記録を残してきた自負がそう言わせたのだろう。

自宅で素振りをする長嶋茂雄 (c)Masahiko Ishii

数字には現れないもの

<名言5>
長嶋だけは何を狙っているのかわからなかった。
(稲尾和久/Number514号 2001年1月11日発売)

◇解説◇
「マウンドから打者を見ると、一瞬にその打者の狙い球がわかった」

 こう話したのは、昭和30年代に「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた西鉄ライオンズのエース稲尾だ。

「打者の目を見、体の動きを見、その反応によって長所や弱点はどこにあるのか。あるいは狙っているコースや球種は何か。そういうことが一瞬に重なり、頭の中でパッ、パッとひらめくものを大切にしましたね」

 現代のようにデータを重視する時代ではなかっただけに、その研ぎ澄まされた感覚こそ、一流選手の証であった。

 しかし、そんな稲尾が敵わなかったとお手上げだったのが長嶋茂雄だった。

自宅で素振りをする長嶋茂雄 (c)Masahiko Ishii

 相手のリズムを狂わす奇想天外の発想や野性味あふれるボールへの反応、そしてここ一番というところで打順が回ってくる運。「常人を超える存在」である長嶋に最後まで手を焼いたと現役生活を振り返った。数字には現れないミスターの凄さがわかる証言である。

文=NumberWeb編集部

photograph by Koji Asakura/Masahiko Ishii