プロ野球で年間最も活躍した先発完投型投手に贈られる「沢村賞」。その由来となったのは伝説の天才投手、沢村栄治だ。夢見た慶應義塾大学進学を断念して野球選手になった彼は、親族の借金や度重なる徴兵に苦しみ、27歳の若さで戦死した悲運のエースでもある。
そんな沢村栄治の一生を綴った『沢村栄治 裏切られたエース』(文春新書)より、公私ともに沢村の絶頂期だった1937年の大阪タイガース戦をもとに、現在の日本球界の大投手と比較しつつ、その凄みを描いた一節を抜粋する(全2回の2回目/#1はこちら)。

 こうして、職業野球2番目となるノーヒット・ノーランを、初の達成に続いて宿敵であるタイガース戦で成し遂げた栄治だったが、この快挙の日の夜、息抜きに出た銀座からの帰り道で20歳の青年の運命を大きく変える出来事があったと、鈴木惣太郎がその著書『不滅の大投手沢村栄治』に記している。

 いつの頃からか、東京での試合になると必ずバックネットに近い一塁側スタンドの決まった位置に1人座る若く美しい女性の姿が巨人軍ナインの間で話題になっていて、栄治も少なからず意識していたのだが、その女性が突如目の前に現れたのというのだ。

「銀座でも散歩して早く宿舎ほてい家に帰って休養をとるのがよいと思いついて、4丁目の角から京橋の方へ引きかえそうとした。そのとき彼の目の前にさっと現われた麗人がいた。沢村投手はその瞬間錯覚にとらわれているのではないかと思って、もう1度目をみはって凝視した……が、たしかに、間違いなく“一塁スタンドの令嬢”である。(中略)“沢村さん今日はお目出とう……記念にこのハンド・バッグの裏にサインして下さい……”と、少しもはばかるところもなく、正面切って申し出た……。(中略)沢村投手は、震える手でやっとサインを終えると、万年筆とハンド・バッグを彼女の方に押しやるようにして逃げ出した」

 これが、栄治の短い生涯の伴侶となる酒井優との出会いだったという。その翌日の試合にも、彼女の姿は一塁側スタンドの定位置にあった。

 この頃から、徴兵検査を受ける7月までの3カ月弱の期間が、栄治の投球の絶頂期といえるだろう。

栄治の高速球には、当たれば死ぬと思わせる凄みがあった

 5月5日、新装なった西宮球場でのこけら落としの一戦に先発した栄治は、東京イーグルスを3安打、4奪3振、4球1で、許したランナーが4人だけという快投で完封した。

 2日空けた5月8日には、このシーズン好調の阪急戦に先発して、この試合も3安打、7奪3振、4球3で、味方エラーによる1失点に封じてチームの2対1の勝利に貢献した。

 この試合の栄治の球威がいかにすさまじかったか――。ゴロアウトが当たりそこねのピッチャーゴロが3つに、振り遅れの一塁ゴロがひとつだけ。あとはすべて三振とフライアウトだが、フライアウトのうち6個がファウルフライというのだから、ほとんどの打者が球威に押し込まれて、まともな打球が前に飛ばなかったのがわかる。

 近年可能になった膨大な野球データの解析から、投手がアウトを取る確率が高いのは、1番が三振、2番が内野フライ、3番が内野ゴロであるから、この試合の栄治の投球は、相手に得点を与えない理想的なものだったことがわかる。

 この頃の栄治の投球をセカンドから見守っていた三原は、

〈沢村の高速球は、もし当たれば死ぬと打者に思わせる凄みがあった〉と証言している。

栄治による連勝が必須のピンチに起きた事故

 春のリーグ戦は、終盤に至って総合力に勝る大阪タイガースが首位を走り、復調した栄治を中心とする投手力の巨人が2位で追走する構図となっていた。

 各チーム8試合総当たりのうち、巨人とタイガースの対戦は、6試合を終えて3勝3敗の5分。巨人の3勝はいずれも栄治が勝利投手になっており、相変わらずタイガース打線を抑えられるのは栄治1人という構図がこのシーズンも続いていた。

 両チームは、首位タイガースが1.5ゲーム差のリードを持って最後の直接対決2連戦をむかえることになった。巨人が逆転するにはここで2連勝するしかなく、逆にタイガースはひとつでも勝てば、リードを保ったまま巨人以外のチームとの最終盤の戦いに臨むことができるという圧倒的に有利な状況だった。

 栄治の連投による連勝が必須の状況だったが、その栄治に事故が起きた。タイガースとの決戦を翌日に控えた6月25日、対名古屋軍の試合前の練習を手伝っていた栄治は、味方の打球を右眼に受けてグラウンドに昏倒した。

「監督、明日は何が何でも投げますから」

 この日の先発はスタルヒンだったので栄治はすぐに宿舎のほてい家に戻り、腫れあがって開かなくなった右眼に冷えた馬肉を当てる応急処置をとった。

 名古屋との試合を終えた後、心配して宿舎の栄治の部屋まで様子を見にきた藤本に、

「監督、明日は何が何でも投げますから」

 栄治は、そう直訴したという。気力、体力ともに充実していたのだろう。

 6月26日、1.5ゲーム差で迎えた巨人とタイガースの首位攻防の初戦は、巨人が栄治、タイガースは若林という両エースの先発で始まった。

 1回表のマウンドに立った負傷あがりの栄治は、ヒットと四球に味方のエラーが重なって、自責点0ながらいきなり3点を失ったものの、2回からは立ち直って、9回までの8イニングを3安打、無四球、無失点に抑えて味方の反撃を待った。

 一方、手負いのエースの力投に奮起した巨人打線は、若林から小刻みに5点を取って逆転に成功し、巨人が5対3で天王山の初戦に勝利をもぎ取った。

 これで、タイガースとのゲーム差は0.5ゲームに縮まり、明日の試合に勝てば首位が入れ替わるところまでこぎつけたのだった。

 その晩、栄治の体調を気遣いながら連投を打診した藤本に、栄治は笑顔で、

「投げさせてください。ど真ん中に投げても打たれない自信があります」

 そう答えたという。

巨人・タイガース戦の天下分け目の一戦には立ち見客も

 翌日の第2戦、巨人が勝てば首位が入れ替わり、タイガースが勝てば再び突き放して優勝に大きく近づく大1番は、タイガースを相手に2度の無安打無得点試合を達成している日本一の投手・沢村栄治と、常勝石本秀一が打倒沢村を掲げて鍛えに鍛えてきたダイナマイト打線が激突した初期職業野球の白眉といえる試合になった。

 人気の巨人・タイガース戦、しかも勝った方が首位という天下分け目の一戦とあって、洲崎球場は開場以来最高となる大観衆で埋まった。内野席はびっしりと満員で、最後列には立ち見の客が並んだ。

 タイガースの先発は、予想通り西村幸生だった。宇治山田出身の同郷のライバルで、全球団がスカウトに走った前年の大学ナンバーワン投手だ。

 午後1時に始まった試合は、栄治の快速球、西村の投球術ががっぷり4つに組んだハイレベルな投手戦となり、4回まで互いに0が並んだ。

栄治を倒すべく束になったタイガースのエースたち

 5回表、巨人は先頭の7番筒井がライトオーバーの二塁打で出塁。続く8番内堀の三塁前バントが内野安打になって無死一、三塁と初めてチャンスを迎えた。

 この場面でベンチを出たタイガースの石本監督は、好投していた西村を諦め、ライトを守っていた景浦をリリーフに送った。

 ライトの守備位置からのっしのっしとマウンドに上がった景浦は、既定の投球練習8球を投げただけで、9番の栄治の内角にいきなりシュート気味の豪速球を投げ込み、振り遅れのサードゴロに打ち取った。

 続く1番呉も球威に押されたセカンドゴロで三塁ランナーの筒井は動けず、2番水原もレフトフライに打ち取られて、巨人は絶好の先制のチャンスをタイガースの継投に封じられてしまった。

 ここからは、栄治の快速球と、景浦の剛速球との投手戦になった。巨人が栄治1人に試合の帰趨を託しているのに対して、タイガースは西村から景浦、リードを奪えば若林とエース3人が束になって栄治を倒す総力戦を挑んできたのだ。

 栄治は、1人黙々と投げ続ける。この日はセンターからホームに向かって強い風が吹いていて、その風に乗って栄治の超速球は更に勢いを増し、タイガースをヒット2本とほぼ完璧に抑え込んでいく。一方の景浦もトルネード気味のフォームから投じる剛速球で一歩も譲らず、試合は0対0のまま延長戦に突入した。

最終回となる12回表、試合がようやく動く

 この日は、第2試合として大東京軍対名古屋軍戦が組まれていたので、9回を終えたところで、「この試合は延長12回で打ち切りとなります」という場内アナウンスが流れて、観客からいっせいに不満の声があがった。タイガースは引き分けでも首位をキープできるが、巨人が逆転するためには勝利が必要だった。

 10回、11回と無得点が続き、巨人は最終回となる12回表に先頭の8番内堀が四球で出塁。9番の栄治がバントで送って1死二塁のチャンスを掴んだ。

 1番呉の代打の平山は一塁ファウルフライに倒れて2死。2番水原がサードに内野安打して2死一、三塁とチャンスを拡げた。この場面で3番の三原が、やや疲れのみえる景浦から左中間を破る会心の二塁打を放って、ついに巨人が土壇場で待望の1点を先制したのだった。

 12回裏のタイガースの最後の攻撃は1番からの好打順。1点のリードをもらった栄治は、1番松木をライトフライ、2番藤井をセカンドゴロ、3番の藤村もセカンドゴロと、簡単に三者凡退に打ち取ってゲームを終わらせた。

 結局、栄治は延長12回を1人で投げ切って、タイガース打線を3安打、無四球、8奪三振と完璧に封じてみせて、藤本の狙い通り1対0という僅差の勝利を巨人にもたらしたのだった。

 栄治を相手にして2戦2敗。これだけやっても勝てないのか――、全員が束になってもまだ勝てないのか――。タイガースナインのショックは大きかった。

 春季リーグは、洲崎での2連戦に連勝した巨人がタイガースを逆転して首位に立ったが、まだリーグ戦は残っていた。両チームの差はわずかに0.5ゲーム。直接対決はもうなくなったが、タイガースの総合力をもってすれば十分に再逆転は可能だった。

 だが、以後のタイガースは精彩を欠いた。最弱チームである大東京軍に5対9で敗れるなどして、巨人を抜き返すことができず、そのまま巨人の春季リーグ優勝が決まったのだった。

洲崎球場跡

ほとんど議論もなく、初代の最高殊勲選手に栄治が選ばれた

 1937年7月14日、日本職業野球連盟の本部で初の最高殊勲選手を選ぶ会議が開催された。

 審判部長、公式記録員、東京運動記者クラブ代表者、大阪運動記者クラブ代表者が選考委員となり、勝利数、防御率、奪三振、勝率1位の巨人の沢村栄治、首位打者、本塁打王のタイガース松木謙治郎、セネタースの守備の名手・苅田久徳の3選手が、それぞれ投手、打者、守備者の代表として候補に選出されたが、ほとんど議論もなく、満場一致で栄治が初代の最高殊勲選手に選ばれた。優勝チームを牽引した不動のエース、そして最終盤のタイガースとの天王山での2連投2連勝が高く評価された当然の受賞だった。

楽天・田中将大の歴史的成績と同等の成績を半年で

 この春季シーズンの栄治の成績がすさまじい。

 チーム試合数56のうち30試合に登板、完投24試合、うち完封7試合、ノーヒット・ノーラン1試合、24勝4敗、勝率8割5分7厘、投球回数244回、奪三振196個、防御率0.81、WHIP 0.84。

 これは、現代の沢村賞の選考基準である、

〈25試合以上登板、10試合以上完投、15勝以上、勝率6割以上、200投球回以上、150奪三振以上、防御率2.50以下〉と比較しても、すべての基準をはるかに凌駕する素晴らしい成績だった。

 因みに、日本プロ野球史上に燦然と輝くシーズン24勝無敗という驚異的な成績をおさめた2013(平成25)年の楽天・田中将大の数字は、チーム試合数144試合中28試合に登板、完投8試合、うち完封2試合、24勝0敗、勝率10割、投球回数212回、奪三振183個、防御率1.27、WHIP 0.94だった。

 栄治は、田中が1年間で成し遂げた歴史的成績とほぼ同等かそれ以上の数字を、わずか半年で達成したのだった。

沢村記念碑旧墓碑(著者撮影)

 職業野球の初代最高殊勲選手に輝いた栄治は、このとき20歳5カ月。これが、栄治の短い投手生命の絶頂期の終わりになるとは、本人も、周囲も、誰も思わなかったに違いない。

【初めから読む】沢村栄治の“速球伝説”を検証…なぜ打者は「胸元までホップする」「球が二段階に浮き上がる」と“錯覚”したのか へ

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文=太田俊明

photograph by Digital Mix Company.