2月24日から3月7日にかけてドイツ・オーベルストドルフで開催されたノルディックスキー世界選手権。

 同大会で、世界選手権10大会連続出場を果たした選手がいる。

 クロスカントリースキーの石田正子だ。

 最初に出場したのは2003年、イタリア・バル・ディ・フィエンメ大会。世界選手権は2年に1回行われ、石田の10大会連続出場は、つまり19シーズンにわたり、日本代表として第一線にいることを意味している。クロスカントリースキーは選手寿命が他の競技に比べ相対的に長いとはいえ、石田が代表であり続けたこと、しかも日本の中心選手として存在感を示してきたことは、驚嘆に値する。

「特にそんなに、(長期間継続することができた)原動力みたいなものはないですけどね。いっぱいいっぱい頑張っていないので燃え尽き症候群になっていないからできているんじゃないでしょうか」

 昨年11月に40歳の誕生日を迎えた石田本人は、淡々とそう語る。帰国後、新型コロナウイルスの変異株が広がりつつある懸念から3日間はホテルの部屋に完全に隔離。その後はこれまで同様の形式で、計2週間の隔離生活を過ごしていた。

40歳、10回目の世界選手権で今なおチームの柱

 今回の10回目の世界選手権でも、チームの柱であった。他の女子3人の代表は、1人が2度目、残る2人は初出場。その3選手が、よくても30位代、40位代以下の順位にとどまる中、石田は出場した個人3種目で日本勢最上位。リレーでも主軸となった。

 とりわけ、最終種目となった30kmクラシカルは強い印象を放った。

「(その前の種目だったリレーのときから)体はよく動いていました」

 そう振り返る石田は、気温が高く、しかも日なたと日陰に雪質が分かれ、難しいコンディションの中、好ペースでレースを進め、一時は6位につける。終盤、他の上位の選手などが転倒した下りの地点で転倒。最終的には11位となったが、大会を通じ、日本勢で突出した順位であったことには変わりない。

「(転倒した場所は)雪が緩んでいましたね。その前に雪が降って、気温が高いことでつまるような感じになってました。そこでポールが折れたりはせず、大崩れしないでゴールできたのでまだよかったです」

 さらにこう語る。

「今シーズンはコロナもあってしっかり練習できていない中、シーズン終盤にまずまずの成績が出せたのはほんとうによかったです」

石田はノルディックスキー世界選手権で4種目に出場。最高位は女子団体リレーの10位だった ©REUTERS/AFLO

日本のエースは自力で道を拓いてきた

 世界選手権のみならず、日本のエースとして、石田は競技を牽引する立場として歩んできた。オリンピックも2006年トリノ大会から4大会連続で出場し、2010年のバンクーバー五輪30kmクラシカルでは日本史上最高の5位入賞を果たしている。

 石田はその道のほとんどを、自力で拓いてきた。活動資金が不足すれば自らスポンサーを探し、「よいコーチを紹介してください」とチームに携わる海外のスタッフに手紙を書いたこともある。ナショナルチームの資金不足でワールドカップ参戦もままならなくなると、ノルウェーの指導者に紹介してもらったノルウェーのチームと契約し、海外で活動する土台を整えた。

 そんな石田を、周囲にいる競技の関係者がどう捉えているのか。石田本人はこのように感じている。

「はたから見ると、めげることがなくて、ちょっと何かあってもなんとかなるでしょう、大丈夫でしょう。なんとかしてくれる、勝手に強くなってくれるでしょう、みたいなイメージでしょうか」

 日本で屈指のキャリアを有し、世界で戦ってきた経験を持つことから、今回の世界選手権では、選手としての部分以外も担うことになった。それは他の3選手への指導的な役割だ。

「監督から、3人の選手の練習メニューを作ってくれないかと相談されて、3人がヨーロッパに来てから世界選手権が終わるまで作っていました」

 中継していたNHKの試合後の取材でも、しばしばコーチとしてのコメントを求められた。ただ、「答えていいのか分からない中で、どこまで言っていいのか分からず、取材に対応していました」と語る。

 ナショナルチームの組織図としては、石田にコーチという肩書があるわけではない。つまり、コーチ兼任で挑んでいたのではない。だから、尋ねられても戸惑いがあった。

 3人は皆、日本大学の後輩であり、彼女たちが大学1年生のときからテクニックを教えていた縁はあった。コーチの肩書はなくても、そんな3人のために、それぞれに合わせた練習メニューを作った。

「1人の選手だけを教える分には、それを通じて、自分自身のテクニックの再確認にもなります。ただ3人となると、三者三様で少し時間がかかります」

 一競技者の立場であれば、どの競技のどの選手であれ、大舞台に挑み、大会を過ごす中で自分に集中したいはずだ。なのに、専念できないという状況は負担になった面もあったのではないか。はたからは、そのような想像が浮かぶ。

選手として、コーチとして

「でも、頑張って、やろう、とも思いました」

 選手として培った経験や技量が抜きん出ていることの自覚、そして責任感が、その言葉にあった。

 来シーズンは、オリンピックイヤーだ。北京五輪を控える。

「北京のことは、特にまだ考えていません。まだ考えが定まらないです」

 どのような選択をするのかは分からない。

 ただ、クロスカントリースキーへの思いは変わらない。

「スポーツとして、健康的でいいスポーツですし、日本に関して言えば、これから裾野が広くなっていくスポーツだと思います」

 これまでも、1つ1つ、見えた課題をクリアしながら、自身に磨きをかけながら、日本の軸として歩んできた。そして突出した存在になった。

 1つ1つの歩みはまだ止まらない。なんだか、そう思えた。

文=松原孝臣

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