本日は惜しまれながら亡くなった志村けんさんの命日です。プロ野球の伝説的試合との“奇妙な縁”を描いた記事を再公開します。(初掲載:2020年4月3日、肩書きなどすべて当時)

 志村けんさんが逝ってしまった。

 昭和から平成、令和とお笑いと共に時代を駆け抜けてきた巨匠は、何度か東京ドームでもお見かけしたこともある巨人ファン、野球ファンとしても知られている。

 実際にテレビでも野球や野球ファンを題材にしたコントをいくつも演じていた。

 野球というスポーツを市民生活の一部として捉えて、それを笑いへと変換できた。そんな野球の愛し方をできる人でもあった。

決戦前夜、長嶋さんの部屋に呼びだされた。

 一方で野球の現場を取材する記者として、志村さんの偉大さを思ったのは、拙著『10・8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』(文藝春秋刊)の取材で元巨人の桑田真澄さんの話を聞いたときである。

「10・8決戦」は1994年10月8日に長嶋茂雄監督率いる巨人と高木守道監督率いる中日がシーズン最終戦に同率で優勝をかけてナゴヤ球場で激闘した試合だった。

 テレビ中継の瞬間最大視聴率はプロ野球中継史上最高の48・8%を叩き出し、長嶋さんをして「国民的行事」といわしめた戦いだ。

(C)Koji Asakura

 その決戦前日の10月7日の夜、桑田さんは当時の巨人の名古屋の宿舎「名古屋都ホテル」の最上階にある長嶋さんの部屋に呼び出された。

 長嶋さんは翌日の決戦に桑田さんと槙原寛己さん、斎藤雅樹さんの先発3本柱によるリレーを考え、その起用を伝えるために自分の部屋に桑田さんを呼んだのだった。

 そして長嶋さんの部屋での出来事を取材していると桑田さんがこんなエピソードを披露してくれたのである。

「ケンちゃん! 明日はやるよ」

 部屋に入って長嶋さんの話を聞いていると、そこに1本の電話が入った。長嶋さんが受話器をとる。

 そしてあのちょっとハイトーンな口調で、こんなことを電話の相手に向かって話していたのだという。

「ケンちゃん! 明日はやるよ。俺たちは絶対にやるから!……ありがとう!……うん、ありがとうね!」

 そんな会話を聞くともなしに聞いていた桑田さんだったが、受話器を置いた長嶋さんがいきなり、桑田さんにこんなことを言ってきたのである。

「志村……けんさんですか?」

「ケンちゃんだよ、ケンちゃん! 分かるだろう?」

 そう問われた瞬間、しかし桑田さんの頭には「ケンちゃん」が誰なのか、咄嗟には思い浮かばなかったという。

 そうして……桑田さんが絞り出した答えがこうだった。

「志村……けんさんですか?」

 桑田さんにとっての咄嗟の「ケンちゃん」は、まさにコメディアンの志村けんさんだったのである。

 実は電話の主は昭和の大スターだった高倉健さんだった。以前から長嶋さんとは交流があり、決戦を前にわざわざ激励の電話をかけてきたというのが真相だ。

「ケンちゃんって言ったら高倉の健ちゃんだろう!」

 桑田さんの答えに長嶋さんはこう言って目を剥いていたというが、桑田さん自身はこのときに自分が志村けんさんの名前を口にした理由をこう分析していた。

「一番、大きな存在が志村けんさんだった」

「何であのときに志村けんさんの名前が出てきたのか……自分でもわからないんです。

 でも小さい頃からドリフ(ザ・ドリフターズ)のテレビは大好きでよく観ていましたし、志村さんのファンでしたから。やっぱり僕の中では『ケンちゃん』といえば、一番、大きな存在が志村けんさんだったということなんでしょうね」

 1968年(昭和43年)生まれの桑田さんは、小学生から中学生時代がまさに「8時だョ!全員集合」の全盛時代。

「東村山音頭」やカトちゃんケンちゃんのヒゲダンス、志村さんの「カラスの勝手でしょう」などの名物コントやギャグを見ながら子供時代を過ごしてきた“ドリフドンピシャ世代”なのである。

高倉健さんのたっての願いで「鉄道員」に出演。

 もちろんスクリーンの大スターだった高倉健さんの偉大さも知ってはいる。

 ただ、テレビっ子世代にとって身近な「ケンちゃん」といえばカトちゃんケンちゃんのケンちゃん、志村けんさんを置いて他にはいないということなのだ。

 まさに桑田さんと桑田さんの世代の人々にとって「ケンちゃん」といえば「志村のケンちゃん」だったということだ。

 志村さんとはそういう人だったのである。

 この後の1999年に公開された映画「鉄道員(ぽっぽや)」では主演の高倉健さんのたっての願いで志村けんさんが出演。福岡から北海道に移住してきた炭鉱労働者の役柄でその演技を高く評価された。

 そして山田洋次監督の「キネマの神様」への出演が決まっていた中での突然の悲報で、この「鉄道員」は志村さんにとっては唯一、単独で出演した映画作品となってしまったのである。

 2014年には「高倉の健さん」が亡くなり、そして志村けんさんもまた、あまりに突然に逝ってしまった。

 桑田さんが語ってくれた「10・8決戦」前夜の名古屋のホテルでのエピソードを思い出すと、高倉健さんはもちろん、改めて志村さんが人々の心に残した笑いと存在の大きさを痛感させられる。

文=鷲田康

photograph by Keiji Ishikawa,KYODO