12月4日の日本選手権10000mで27分41秒84の7位に入ると、元日の全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)は最長4区(22.4km)で区間賞をゲット。一時は低迷した印象のある佐藤悠基が再び、輝きを放ちはじめた。昨年11月26日に34歳を迎えた“天才ランナー”に何が起きているのだろうか。

 佐藤は中学(3000m)、高校(10000m)、U20(5000m)と各世代の記録を塗り替えると、箱根駅伝では3年連続で区間新記録を樹立。日本選手権10000mでは4連覇(11〜14年)を達成して、ロンドン五輪(12年)にも出場した。

ロンドン五輪代表選考会を兼ねた2012年の日本選手権で優勝した佐藤。後方には大迫傑 ©Asami Enomoto

 10000mの高校記録(28分07秒39)は16年以上、大学2年時に打ち立てた箱根駅伝1区の区間記録は最古のもので14年以上も破られていない。しかし、佐藤は年齢的に考えると“集大成”となる東京五輪の男子マラソン代表内定を手にすることができなかった。

「東京五輪は大きな目標でした。MGCとMGCファイナルチャレンジの東京マラソンでは代表争いに絡むことができず、単純に自分の力不足だったかなと思っています」

「結果的にはゴールすらできませんでしたけど……」

 MGCは23位に終わり、MGGファイナルチャレンジに最後の望みをかけた。だが、昨年の東京マラソンは第2集団でレースを進めて、35kmで途中棄権。そのため佐藤は東京五輪のマラソン代表を逃したことについてメディアにほとんど語っていない。どんな状態だったのだろうか。

「実は左アキレス腱に不安を抱えていたんです。痛いのを我慢しながら無理してトレーニングをやっていた時期もありました。練習の段階で、第1集団でのペースは想定していなかったので、第2集団で行きました。30km以降に余裕があれば自分でペースを上げればいいだけですからね。結果的にはゴールすらできませんでしたけど……。棄権の原因は左アキレス腱に痛みが出て、それをかばって走っていたことで、ふくらはぎがつるなどの影響があったからです」

「トラックのスピードにシフトしてやってみようかな」

 年齢を考えると、東京五輪を逃したことはショックなはずだが、佐藤は地元で開催されるビッグイベントにさほど執着していなかったように思う。筆者はこれまで佐藤に数十回の取材を行ってきたが、戦う場所はオリンピックだけではないというのが彼の考え方だからだ。佐藤はどんな大きな舞台よりも、自分がどれだけ“進化”を遂げることができるのかに強い興味を持っている。

「MGC(19年9月)、福岡国際(同年12月)、東京(20年3月)と半年ほどでマラソンに3本出場しましたが、MGC前のトレーニングを含めてアキレス腱の痛みを1年近く我慢しながらやってきました。しばらくはリフレッシュ期間にあてて、2020年はトラックのスピードにシフトしてやってみようかなと思ったんです。トラックだけを考えて練習したときに自分がどこまでできるのか。興味本位な部分もありましたし、自分自身で楽しみにしていましたから」

 2020年シーズンはコロナ禍で公式レースが少なく、佐藤も前半戦はほとんど出場していない。そのなかで11月1日にSGホールディングスに移籍した。それは次のステージも考えてのことだったという。

「競技をまだまだやるつもりではいたんですけど、指導者としてのスキルも並行して磨けるような環境を探しているときに、声をかけていただきました。今は選手としてだけでなく、『アドバイザー』としての役割も担っています」

「入賞はしておきたいなという気持ちが」

 SGホールディングスの本拠地は滋賀・守山だが、2年前から西葛西を拠点にトレーニングする東京組ができた。佐藤は自分でトレーニングメニューを組みながら、ポイント練習はなるべく東京組の選手たちと行うようにしているという。

「トラックをやるにしても、漠然とやっていたのではやる気が湧きません。12月に延期した日本選手権に照準を定めて取り組みました。夏を過ぎてからアキレス腱の不安もなくなり、そこから一気に調子が上がってきたんです」

 12月4日の日本選手権10000mは移籍後初レース。青いユニフォームに身を包んだ佐藤は勢いのある若手選手を相手に互角の走りを見せる。

「トレーニングの段階で27分台では走れる自信はあったんです。勝負という部分でも、入賞はしておきたいなという気持ちがありました。東京五輪の参加標準記録(27分28秒00)を狙うようなレースだったので、5000m13分45秒。1周66秒でどこまで押せるのか。実際のレースもそんな感じで進んだので、予定通りに走れたのかなと思います」

伊藤達彦や小椋裕介を抜き去ったニューイヤー駅伝

 結果は27分41秒84のサードベストで7位。日本トップクラスの証ともいえる27分台は5年ぶりのことだった。キャリア初の27分台は大学3年時の2007年で、社会人1年目の2009年に自己ベストとなる27分38秒25をマーク。27分台は8シーズンで記録しており、セカンドベストは2013年の27分39秒50になる。

 日本選手権で佐藤は手ごたえをつかんだだけでなく、34歳にして、「自己ベストも狙えるのかな」という自信を得ている。その証拠というわけではないが、ニューイヤー駅伝は最長4区(22.4km)で9年ぶりの区間賞。日本選手権10000m2位の伊藤達彦(Honda)、ハーフマラソン日本記録保持者・小椋裕介(ヤクルト)を含む14人を抜き去った。

「チーム目標である『入賞』を達成できるように、少しでも順位を上げられればなという気持ちでした。日本選手権で刺激は入っていたので、スピードはある程度自信がありました。スタミナ面もマラソンをやってきたので、ちょっと練習すればメンタル的な不安はありません。4区は前半突っ込む選手が多いので、最初の5kmを抑えて、前半をうまくコントロールして走れば、後半で縮められる。その通りの走りができましたね」

 今回は22.4kmを1時間4分00秒、前回の4区区間賞は22.0kmで1時間2分51秒。タイムを考えると、34歳で25歳と同程度のパフォーマンスを見せたことになる。それどころか、佐藤は今の方が良いトレーニングができているという。

「回復力は明らかに20代よりも落ちている」

「トレーニング自体は20代のときより今の方が全然いいですね。年齢はそこまで気にすることじゃないのかなという気はしています。ただ、衰えというと部分でいうと、回復力は明らかに20代よりも落ちている。そこはしっかりと受け入れてリカバリーには気を使っています。ケアはもちろんですけど、ポイント練習間のジョグも工夫しています」

 佐藤はこれまでの経験をトレーニングに落とし込んでいるだけでなく、自費で高額な超音波治療器を購入して、日々のケアにも余念がない。シューズにもこだわりがある。脚の状態、メニュー内容を考慮して、ポイント練習ではナイキや中国のLI-NING(リーニン)を含む5つのモデルを使用しているのだ。単に速さを求めるのではなく、太く長く競技を続けるにはどうしたらいいのか。佐藤は常々考えてきた。

野球やサッカーは30代後半の選手も少なくないのに

「僕は陸上選手の競技寿命がもっとやれることを証明していきたいんです。野球やサッカーは30代後半や40代でもやられている選手は少なくないですけど、日本の陸上界にはほとんどいません。世界的に見ればいるので、誰かが壁を破れば、その後に続く選手も出てくると思っています」

 実年齢はもう少し上だとささやかれているマラソン世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)は34歳のときに、非公認レースで42.195kmを1時間59分40秒で走破した。2000年代に五輪と世界選手権のトラック種目(5000m、10000m)で8つの金メダルを奪ったケネニサ・ベケレ(エチオピア)も37歳のときにマラソン世界歴代2位の2時間1分41秒をマークしている。バーナード・ラガト(米国)は41歳で出場したリオ五輪5000mで日本記録を上回る13分06秒78で5位に食い込むなど、世界の長距離界はアラフォーの“怪物”たちが存分に強さを見せつけている。

 2010年代前半に国内トラックでは無敵を誇った佐藤は、現在38歳のケネニサ・ベケレに自分の姿を重ねているのかもしれない。そして、東京五輪イヤーとなる今季はターゲットを1つに絞っている。

「トラックでも上を目指したいんですけど、一番の目標はマラソンです。全然成功していないので、とにかく自分のなかで成功したといえるレースをしたい。まだ出場する大会は決めていませんが、そこに焦点を絞ってやっていくのが今季の目標です」

鈴木健吾の日本記録は「うまくいけば更新可能」

 2月28日のびわ湖毎日マラソンでは、鈴木健吾(富士通)が2時間4分56秒の日本記録を樹立。土方英和(Honda)、細谷恭平 (黒崎播磨)、井上大仁(三菱重工)、小椋裕介(ヤクルト)が2時間6分台をマークした。一方、佐藤の自己ベストは2時間8分58秒。トラックや駅伝の走りから考えると明らかに物足りない。元日のニューイヤー駅伝4区では細谷、井上、小椋に完勝しているだけに、本人も自身のマラソンに大きな可能性を感じている。

「びわ湖で日本記録が出ましたけど、今やろうとしていることがうまくいけば更新可能な記録だと思っていますし、2時間4分30秒くらいまでは行けるんじゃないかなと感じています。あとはどこまでマラソン練習ができるのか。その覚悟だけだと思っています」

 佐藤はこれまでマラソンに12回出場しているが、本番に向けてじっくりと準備をしてきたわけではない。様々なことを試しつつ、マラソンに慣れることに重点を置いてきたが、いよいよ“勝負のとき”がやってきたようだ。

厚底「アルファフライ」で高い到達点へ

「次にやってみたいことはすでにあります。それは時間をかけて作っていくものなので、マラソンの下準備をする期間を含めて半年ぐらいは必要かなと思っています。レースに近いペースで長い距離を走るメニューを増やしたいですし、走行距離ももう一段アップさせたい。考えていることがしっかりできれば面白いかなと思っています」

 佐藤は近年のマラソンでは、ナイキ厚底シューズを使用してきた。昨年3月の東京マラソンは「ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」(以下、ネクスト%)と前足部にエアが搭載されている「エア ズーム アルファフライ ネクスト%」(以下、アルファフライ)と悩んだ末に前者を選んでいる。しかし、今年のニューイヤー駅伝はアルファフライで快走した。

 びわ湖では日本記録を打ち立てた鈴木がアルファフライを履いていた一方で、2時間6分台をマークした4人はネクスト%を着用していた。「ネクスト%とアルファフライは別物」と感じている佐藤は、アルファフライを履きこなせるだけの身体を作り、結果を残した。「しっかりと履きこなすことができればネクスト%より力を発揮できる」というアルファフライで勝負するマラソンでの“到達点”も高くなるだろう。

 東京五輪が開催される2021年シーズン。“天才ランナー”と呼ばれた男がマラソンでデッカイ記録をつかむかもしれない。

2011年日本選手権での佐藤(左)。柏原竜二(中央)村澤明伸と箱根駅伝のスターと競った ©Asami Enomoto

文=酒井政人

photograph by AFLO