長く辛い練習を乗り越えたり、42.195kmをともに戦ったり……。ランナーなら1足のランニングシューズにさまざまな思い出が詰まっているはず。

Number Do最新号では、両角速さん(東海大陸上競技部駅伝監督)、佐藤悠基さん、田中希実さん――3人のランナーに、現在までの競技人生を靴とともに振り返ってもらいました。そのなかから両角速さんの「靴の履歴書」を特別に公開します。

 私が本格的に競技を始めたのは小学校4年生のときです。メーカーは覚えていませんが、青いナイロンのアッパーに白いラインが入った靴を両親が買ってくれました。

 当時は今と違って、色々なメーカーやモデルがあったわけではありません。裕福で恵まれた時代でもないので、ランニングシューズと言っても、そんなに多くの選択肢はありませんでした。お店に行って、勧められた靴を履いていた感じでした。

 それでも中学生になると、だんだん靴の大切さを実感し始め、メーカーを気にするようになりました。一番最初に覚えているメーカーはアシックス。当時、瀬古利彦選手が履いているのを見て、アシックスの靴がいいんだろうなと思って、中学・高校はアシックスを履いていました。

 もうひとつのメーカーはハリマヤ。今の方は知らないでしょうけど、すごく格好良かったんですよ。カナグリ ノバというシリーズがあって、ナイロンのような質感がメインの時代に、バックスキンのようなマテリアルの赤のアッパーに、金のラインが入った靴を履いていました。自分でお小遣いを貯めて買っていましたから、普段のジョギングと大会で使い分けるぐらい。今の選手のように何足も持てませんでしたし、1足を大事に履いていた覚えがありますね。

箱根駅伝創設に尽力した金栗四三のマラソン足袋を作ったのがハリマヤ。1982年発売の『カナグリ ノバ』は当時世界最軽量の靴だった。

約35年前の箱根駅伝で履いていた“薄底シューズ”

 大学1年の箱根駅伝では、モデルは忘れましたが、アディダスの黄色のシューズを履いていました。2年生でアシックスのサポートを受けるようになり、レースシューズはマラソンソーティー100に。

 白いアッパーにブルーのトリミング、赤いラインが入っていて、片足の重さが100g。驚異的な軽さで当時は一世を風靡したんです。ただ耐久性は非常に悪いモデルでした(笑)。

1985年にアシックスが発売した 『マラソンソーティ100』。「当時 のレースシューズは、薄底しかあ りませんでした」(両角さん)。

 アシックスには実業団に入ってからもサポートをしていただきました。この数年で様変わりをしましたが、当時のトップ選手は市販の靴は履かず、足型をとって別注シューズを作ってもらうのがスタンダード。

 僕は神戸にあるアシックスのスポーツエ学研究所で三村(仁司)さんに小言を言われながら靴を作ってもらっていました(笑)。「怪我のほとんどはシューズの間違った選び方にある」、「合わない靴を我慢して履くんじゃない」、「ヒールカウンターは非常に重要な機能を持っているので、絶対にかかとは踏むな」など色々注意されました。 一方で「カラーリングはお前たちが選べ、世界に1足しかない靴だぞ」と若者心をくすぐるようなことも言うんですよ。小言は言っても、根はすごくいい人なんです(笑)。

 現役を引退して、佐久長聖高校の監督に就任してからも、三村さんの教えはずっと覚えていましたので、生徒たちにも同じようなことを伝えていました。ランナーにとってシューズは唯一の道具ですから、履き方だけでなく、きちんと洗わせたり、大事に扱うようにと伝えていましたね。

「(54歳になって今は)月間300kmがせいぜいですが……」

 私は監督業において走る必要はないとずっと思っていたのですが、気づけば現役時代から20kgも太ってしまって。さすがにこれではいけないと思い、2018年頃からダイエットのために再び走り始めました。

 私は元来新しいもの好きなので、学生が履いているシューズに興味はありました。ただ、私たちの時代は厚底=重いというイメージが強かった。ところがヴェイパーフライはものすごく軽くて。衝撃を受けました。

 体重が増えすぎていたので、まずは食事制限をして、それから本格的にランニングを再開しました。走り始めてみたら、意外と染み付いた昔の感覚というのは忘れていないものなんですよね。ただ、私は昔のように走っているつもりなんですけど、鏡やガラスに映った姿は全く違いました(笑)。

 最初のうちは、色々なランニングシューズを試しました。ところが体重が増えていたことも理由かもしれませんが、継続して履いていると足が痛くなってしまう靴が多かったんです。

 そんななかナイキのズーム フライだけは、不思議と全然足が痛くならなかった。今まで履いたことのない感覚も新鮮でしたし、学生たちと同じような感想になってしまうのですが、やっぱりクッション性が全く違うんですね。この靴のおかげで継続的に練習を続けられるようになりました。

最近、毎日のジョグに愛用しているのは『ナイキ エア ズーム テンポ ネクスト%』。「すごく楽で調子良く走れます』(両角さん)。

 目標のダイエットに成功して、昨年はヴェイパーフライ ネクスト%を履いて、高根沢町元気あっぷハーフマラソン10kmにも出場しました。目指していた50歳以上の部で準優勝できただけでなく、大会記録を更新することができたのもうれしかった。

 最近は忙しくて走る時間が取れず、月間走行距離は300kmがせいぜいですが、一番走っていた一昨年の8〜9月の走行距離は月600kmほど。さすがに学生たちのようにポイント練習などはしませんし(笑)、今も練習はジョギングだけですが、そこまで長い距離を走り込めたのも、シューズのおかげだと思っています。

“教え子”大迫傑と直接対決したい

 今は学生の方がシューズに詳しいので、僕からアドバイスをすることはほとんどありません。逆に学生たちが良いというシューズはちょっと試したくなる。自分も走り始めたことで彼らとフィーリングを共有できるようになったのは、すごく楽しいですね。自分はこのシューズがすごくいいと思っているのに、学生たちの感想は全然違っていたり、感覚の違いにも驚かされます。

 さすがにトラックは走りませんが、ドラゴンフライも試しましたし、ホカオネオネも持っていますが、今は練習のジョグはテンポ ネクスト%、試合はアルファフライ ネクスト%と履き分けています。

 ダイエットが成功した今、私のモチベーションになっているのは音楽ですかね。好きな曲を60分くらいに編集して、聴きながら走ったら、1時間、10kmなんてあっという間です。それに走っている時は他のことができないのもいい。これまで指導のことを考えたいと思っていても、やることが多すぎて、なかなか時間を割くことができませんでした。でもランニングをしている間は、他のことが一切できないので、指導のことをじっくりと考えられる貴重な時間になっているんです。走るようになってから、なんとなく箱根の成績も上がったのではないかと思っています。

 もうひとつモチベーションになっているのは大会です。10月に行われる次の東京マラソンは、さすがに駅伝シーズン真っ只中で走れませんので、その次。ちょうど1年後の東京マラソンでサブ3を出すのが、今の私の目標です。本当は昨年の東京マラソンで、教え子である大迫傑と対決をしたかったんですけど、本人に「対決だ!」と言ったら、無反応でスルーされましたね(笑)。

 54歳になりましたから、ときには走るのがしんどい時もあります。それでも今の私にとっては、走る時間は何よりも大切なものになっていますね。

両角速(もろずみ・はやし)

東海大学陸上競技部駅伝監督。1966年7月5日生まれ。85年東海大入学。在学中に箱根駅伝に4年連続で出場。89年卒業後、日産自動車に。93年にダイエー入社。95年佐久長聖高駅伝部監督に就任。2011年より現職

文=林田順子

photograph by EKIDEN News