雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回はバルセロナとレアル・マドリーの「エル・クラシコ」にまつわる4つの言葉をオリジナル写真などとともに振り返ります。

<名言1>
あの時、きっと僕ははじめてクラシコ、この2クラブが持つライバル意識の本当の意味を理解したんだ。
(セスク・ファブレガス/Number864号 2014年10月16日発売)

◇解説◇
 クラシコがフットボール界に及ぼす影響度の大きさ。それが世界中に伝播するきっかけとなったのは2000年夏、ルイス・フィーゴの「禁断の移籍」だった。

バルサ時代のグアルディオラとフィーゴ©Getty Images

 当時フィーゴはルイス・ファンハール監督体制のバルサで技巧的なドリブルを武器に、司令塔グアルディオラからのパスを受けてサイドを切り裂き、時にはキャプテンマークを巻くなどクラブの中心的存在だった。しかし契約面でフィーゴとクラブ首脳陣の間に溝ができると、そこに割って入ったのがレアル・マドリーの次期会長を狙っていたフロレンティーノ・ペレスだった。

バルサからマドリーに移籍したフィーゴ©Takuya Sugiyama

 フィーゴがEURO2000に参戦しているタイミングで、ペレスはフィーゴと近しい存在のパウロ・フットレに近づくなど「レアル・マドリーへの引き抜き計画」を進めていく。秘密裏に行われていた移籍交渉はメディアにつかまれたものの、「クレ」ことバルサのファンは当初“飛ばし記事”と相手にしなかった。しかし報道内容に具体性が出て来ると、日に日にクレの疑念は高まり、そしてマドリー移籍は現実のものとなった。

 その後のフィーゴvsバルサのエピソードは、周知のとおりであるが……改めて振り返ってみよう。

 フィーゴが経営者となっていたバルセロナの日本食レストランのガラスが割られ、聖地カンプノウに初めて「マドリーのフィーゴ」が登場すると、「裏切り者よ、地獄へようこそ」など10万人の罵声、そして豚の頭が飛ぶことになったのである。

フィーゴに向けて豚の頭など数々のものが飛んできた©Getty Images

 冒頭の言葉はバルサのカンテラで育った若きセスクが、フィーゴに対する憎悪を目の当たりにした恐怖心である。バルサというチームに対する愛情の深さゆえ、それが裏切られたときの憎悪は増幅したのだった。

2001-02シーズンのクラシコより©Takuya Sugiyama

エトーが憎しみを込めて歌ったワケ

<名言2>
マドリー、くそったれ、チャンピオンに挨拶しろ!
(サミュエル・エトー/Number864号 2014年10月16日発売)

◇解説◇
「禁断の移籍」として取り上げられがちな両クラブ間の移籍だが、どちらかと言えばフィーゴのように「バルサ→マドリー」のパターンの方が大騒ぎになる印象が強い。その中で「マドリー→バルサ」で物議を醸したのはカメルーンが生んだ俊足の点取り屋、エトーである。

マドリー時代のエトー©Getty Images

 マドリーの下部組織で育ったエトーは将来を嘱望されながら、15歳から18歳まで3年半の間でリーガで3度しかプレー機会を与えられなかった。その後マジョルカでアフリカ最優秀選手に輝くなど、ブレイクの兆候を見せ始めていたが、当時「銀河系軍団」の絶頂にいたマドリーは買い戻す意思を全く見せず、バルサ移籍をあっさり認めた。

 迎えた2004−05シーズン、エトーの反骨心が爆発する。04年11月20日のクラシコデビュー戦、ロベルト・カルロスとイケル・カシージャスが“お見合い”した瞬間を見逃さず、無人のゴールに叩き込んだ、

2004-05シーズンのエトー©Takuya Sugiyama

「リベンジの思いなんてなかった。良いプレーをして勝つことしか頭になかったよ」

 試合直後はこう殊勝に語ったエトーだが、翌年5月のリーグ優勝報告会で古巣をバカにする歌詞を歌ってしまったのだ。その翌日にライカールト監督と謝罪会見に臨んで「今自分がバルセロナにいるのはマドリーがスペインに連れてきたおかげ」とコメントしたが、どちらが本音かは……というところか。

バスク出身シャビ・アロンソが感じた“異様さ”

<名言3>
イエローをもらうことが、まるで勲章のようだった。
(シャビ・アロンソ/Number864号 2014年10月16日発売)

◇解説◇
 稀代のゲームメーカーであるシャビ・アロンソがマドリーの一員となったのは2009年のこと。ただ当時はジョゼップ・グアルディオラ監督率いるバルサが鮮やかな攻撃的フットボールを構築し、レアルはクラシコで苦渋を舐め続けた頃だ。

「一番ひどかったのは2010年11月にバルセロナで行われたクラシコだ。0−5で惨敗! メッシを中心にバルサがめちゃくちゃ強くてノーチャンスだった(中略)。だからこそ、それに終止符を打った2012年4月のアウェーの試合は、忘れることはできない。自分たちは諦めずに戦って2−1で勝利することができた。レアルは勢いに乗ってリーグ優勝することができた。運命を分ける試合だった」

 悔しさをにじませるとともに、この一戦を勝つことでラ・リーガの覇権争いに大きな影響を及ぼすということも熟知していたのだ。

イニエスタとマッチアップするシャビ・アロンソ©Takuya Sugiyama

 そんなシャビ・アロンソはこう冷静に分析していた。

「言うまでもなく、クラシコは世界一のダービーだ。ただし、自分はバスク地方出身なのでその真の意味を理解しきれていないかもしれない。マドリード出身の選手たちのクラシコにかける思いはすごいからね。イエローカードをもらうことが、まるで勲章のようだった」

モウリーニョに“目つぶし”された名参謀

<名言4>
ライバル意識はあるけれど、これはスポーツなんだ。
(ティト・ビラノバ/Number864号 2014年10月16日発売)

◇解説◇
 クラシコで熱くなるのは選手だけではない。両チームを指揮する監督やチームスタッフもしかり、である。

マドリーを率いた頃のモウリーニョ監督©Takuya Sugiyama

 マドリーのジョゼ・モウリーニョ監督、バルサのグアルディオラ監督体制下で緊張感が最も高まった時代、大事件が起きたのは2011年8月のスペインスーパーカップだった。第2戦で激高したモウリーニョがバルサ陣営と揉み合いになると、当時バルサのアシスタントコーチだったビラノバに対して“目つぶし”行為に出たのだ。

 のちにモウリーニョはこの愚行を反省し、ビラノバとの仲も修復されたとされる。ただ溝が埋まったのは、ビラノバの人間性の部分が大きいと言われる。

ビラノバはバルサのトップチーム監督も務めた©Getty Images

「私の人生にはもっと大事なことがあるから。サッカーの1試合が行われる。ただそれだけのことだ。クラシコにまつわる政治や、他のことは別の場所で話し合うべき」

 ビラノバは2014年、悪性腫瘍との闘病の末に45年で生涯を閉じた。健在であれば、その卓越した戦術眼は今のバルサにも――という思いがどうしても強くなるが、平和を愛するコメントを残していたのもビラノバが良識派として慕われた証拠である。

©Takuya Sugiyama

 ワールドクラスの選手や名将、そしてサンチャゴ・ベルナベウやカンプ・ノウの大観衆が感情を爆発させるクラシコ。世紀を超えて続くドラマが本来の形に戻ることを期待したい。

<記事内でご紹介しきれなかったクラシコ名場面写真があります。関連記事からご覧ください>

文=NumberWeb編集部

photograph by Takuya Sugiyama