雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回はチャンピオンズリーグ出場4クラブにまつわる言葉を懐かしの写真とともに振り返ります。

<名言1>
我々は破産寸前でした。無一文の状況で、3000万ユーロの選手を獲得するなんて言えません(笑)。ドルトムントの売り上げが4億ユーロになると誰が予想したでしょう?
(ハンス・ヨアヒム・ヴァツケ/NumberWeb 2017年7月22日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/828505

◇解説◇
 2010年代初頭、香川真司の大活躍によって、ドルトムントは日本のサッカーファンにとってなじみ深いクラブとなった。コロナ前は8万人を収容するホームスタジアムが熱狂的な雰囲気を作り出し、ユルゲン・クロップ監督体制では香川だけでなくレバンドフスキ、フンメルス、ゲッツェらといった若き才能が台頭。絶対王者バイエルンから覇権を奪うなど、一躍ビッグクラブの仲間入りを果たした。

香川、フンメルスらを擁したころのドルトムント©Takuya Sugiyama

 1996-97シーズンのチャンピオンズリーグでユベントスを下して優勝経験もある名門クラブだが、2000年代中盤は“暗黒時代”だった。ロシツキーや200cmを超えるコラー、かつてJリーグに在籍経験のあるアモローゾらを獲得したものの、株式を上場した経営戦略が失敗し、巨額の損失を抱えたのだ。

 同じ時期にはリーズ、フィオレンティーナといったクラブが経営破綻し、下部リーグ降格を余儀なくされた。ドルトムントも同じ道のりを歩んでもおかしくなかったが、ここで立て直したのはCEOに就任したヴァツケ氏らの打ち出した指針だった。ロシツキーをアーセナルに売却するなど育成重視に舵を切ると、2008年にはマインツで結果を残したクロップ監督を招聘した。

「成功の目指し方はクラブによって違います。投資をしてスター選手を獲得し、タイトルを取る。それがレアル・マドリーのやり方ですね。ドルトムントは、大きな資質を持った選手、たとえばデンベレ、プリシッチ、そして香川真司のような選手を獲って成長させる」

 前述した通り、この考え方がドルトムントを再び強くしたことは間違いない。“目の上のタンコブ”であるバイエルンから主力の引き抜きに何度もあい、20-21シーズンのブンデスリーガでは来季CL出場権へギリギリの戦いが続いている。とはいえ、希望は多い。

ハーランドとムココ©Getty Images

 ハーランド、サンチョ、ムココ、ナウフらといった近未来のワールドクラス、そしてフンメルスやロイスらが支えるチームの骨格からは、ドルトムントが貫く哲学を強く感じるからだ。

<名言2>
マンチェスター・シティを世界一のクラブにする。
(シェイク・マンスール/Number789号 2011年10月13日発売)

◇解説◇
 20年前、大半のサッカーファンにとってマンチェスター・シティは“ユナイテッドじゃない方”、そして有名ロックバンドOASISのギャラガー兄弟が熱狂的ファンらしい、程度の認識だった。

 それも当然だろう。1950〜70年代は散発的にタイトルを獲得してきたものの、1980年代からは長きにわたる暗黒時代へと突入。そのレベルは「トップリーグで残留争い」のレベルではなく、1998-99シーズンにはディビジョン2(3部相当)にまで転落したほどだった。

2000年、カップ戦でアーセナルなどと対戦しても力の差は歴然だった©Getty Images

 そんな弱小クラブを変えたのは資本の力だった。

 2007年にタイの首相を務めたタクシン氏が会長に就任。その翌年9月にタクシン氏がアブダビ首長国の投資機関にオーナー権を売却。シティにとってのターニングポイントはここで訪れた。

 当時、アブラモビッチ会長率いるチェルシーが急浮上するなど「オイルマネー」のパワーはプレミアリーグで高まっていた。しかしシティがパッとしない成績だったこともあり、マンスール氏の「世界一」宣言は、現実味の無い発言のように思われた。

 しかし世界有数の大富豪であるマンスールは3年間で500億円を超える潤沢な資金をチームに投じ、テベス、ヤヤ・トゥーレ、ダビド・シルバ、アグエロらワールドクラスを次々と獲得。新体制発足から4年足らずでプレミアリーグの頂点に立ったのだから、文句のつけようがない“成り上がり”ぶりだった。

グアルディオラ体制で圧倒的な強さを誇るマンチェスター・シティ©Getty Images

 その後も名将グアルディオラを招聘するなど、かつて大きく水をあけられていた“隣人”のマンチェスター・ユナイテッドを優に上回る総合力を有している。20-21シーズンは公式戦21連勝をマークするなど、18-19シーズン以来のプレミア制覇に近づいている。ただそれ以上に――真の世界一へもう1つ必要なのは、CLのビッグイヤー獲得である。

<名言3>
僕は“リバプールの伝説”と肩を並べられる選手になりたいんだ。
(スティーブン・ジェラード/Number678号 2007年5月10日発売)

◇解説◇
 20-21シーズンこそ苦しい戦いが続いているとはいえ、ここ数年での“世界最強クラブ”として挙げるべきはリバプールであることは間違いない。

19-20シーズン、圧倒的な強さを見せたリバプール©Getty Images

 クロップ監督の情熱的な指導のもと、アグレッシブなハイプレスで相手を追い込む戦術の緻密さ。そしてサラー、マネ、フィルミーノのフロントスリーやアレクサンダー・アーノルド、ロバートソンの両翼が相手ゴールに襲い掛かるスピード感はサッカーを新たな次元に導き、19-20シーズンには同クラブにとって89-90シーズン以来となる国内制覇を成し遂げた。

 一方で現役時代、プレミア制覇に届かなかった“悲劇の象徴”と言えばジェラードだ。

 リバプールのアカデミーで育ち、10代だった1998-99シーズンにトップチームでデビューを飾ると、2000年代からはレッズ盤石のレギュラーとして中盤に君臨した。2000-01シーズンのUEFA杯・FA杯・リーグ杯のカップ戦三冠、04-05シーズンの「イスタンブールの奇跡」でCL優勝に導くなど、リバプールの伝説になりたいと願ったジェラードにも栄光の時は訪れている。

 しかし彼を語るうえでどうしても触れなければいけないのは、2014年4月27日の“あのスリップ”である。

スリップを引き金に痛恨の失点を喫したジェラード©Getty Images

 プレミア第36節、リバプールvsチェルシー。3試合を残した時点で首位に立っていたリバプールにとって、勝てばプレミア制覇に大きく近づく大一番だった。スコアが動かないまま迎えた前半アディショナルタイム、味方の横パスを受けようとしたジェラードのボールコントロールがわずかにずれて立て直そうとした瞬間、足を芝に取られ……。その数秒後、チェルシーのデンバ・バがゴールネットを揺らし、聖地アンフィールドは静寂に包まれた。

 結局このゴールが決勝点となり、リバプールは敗戦。そのダメージは想像以上に大きく、次節のクリスタルパレス戦も3-0とリードしながら3-3に追いつかれる痛恨のドローで、事実上の終戦を迎えてしまった。

 愕然とするジェラードの姿に涙した人は数多いだろう。その悔しい歴史を共有しているからこそ、ジェラード後のリバプールはさらに強くなれたのかもしれない。そしてジェラード自身も引退後、指揮をとるスコットランドのレンジャーズをリーグ優勝に導き、名将への一歩を踏み出している。

<名言4>
会長は自分たちと一緒にリーグ優勝を祝うのも嫌がっていたから、とても夕食を楽しめるような雰囲気ではなかったよ。
(イバン・エルゲラ/NumberWeb 2021年3月1日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/847214

◇解説◇
 華やかなりしヨーロッパサッカー。日本人にとってそのインパクトを強烈に印象付けたのは、2000年から2000年代中盤にかけての「銀河系軍団」レアル・マドリーだ。

 フロレンティーノ・ペレス会長のもと、宿敵バルサから引き抜いたフィーゴ、80億円超もの移籍金を積んでユーべから獲得したジダン、そしてロベルト・カルロス、ラウール、ロナウドらが並ぶ陣容はまさに豪華絢爛。日韓W杯で大ブームとなったベッカム獲得の2003年夏が、煌めきのピークだったと言える。

いわゆる「銀河系軍団」時代のレアル・マドリー©Takuya Sugiyama

 ただベッカムの獲得前の時点から、チーム内には断層があった。

「みなが続投を望んでいたのに、クラブはデルボスケを切るつもりだった」

 センターバックとボランチを務めるポリバレント性を武器に、チームを渋く支えたエルゲラは現地紙「AS」の記者にこう明かしたことがある。

 2002-03シーズンのマドリーはホームで開催された最終節でラ・リーガ優勝を決め、歓喜に沸くはずだった。

 しかし、数々のタイトルをもたらした名将ビセンテ・デルボスケの続投をクラブ首脳陣が拒んだとの報が選手たちの耳に入り、腹を立てた彼らはセレモニーでのグラウンド周回をボイコットした。

 対立は続く。祝勝感に満ちるはずの夕食会で、当時キャプテンのイエロとペレス会長が“舌戦”を展開。この衝突が原因となり、イエロは退団。またジダンらを影で支えた名脇役マケレレもチェルシーに去ったのだ。

 バランス調整役を失ったマドリーは“前輪駆動”になりすぎ、なおかつブラジル代表監督を務めたルシェンブルゴ新監督はフィーゴから「最低の監督」と言われる始末。宿敵バルサがライカールト体制の元で強さを取り戻していくのと反比例するかのように、下降線をたどっていった。2006年2月、辞任会見に臨んだペレス会長はこんな言葉を残した。

「恐らく私は選手たちを甘やかし過ぎ、勘違いさせてしまったのだろう。今は彼らに、唯一の重要な存在はレアル・マドリーなのだと伝えたい。その意味で、責任は全て私にある。レアル・マドリーは変化を必要としている。今、このタイミングで身を引くべきだった」

 2009年、ペレスは会長に復帰。第2期体制も、就任早々にクリスティアーノ・ロナウド、カカらビッグネーム、ロシアW杯以降はクルトワ、アザールらを獲得した。

2009年米国ツアーでのマドリー©Tamon Matsuzono

 その一方でアセンシオ、ビニシウス、ロドリゴ、久保建英といった有望株の保有権を得て、カゼミーロやバルベルデといった実力者を正当に評価するなど、中長期的な視点を持っている。かつての混乱を知るジダンが監督を務めているからという側面もあるが、ペレス会長も同じ轍を踏まないように心に留めているはずである。

文=NumberWeb編集部

photograph by Takuya Sugiyama