「三菱自動車倉敷オーシャンズの廣畑敦也ってピッチャーを知っていますか?」

 ここ数カ月で、同業ライターから立て続けにそんな質問を投げかけられた。さらに決まって、こんな言葉が続く。

「廣畑投手の弟の名前は《臣吾》で、本人は《敦也》。もちろん、古田敦也と高津臣吾です。名づけ親のお父さんも、そして本人も大のヤクルトファンなんです。さらに、伊藤智仁が大好きで、長谷川さんの本も何冊も読んでいるそうですよ!」

 いずれも、彼を取材したライターからの言葉だった。普段、ほとんどアマチュア野球を見ないため、「廣畑敦也」という投手のことは何も知らなかった。すぐにネット検索をすると、次から次へと彼の情報が出てくる。昨年の都市対抗で大活躍をして、若獅子賞に輝いたこと。今春のJABA東京スポニチ大会でも盤石のクローザーとして活躍し、チームは優勝、本人は大会MVPを獲得したこと。今秋のドラフト1位候補であること。さらに、伊藤智仁を尊敬し、大のヤクルトファンであること……。

 俄然、興味がわいてきた。YouTubeで見る彼のダイナミックなピッチングにも魅了されたし、同じヤクルトファン同士、しかも拙著の愛読者であるのならなおさら、ぜひ本人の話を聞いてみたい。そこで、彼の所属する三菱自動車倉敷オーシャンズにコンタクトをとり、ついに彼へのリモート取材が実現する運びとなった。以下、「ヤクルトファン同士」の屈託のないやり取りをご紹介したい。

大の大人が駆け引きをして野球をしている姿に惹かれた

 初めに尋ねたのは、昨年11月に発売された拙著『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)について。これは1992(平成4)年、翌93年、森祇晶監督率いる西武と、野村克也監督が指揮を執るヤクルトとの息詰まる2年間の日本シリーズの激闘を描いた作品だ。97年生まれの廣畑にとっては、自分が生まれる前の出来事となる。彼は、この本をどのように読んだのか? 作者としてはとても気になることだった。

「日本一をかけて戦う日本シリーズって、プロ野球選手なら誰もが目指す舞台だと思うんです。言い方は悪いかもしれないけど、大の大人たちが考えに考えて、いろいろな駆け引きをして野球をしている姿に惹かれました。僕の生まれる前の話だけど、野球ゲームで遊んでいたので、本に登場する選手のみなさんのことはもちろん知っています。その有名な選手たちが、どういう考えでプレーしているのか。森監督、野村監督がどんな心理戦を繰り広げていたのか。ピンチのときの守備陣の心理、攻撃陣の作戦などなど、野球をしている立場として、すごく参考になりました」

「90年代のプロ野球こそ黄金期だと思っている」

 作者を前にしてはなかなか批判も言いづらいだろう。褒めるしかないのも十分理解しつつ、それでもついつい頬が緩んでしまうのは自分でもわかった。

「僕としては90年代のプロ野球こそ黄金期だと思っているんです。進化した今の野球もいいけど、昔の野球にも学ぶところが多い。それこそ、野村さんの本もたくさん読んでいます。僕としても、あの2年間の日本シリーズが最高峰だということは知っていたので、夢中で読みました」

 具体的にはどんな点が参考になったのか、刺激となったのか? 心地よい回答が続くことで、作者としての欲求はますます募る。質問を重ねると、廣畑は続けた。

「ピンチとチャンスの場面が色濃く描かれていた点が参考になりました。マウンドに上がっていて、ピンチの場面を迎えたとき、内心では“ここは肩の強いセンターに打たせたい”とか、“フライではなく、ゴロで仕留めたい”と思うことがあります。それは自分の身に重ね合わせても共感できたし、ヤクルト・広沢(克己)さん、池山(隆寛)さん、西武・秋山(幸二)さん、清原(和博)さんなどの一流の打者たちの打者心理は発見の連続でした」

「ノムさんが監督だった頃と、何も変わらない」

 このシリーズが行われたのが、すでに30年近くも前のことになる。令和時代の実力派社会人投手の目から見て、「今の野球と比べて古いな」と思うことはあるのだろうか? そんな問いを投げかけると、廣畑は即答する。

「いや、まったく古いと感じることはなかったです。ノムさんが監督だった頃と、何も変わらないと思います。むしろ、今の野球には頭を使うことが薄れてきている感じもするので、改めてあの時代の野球を知ることは大切だと思いますね」

 最速154キロのストレートと、曲がりの大きいカーブのコンビネーションを武器とする廣畑。本人は「ツーシームやカット系の小さな変化だとバットに当てられる」と考えているからこそ、「フライボール革命の現状では、自分の高めのストレートと変化量の大きいカーブは通用する」と確信している。温故知新。野球界のトレンドが変われば、かつての組み立てもまた生きてくる。彼は、そう確信している。

“お前は伊藤智仁みたいなピッチャーになれ”

 前述したように、廣畑の憧れの存在は現東京ヤクルトスワローズ一軍投手コーチ・伊藤智仁だ。続いて、拙著『幸運な男 伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』(インプレス)の感想を尋ねる。

「物心ついた頃から、オヤジには“お前は伊藤智仁みたいなピッチャーになれ”と言われてきました。そこで、中学でピッチャーを始めたときに、YouTubeで伊藤さんのピッチングを見たらものすごい球を投げてました(笑)。とんでもないスライダーで、バッターがみんな腰を引いているのが印象的でしたね」

 岡山の玉野光南高校を経て、帝京大学に進学後も憧れの人のことは常に頭にあった。

「大学入学時に、4年間の計画を立てました。最終目標は伊藤さんの最高球速153キロを超える154キロのストレート、140キロのスライダーを投げることでした。結果的に大学に入学して故障をしたこともあって、社会人になってから達成しました」

自分なりの《異常の正常》を考えるように

 前述した『幸運な男』の中には、度重なる故障から厳しいリハビリを経て得た伊藤の「新たな哲学」が描かれている。かつて彼は「異常の正常」という言葉を口にした。以下、前掲書から、伊藤の言葉を抜粋したい。

「それまではケガをする前の状態、100の状態に戻すことを目指していました。でも、“もうそれは不可能なんだ”と悟ったのが96年でした。本当にヘルシーな状態を目指して何年も頑張ってきたのに、完全に戻ることはできなかった。だったら、もうそこを目指してもダメなんだと考えました。ならば、悪い状態の中で結果を出すべきだと思ったんです。つまり、《異常の正常》を目指すことにしたんです(中略)。異常状態の中で、少しでも正常を目指していく。そんな風に考え方を変えたんです」

「この本の中で、伊藤さんが“いつ壊れてもいい”と思って投げている姿が印象的でした。そして、《異常の正常》は、僕自身も常に意識するようになりました。それは、ケガや故障ということではなくて、毎回のピッチングや調子に当てはめています。先発マウンドに上がったときには完全試合を目指しています。でも、現実的にはそれも難しい。調子が悪いこともあります。そんなときには、“うちの打線を考えると、今日は何点までは取られてもいい”とか、自分なりの《異常の正常》を考えるようになりました」

「僕が見に行くと、ヤクルトは負けないんです」

 ここまで、どんな質問に対してもすぐに理路整然とした答えが返ってくる。技術面はもちろん、メンタル面、野球偏差値も、いずれも高いのだということが存分に伝わってくるやり取りが続いた。

「僕が見に行くと、ヤクルトは負けないんです」

 聞くべきことをすべて聞き終えた後は、ヤクルトファン同士の「雑談」となった。驚いたのはこんなひと言だった。

「僕が神宮に行くと、ほとんど負けないんです。大学時代は月に1〜2回は球場で応援していました。2017年にヤクルトは96敗しましたよね。でも、あの年は僕が観戦した試合は4戦4勝でした。だから、“あれ、何で96敗もしたんだろう?”って思っていました(笑)。通算でも2〜3回しか負けていない気がしますね」

「いつでも投げる準備はできています(笑)」

 高津臣吾監督が就任した昨年は屈辱の最下位に沈んだ。岡山の地からテレビを見ていて、「オレが投げたい」という思いはないのだろうか? 愚問だと承知の上で尋ねてみる。すると廣畑の白い歯がこぼれた。

「言ってくれれば、いつでも投げる準備はできています(笑)」

 現在クローザーを務める廣畑は「抑えは最初から全力投球できるのが楽しい」と語る。そんな彼に「もし今のヤクルトに自分がいたら、どんな起用法が理想か?」と質問を続けてみた。

「7回は清水(昇)さん、8回は僕、そして9回は石山(泰稚)さん。そんな継投が理想ですね。石山さんは縦に落ちる変化球がすごいので、その前のイニングで僕がストレートでガンガン抑えるパワーピッチングを見せたいですね」

 物心ついたときから青木宣親の大ファンだったという廣畑。今年の秋には間違いなくドラフト指名されるだろう。それが、どのチームになるのかはわからない。本人はもちろん、「12球団どこでもOK」の姿勢を打ち出している。緊張の瞬間は今年10月11日。はたして、野球の神様はどんな運命を用意しているのだろうか? どの球団に入団しても、彼のことは応援したい。でも、願わくばそれが、白地に赤い縦じまのユニフォームであることを、僕は心から願っているのだ――。

文=長谷川晶一

photograph by Kyodo News