プレミアリーグ、リーズ監督マルセロ・ビエルサの人柄と戦術を日本人唯一の“門下生”である荒川友康氏(FCトレーロス所属)が語るこの連載。最終回となる第6回の前編は名将イビチャ・オシムとの指揮官としての類似性や違いについて検証します(後編はこちら。記事最終ページ下の「関連記事」からもご覧になれます)。

 2005年2月、荒川友康は滝川二高のコーチを辞して、ジェフユナイテッド市原・千葉のユースコーチに就任することが決まった。マルセロ・ビエルサの薫陶を受けた荒川は、千葉の地でもう一人の「天才」を知ることになる。イビチャ・オシム、当時のジェフのトップチーム監督である。ユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身の指導者であるオシムが演出するサッカーは、日本サッカー界に衝撃をもたらした。

イビチャ・オシム 2006年撮影 (C)Takuya Sugiyama

 荒川が振り返る。

「私は育成部門に籍を置いていたので、フェンス越しでしたがオシムさんが指導するトップチームの練習をよく見学していました。マルセロの指導とは全く違う練習方法は衝撃でした。2人のサッカーの最終形はとても似ているのですが、それに至るまでのプロセスは全く違うというのはとても興味深いものでした」

共に「走るサッカー」を戦術の柱にしている

 ビエルサとオシムには少なくない共通点がある。共に190cm近い大柄の体格を持ち、のっそりと歩く風貌はどこか似ていなくもない。戦術的においても人もボールも動く攻撃的な姿勢は似ており、現代サッカーでは珍しいマンマークディフェンスを採用しているところも共通し、「走るサッカー」を戦術の柱にしているところも同じだ。

 オシム招聘の為に尽力した元ジェフ強化担当の辰己直祐が当時を振り返る。

「ある日、FWの巻誠一郎君が『走れと言われても、僕はどこに走ればいいかわからない』とオシムさんに質問したのです。するとオシムさんは肩をすくめて、『それでもいい。走れ』とだけ指示した。オシムさんは選手をよく観察しているので、巻君には細かい指示は適さないと考えたのでしょう。

 選手が走ればスペースが出来る。そのときジェフにはオシムさんの教え子であるFWマリオ・ハース(元オーストリア代表)がいた。巻君が走って作ったスペースは、戦術理解度が高いハースが使う。だから心配せずに走れ、ということだったのです(笑)。

 2列目、3列目からどんどん選手が飛び出してくるサッカーというのが、オシムサッカーの特徴です。オシムさんは『90分走れるチームは走らないチームより強い。走らないで勝てるサッカーがあるというなら、私に教えてくれ』とまで語ったことがあります。この哲学はリーズのサッカーを見ていても共通したものを感じますね」

 辰己が指摘するようにビエルサのサッカーもまた、「走るサッカー」が戦術の柱となっている。

 例えばリーズのOMF(オフェンシブ・ミッドフィルダー)の起用法にもその思想が見て取れる。現在、リーズのOMFのレギュラーは22歳(1999年生まれ)のタイラー・ロバーツが務めているのだ。選手の格やテクニックの面から言えば、2019−2020シーズンで1部昇格に貢献したパブロ・エルナンデス(36歳・1985年生まれ)の方が上である。しかし今シーズンはエルナンデスを差し置いてロバーツが重用されている。ロバーツのプレイは、守備時には激しくプレスを遂行し、攻撃時は左右にダイナミックに走りボールを引き出す動きを繰り返す。ベテランのエルナンデスにはそこまでの運動量は期待できない。ロバーツの起用理由には「若くて走れる」というポイントがあると見られている。

今年3月のチェルシー戦でのビエルサ (C)Getty Images

若手選手を好むという傾向がある

 荒川が語る。

「マルセロのサッカーは長い距離を走ることを重要視します。その意味でも若手選手を好むという傾向があります。長い距離を走ることの意味は相手のマーキングを混乱に陥れることや、ラインを下げさせたり、スペースを作ることが出来るという利点があります。そしてダイナミックに走るプレイをすることで多くの人数をゴール前にかけることが出来る。攻撃的なサッカーを展開するうえで、走るという要素は欠かせないものなのです」

 オシム時代に日本サッカーに導入されたのが「ポリバレント」という概念だ。多価を意味するポリバレントは、サッカーにおいては「複数のポジションをこなすことのできる選手」という意味で使用される。

「それまでの日本サッカーでは『ユーテリティプレイヤー』という言葉がありましたが、ポリバレントとは厳密に言うと意味が違います。ユーテリティプレイヤーとは、“使い勝手がいい選手”として語られることが多く、前の試合ではDFだった選手が次の試合ではMFにケガ人が出たのでMFで出場する、というように試合ごとに違うポジションで起用される選手を指して使用されます。

 一方でポリバレントは試合中にポジションを変え、そしてその都度ポジションに応じたプレイが出来る選手のことを指します。マルセロもポリバレンテ(ポリバレントのスペイン語表現)という言葉をよく使います。彼自身も複数のポジションをこなすこと出来る選手が好きで、重用する傾向があります。ポジションがSBであって試合の流れでCBとしてプレイすることもあれば、MFやWGとしてプレイすることもある。マルセロは『試合展開の中で自然と3つのポジションでプレイします』とよく語り、複数のポジションをこなせるよう選手に要求します」(荒川)

ビエルサとオシムの指導法は真逆

 共に「人もボールも動く」サッカーを志しているビエルサとオシムだが、その指導法は真逆だ。オシムの練習は基本的にはボールを使い対人プレイを取り入れた「実戦形式」である。ビブスの種類によって選手はプレイルールが定められ、それに沿ってプレイする。辰己によれば「ジェフ時代の練習は毎日違うメニューが用意されていました。オシムさんに『いったい何通りの練習方法があるのか?』と聞いたところ、『数えたことはないし、数える必要はあるのか?』と言われました。どの試合においても全く同じシーンというものはないのだから、選手には場面ごとに最適なプレイを選択できるための『考える力』を養わせる練習が多かった」と振り返る。

 一方でビエルサは対人プレイや実戦形式の練習をほとんど行わない。相手プレイヤーに見立てたポールや人形を立て、選手の動きかたのトレーニングや、複数のパス交換の方法を繰り返し行うというような「シーン練習」がほとんどなのである。

 例えばリーズの特徴的なプレイの1つにスローインがある。マイボールでスローインを行う場合、リーズの選手は前後左右にシステマチックに動きフリーでボールを受けるための動きを繰り返す。第29節のフルアム戦では前半29分、左SBアリオスキのスローインから左WGハリソンがクロスを折り返しFWバムフォードがゴールを奪うというシーンがあった。ゴールライン際のスペースを見つけて走り出しフリーでボールを受けたハリソンの動きがゴールを呼び込んだといえるプレイである。こうした動き方も「シーン練習」で周到に準備されたものの1つなのである。

ビエルサは“意識づけ”を選手に指導する

「マルセロ流の練習を日本では『パターン練習』という言い方をするのですが、厳密に言うとパターン練習ではありません。マルセロは自分の練習について『試合で実際に起きているシーンを抜き取って整理しているだけで、私が発明した訳ではない』とよく言います。そこで整理された『最適な動き』や『パスの方法』、『人の動き』をいくつか抽出して、“意識づけ”を選手に指導するという考え方をしています。ですから1つのパターンをただ繰り返すのではなく、1つのシーンにおいて実際に起きている複数の選択肢をおさらいし、いくつものプレイを組み合わせながら練習をしていくというのが正しい解釈だと思います。

 実際のゲームでは相手も試合環境も全く同じという状況がない中で、選手が最適なプレイ選択をするためのサポートをマルセロはしているという感覚なのだと思います」

オシム「全ての知識は頭のなかに入れておくものだ」

 練習への臨み方も両極だ。オシムは開始時間にグラウンドに顔を出し、終了と同時にクラブハウスを後にする。コーチが練習内容をメモに取ろうとすると、オシムは「さっきから何を書いているんだ!? 目障りだからやめてくれないか! 選手が試合中にメモを書いたり読んだりできるのか? 全ての知識は頭のなかに入れておくものだ」と釘を刺したという。自宅ではサッカーの試合を深夜まで「生観戦」するという生活スタイルだった。

「オシムさんを自宅まで送り届け、翌朝迎えに行くと同じジャージ姿で出てくることが多々ありました。ヨーロッパサッカーは深夜放送が多い。ああ、オシムさんは今日も朝までサッカーを見ていたんだな、と思いました。常に研究を怠らないのがオシムさんでした」(辰己)

 一方のビエルサは、練習開始の数時間前からクラブハウスで準備に没頭し、終了後も監督室に籠り分析を続ける。ある種の強迫観念にかられているかのように、情報や知識の整理、試合分析を重視するスタイルを好むのがビエルサ流だ。

 2019年、リーズがチャンピオンシップ(イングランド2部リーグ)に所属していた時代、「スパイゲート事件」という騒動が起った。対戦相手のダービー・カウンティの練習グラウンドにリーズの分析官がいたことが発覚し、ダービー側が『スパイ行為だ』と告発したのだ。このときビエルサは後に“伝説の講義”と呼ばれる記者会見を開き、「ある人たちにとっては間違っているだろうし、ある人たちにとっては間違ってない行為」と事実を認めたうえで、膨大な資料を提示し自らの分析手法を詳細に明かしたのだ。

ビエルサ「十分に準備しなければ罪悪感を覚えてしまう」

 記者会見でビエルサはこう語っている。

「情報資料を作る20人の担当者がいる。しかし、その資料の全てが必要なわけではありません。それでも、作成するのはなぜか? それは、私が『十分に準備しなければ罪悪感を覚えてしまう』からなのです。私は対戦する前には全てのライバルを観察し、全てのトレーニングセッションを見ます。ダービーは今シーズンに49.9パーセントの確率で4-3-3を用いている。試合中にどのように戦術を変えていくかも理解している。そうした情報が、この資料にある。各試合に4時間の作業が必要です。なぜそんな手間暇をかけるのか? 私はそれがプロの仕事だと思うからです」

 荒川は「マルセロがダービーのグラウンドに分析官を派遣しなかったとしても、彼が記者会見で見せた膨大な資料を見れば、すでに対戦相手の分析は出来ていたことがわかります。それでも追加データを集めてしまうというのが、彼の性質をよく表していると思います」と、スパイゲート事件について振り返る。

オシム「誰がやっても勝てるチームにオレが行く必要はあるか?」

 2人の名将の性格の違いは、記者会見にもよく表れていた。チームの為に献身的に動く選手を「水を運ぶ」と表現したように、オシムの言葉はどこかウィットに富んでいて“哲学的”な香りが漂う。対照的にビエルサの会見で発せられる言葉は、「私は失点には7通りのパターンがあると考えています」というように飾り気のない言葉が多い。論理的に試合を分析していく様は“科学者”といった雰囲気なのである。

 名誉や肩書に固執しない非世俗的なところは、2人の共通点だといえよう。ビエルサもオシムも共に自国の代表チーム監督は務めたものの、クラブシーンではメガクラブと呼ばれるチームを率いたことがない。オシムがヨーロッパで率いた主なチームはギリシャのパナシナイコス、オーストリアのシュトゥルム・グラーツなどの中堅国のチーム、そして日本のジェフ千葉などである。

「オシムにはレアル・マドリーから監督就任のオファーがあったが、本人が『誰がやっても勝てるチームにオレが行く必要はあるか?』と断ったという逸話があります。2004年にジェフ対レアルのフレンドリーマッチという奇跡のマッチメークが成されたのも、レアル側が『うちの監督オファーを断ったオシムのチームを見てやろう』という理由からだった。本気のレアルに対してジェフは接戦を演じましたが、惜しくも1−3で敗れてしまいます」(辰己)

 ビエルサもバルセロナ監督就任などメガクラブからのオファーの噂が絶えないものの、実際に指揮を執ったのはスペインのアスレティック・ビルバオやフランスのマルセイユなどの中堅やビッグクラブ未満とされるチーム。そして2018年には凋落したヨークシャーの古豪、イングランド2部チーム(当時)だったリーズの監督に就任している。今季、ビエルサは古豪リーズをプレミアリーグ昇格に導き、センセーショナルなサッカーを展開しイギリスメディアを熱狂させているのは当連載でも紹介した通りだ。

 オシムは「人もボールも動く」魅力的なサッカーを展開し、彼の指導のもと佐藤勇人、水本裕貴、阿部勇樹、巻誠一郎、山岸智、羽生直剛ら多くの日本代表選手がジェフから誕生した。オシム自身も後に日本代表監督に招聘されることになるのは周知の通りである。

ビエルサは「日本に対して大きなリスペクトを持っている」

 ビエルサのもとで才能が開花したMFカルバン・フィリップスはイングランド代表のレギュラー格としてプレイするまでになり、FWパトリック・バムフォードやSBのルーク・エイリングも代表候補に名前が上がるまでの成長を遂げた。いずれも才能はあるが2部リーグ止まりではないかと見られていた選手たちで、ビエルサの指導法がいかに卓越したものであるかを示しているといえる。

 本稿で2人の名将をテーマとしたのは、オシムが日本サッカーを変えたように、ビエルサもまた日本サッカーを大きく変えるような影響を与えうる指導者となるはずだ、という思いからだった。実際に彼の戦術を学びたいと考える日本人指導者も多い。

「マルセロも日本という国に対して大きなリスペクトを持っています。勤勉で労を厭わないという日本サッカーの特性と、マルセロのプレイスタイルはとても相性が良いのではないかと私は思っています」(荒川)

 これまで「マルセロ・ビエルサ」の名前は日本代表監督候補、Jクラブ監督候補として何度もスポーツ新聞やメディアを賑わせてきた。その真相にも知られざる物語があるのだが、それは別の機会に記したい。いずれにしても日本サッカー協会が代表監督就任を渇望して止まない外国人指導者の1人がビエルサであることは間違いないだろう。そして日本サッカーをワンランク上のステージに導く知識と経験を持つ人物がビエルサだとも、言えるだろう。

 ヨークシャーの空から日本へ。はたして“エル・ロコ”が日本サッカーと邂逅する日は訪れるのだろうか――。

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荒川友康(あらかわ・ゆうこう)

サッカー指導者。アルゼンチンで複数のチームや滝川第二高校での指導を経て、ジェフ千葉・育成コーチ、京都サンガ・トップチームコーチ、FC町田ゼルビアトップチームコーチなどを歴任。ビエルサのみならず、Jリーグでもアルディレスなどの名将の元で働く。アルゼンチンサッカー協会認定のS級ライセンスを所持。FCトレーロス所属。

文=赤石晋一郎

photograph by Getty Images(L),BUNGEISHUNJU(R)